一しょにあがりましたが、そこで私は機関大尉と別れたのであります。それ以後のことは、私は――私は知らんのであります」
「知らない。ふむ、そうか」
 副長はさらに大勢の兵員を集めて聞いてみたがどうも分からない。
 川上機関大尉が帰艦していないことは、長谷部大尉の耳にも入らずにはいなかった。
 彼はすぐさま機関室へとんできた。
「川上機関大尉が帰らぬというが本当か」
 それは遺憾ながら本当のことだった。
「これはけしからぬ。よし、俺がいって探してこよう」
 長谷部大尉は、すぐさま艦長のところへ駈けつけて、機関大尉を探すために上陸方をねがい出でた。
 すると艦長は、
「司令官にお聞きするから、暫く待て」
 といった。
 暫くたって、長谷部大尉は艦長によばれていってみた。嬉しや上陸許可が下りたかと思いの外、
「司令官はお許しにならぬ。誰一人も上陸はならぬといわれる。また一般にも、言葉をつつしみ、ことに飛行島の方に川上機関大尉のことを洩らすなとの厳命だ。のう、分かったろう。分かったら、そのまま引取ってくれ」
 艦長は、長谷部大尉の胸中を思いやって、苦しそうにいった。
 そういわれれば、下るよりほかない軍律だった。しかし長谷部大尉の肚のうちは、煮えかえるようだった。
 不安と不快との夜はすぎた。遠洋航海はじまっての大椿事だ。
 帝国海軍の威信に関することだから、全艦隊員は言葉をつつしめということなので、皆の胸中は一層苦しい。
 夜が明けた。
 早速捜索隊が派遣されるものと思いこんでいた長谷部大尉は、それにぜひとも参加をさせてくれるようにと、艦長のところへ願い出でた。
 艦長は、眉をぴくりと動かして、
「捜索隊は出さぬことになった」
「えっ、それはどうして――」
「司令官の命令である。帰艦するものなら、そのうちに帰ってくるだろう。捜索隊などを上へあげて、それがために脱艦士官があったなどと知れるのはまずいといわれるのだ」
「それはあまりに――」
 といったが、考えてみると司令官の言葉にも一理はある。といって、どうして捜索隊を出さずにいられるものか。川上機関大尉をめぐって、飛行島上には何か変ったことがあったのにちがいない。このままにおけば、午前十時すぎには、空しくここを出港してしまうのだ。そんなことになってはいけない。
 長谷部大尉は、艦橋につったったまま、眼を閉じてじっと考えこんだ。
(許さん――と一旦司令官がいわれたら、なかなか許すとはいわれない)
 そのとき大尉が思い出したのは、川上機関大尉の部屋をしらべてみるということだった。
 彼はすぐさま、その足で川上機関大尉私室へいってみた。
 すると、その私室の前には、四五名の兵員が声高になにか論争していた。
 彼等は長谷部大尉の姿を見ると、ぴたりと口を閉じて、一せいに敬礼をした。
「お前たちは、何を騒いどるのか」
 すると兵の一人が、
「はっ、私は不思議なることを発見いたしました。川上機関大尉の衣服箱を検査しましたところ、軍帽も服も靴も、すべて員数が揃っております。つまり服装は全部ここに揃っているのであります。機関大尉は素裸《すっぱだか》でいられるように思われます」
「なに、服装は全部揃っているって。なるほど、それでは裸でいなければならぬ勘定になるが、しかし川上機関大尉は軍服を着て舷門から出ていったんだぞ。それは杉田二等水兵が知っとる」
「おかしくはありますが、本当に揃っているのでありまして、不思議というほかないのであります」
 兵は自説をくりかえした。
 そうなると、長谷部大尉も、ふーむとうならないわけにゆかなかった。一たいどうしたというのだろう。浮かぶ飛行島をめぐる怪事件の幕は、こうして切って落された。
 極東の風雲急なるとき、突如として練習艦隊内に起ったこの事件は、そもいかなる意味があるのか。
 南シナ海の上は、今日もギラギラと熱帯の太陽が照りつけて、海は毒を流したように真青であった。


   おしゃべり水兵


 幾度考えてみても、奇怪な事件である。
 だが、奇怪なのはそればかりでなかった。
 長谷部大尉が、水兵から聞いたところによると、機関大尉の服は一着のこらず、ちゃんと私室に揃っているというのである。
 それなら機関大尉は、いま裸でいなければならぬ理窟になる。
 ところが、いつも身のまわりの世話をしていた杉田二等水兵の話によると、彼は機関大尉に連れられて、その日の午後飛行島に上陸したが、その時機関大尉はちゃんと海軍将校の服装をしていたという。
 実に奇妙な話である。この謎は一たいどう解けばいいのだろうか。
 練習艦明石は、怪事件をのせたまま夜を迎えた。
 いつも夜は元気のいい水兵たちの笑声で賑やかな兵員室も、今夜にかぎってなんとなく重苦しい空気につつまれていた。
「杉田は、まだ帰っ
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