督らしい威厳をとりもどしたようであった。
「はあ、分かりました」
スミス中尉は、やむを得ないという顔をして、
「では当直へ、そのように伝達いたします」
「うむ」
スミス中尉が、室を出てゆこうとした時、
「ああスミス中尉。ちょっと待て」と提督は声をかけた。
「はあ、何か御用でありますか」
「わしは今夜司令塔へ詰めようと思う。だからあと三十分も経ったら、ここへ迎えにきてくれんか」
「はい、かしこまりました。すると今夜はもうお寝みにならないのですか」
「うん、わしは今夜、もう寝るのはよした」
「御尤もです。私も今夜あたり、どうも何か起りそうな気がしてなりません。提督が司令塔にお詰めくだされば、わが飛行島の当直全員もたいへん心丈夫です」
スミス中尉は、提督が悪夢におびえて睡られなくなったのだとは知らないから、リット提督が司令塔へ出かけるようでは、今夜はよほど警戒しなければならぬわけがあるのだと思った。
リット提督も、スミス中尉を戸口まで送ったが、彼の耳には、甲板の索具にあたって発するすさまじい嵐の声が、なんだか亡霊の呻声のように思われた。
中尉が水兵たちをひきいて立ち去ろうとした時、はるか後方の下甲板から、警笛がひゅーっとひびいた。そしてピストルの乱射の音につづいて、うわーっという鬨の声があがった。
「あ、あれは何だ」
リット提督は、きっとなった。
「さあ、どうしたのでしょうか」
スミス中尉も怪訝な面持であった。彼はまだ何の報告もうけていない。
その時、甲板を一散にこっちへ駈けてくる下士官があった。彼は、提督室から洩れる灯かげを片面にうけて立っているスミス中尉を認めるや、
「おおスミス中尉!」
と、息せききって声をかけた。
スミス中尉が、何かいおうとした時、かの下士官は、息をはずませて叫んだ。
「スミス中尉、飛行島内に、怪漢がまぎれこんでいて、下士官が二名やられました。すぐ下甲板へおいでを願います」
「なに、怪漢がまぎれこんだと。よし、すぐ行く。全隊、駈足!」
スミス中尉は、怪漢暴行中との知らせをうけ、さてこそ大事件発生だとばかり、下士官のいうことをよくも確めず、宙をとぶようにして駈けだしていった。
残ったのは、伝令と称する下士官ひとりとなった。
リット提督は、不安の面を向け、
「おい、下甲板で、どんなことが起ったのか。早くその様子を話して聞かせよ」
「はい。大変なことになりました。怪漢はやがてこっちへやって来るかもしれません。提督、どうか奥へおはいり下さい」
「うむ、――」と、提督は、後退りしながら、はっとした思いいれで、
「おお、お前は誰か」
「私は――」
「お前は怪我をしているじゃないか。胸のところが、血で真赤だぞ。お前はそれに気がつかんのか。おや、右の腕も――」
「リット提督閣下。御心配くだすって、なんとも恐れいります。が、まあ中へおはいり下さい」
かの血まみれの下士官は、提督につづいて、ひらりと室内へはいった。そして扉をぴたりと閉めた。そのとき提督は、かの下士官が、なにか棒切のようなものを、後にさげているのを認めた。それは室内にはいって、電灯の光を反射して、きらりと閃いた。
「うむ、お前は――」
提督は、驚きのあまり、言葉を途中でのんだ。そして顔面蒼白!
この下士官こそ、誰あろう、われ等が大勇士、川上機関大尉、その人であったのだ。
巨人対巨人
リット提督対川上機関大尉!
巨人と巨人との、息づまるような対面だ。飛行島は、まだ何事も知らず、闇夜の嵐のなかをついて、囂々《ごうごう》と北東へ驀進《ばくしん》しつづけている。
どうして川上機関大尉がここへ姿を現したか。彼は下甲板の格闘で、強力無双の敵下士官のため、すでに手籠にあおうとしたが、幸いにも伸ばした右手が、甲板に転がっている日本刀にかかったので、苦もなく強敵を斃すことができ、そのまま血刀をひっさげて、リット少将を襲ったのであった。
「うむ、お前は――」
リット提督は、じわじわと後へ下ってゆく。
「提督、もうどうぞその辺で、お停りください」と、川上機関大尉はどっしりした声に、笑みをふくんでいった。
「うむ、――」
提督は、もう唸るばかりだ。銀色の頭髪が、かすかに震えている。
「提督。今日までに、よそながらちょくちょくお目にかかりましたが、こうして正式に顔を合わしますのは、只今がはじめてであります。申しおくれましたが、私は大日本帝国海軍軍人、川上機関大尉であります」
「うむ、カワカミ! 貴様は、まだ生きていたのか」
「そうです。生きているカワカミです。こうして親しくお目にかかれることを、永い間待ち望んでいました。私としましては、この上ないよろこびであります」
「もうわかった。そんなことはどうでもよい。わしの室へ、物取のように闖
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