人は、汽船ブルー・チャイナ号の左前方に、ほほ並行の進路を保って、六隻からなる駆逐艦隊の明りが走ってゆくのを見たであろう。そして、それは英国海軍に属する警備駆逐戦隊だと思ったであろう。それもまた、まさしくそのとおりであった。
空と海とからして、汽船ブルー・チャイナ号は護衛されて安全なる航海をつづけているのだ――と思ったであろう。
だが次の瞬間、到底信じられないことが突発した。
甲板上の灯火が、暗い海を船のまわりだけを、ほの明るく照らしていたが、その光の中に、突然|海豚《いるか》の群のようにきらきら光る銀色の魚雷が群をなして船側目がけてとびこんだ――と思ったら、次の瞬間、天地も裂けとぶような大爆発が船内にひびきわたり、汽船は吹きとぶような大衝動をうけた。
「な、なに故の、味方の攻撃か」
といぶかる暇もなく、こんどは甲板の上へ爆弾の雨!
どどん、どどん。
がーん、がーん、がーん。
たちまち起る地獄変の絵巻――船体は火の嵐に吹きちぎられて、みる間に、どろどろと怒れる波間に吸いこまれてゆく。
到底筆紙に書きあらわせない暗夜海上の大惨劇であった。
生存者は幾人あるだろう。おそらく皆無とこたえるのが、当っているだろう。
汽船ブルー・チャイナ号は、四千人にちかい乗組員と船客もろとも、電光の閃きのようなほんの一瞬時にして、影も形もなくなった。
それは誰がやったのか?
やったのは、何者だか分かっている。
しかし憎むべきは、それを命じた者だ!
リット戦隊司令官だ!
リット少将の、うす気味わるい微笑の謎は、ここにはじめて解けたのだ。
「飛行島の秘密は、永遠に完全を護らなければならない」
彼はそれを神の前でいい放ち、そして実行したのだ。なんという非道なことであろう。
利益のためには手段を選ばず恥も知らないという、やり方がこれである。
あわれ、誰も彼も、みな死んでしまった。一々名前をあげることさえ、われわれには忍びないではないか。
しかし眼を蔽っていてはならない。そのなかに世界の公敵が大手をふって闊歩するのを見おとしてはならない。
だが、正義は神である。飛行島を出発したときの汽船ブルー・チャイナ号に乗っていた者のなかで、危く命びろいをした者が少くとも二人はあった。
その二人は、今暗い海上を互に呼びあい、励ましあって泳いでいる。
「どうだ、見たか。ずいぶんひどいことをやったじゃないか」
「は、見ました。全くおどろきました。しかし上官の機敏なる判断には、もっとおどろき入ります。もう十分、あの船の上でぐずぐずしていたら、今ごろは五体ばらばらになるところでした」
「うむ、俺の判断に狂がなかったというよりも、これは日本の神々が、われ等の使命を嘉《よみ》せられて、下したまえる天佑というものだ。おい杉田、貴様が意外に元気で、こんなに泳げるというのも天佑の一つだぞ」
「は、私は船内で上官のお顔を見つけたときは、うれしさのあまりに、大声で泣きたくて困りました。とうとう脱艦以来の目的を達して、川上機関大尉と御一しょに、飛行島攻略に邁進しているんだと思うと、腕が鳴ってたまりません」
「うん、愉快じゃ。しかしこんど飛行島で顔を見られたら、そのときは相手を殺すか、こっちが殺されるかだぞ。なぜといえば、飛行島の上には、東洋人はもうただの一人もいないのだからなあ」
「なに大丈夫です。そのときは日本刀の切味を、うんと見せてやりますよ」
川上機関大尉は、早くもリット少将の悪企《わるだくみ》を察し、汽船ブルー・チャイナ号出帆の約二十分後、二人は夜の闇を利用してひそかに海中にすべりこみ、この大危難から免れたのである。
川上、杉田の両勇士は、目ざす飛行島に果して無事泳ぎつくことが出来るだろうか。その夜の南シナ海は、風次第に吹きつのり、波浪は怒りはじめた。杉田二等水兵は、まだ十分に快復しきっていない。心配なことである。
ついに国交断絶!
五月十七日。――
この日こそ、千古にわたって記憶せらるべき重大な日となった。
東洋一帯を、有史以来の大戦雲が、その真黒な大翼の下につつんでしまった日だ。
飛行島の朝まだき、飛行甲板の上には、一台の軽旅客機が、今にも飛びだしそうな恰好で、しきりにプロペラーをまわし、エンジン試験をつづけていた。
この軽旅客機は、実は一昨夜この飛行島にやってきたのだ。飛行機が着島すると、夜だというのにリット提督はわざわざ出迎えた。飛行機の中からは、二人の巨漢が下りてきて、リット提督と、かわるがわるかたい握手をした。それ以来ずっと、この軽旅客機は、今にも飛びだしそうな恰好で、飛行甲板にいるのであった。
その二人の巨漢は、今なお鋼鉄の宮殿の中において、リット提督やその幕僚と向きあっている。誰の眼も、まるで兎の眼のよう
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