焦るな。体力をやしなえ。そして機会がいたったときは、俺と一しょに死んでくれ」
「はい、――」
「杉田二等水兵。もう長話はできぬが、この飛行島もいよいよ近く動きだすぞ」
「えっ、飛行島がうごきだしますか」
「そうだ。試運転をはじめるようだ。貴様もよく気をくばっておれ、いよいよ手を借りるときは、梨花にたのんでお前に伝えるからな」
「はい、よく分かりました」
 このとき梨花が、扉をことことと叩いた。誰か来るとの知らせである。
 川上機関大尉は、もう一度病床の杉田の手を握りしめ、
「さあ、誰か来た。気づかれるな。俺の硝子入替えの腕前をそこで見物しとれ」
「上官は硝子の入替えにも御堪能でありますか。私はおどろきました」
「うふ、――」
 川上機関大尉は、杉田のそばをはなれるとまた元の中国人の硝子屋にかえって、ぬからぬ顔で壊れた窓硝子のパテをはがしにかかった。
 扉をあけて入ってきたのは、さきの看護婦とリット少将の二人だった。
「なんだマリー。こればっかりの窓硝子なんか何でもないじゃないか、どんどん入替えさせるがいい。しかし硝子は丈夫な硬質硝子でないと、本艦が二十インチの主砲をどんと一発放った時は、ばらばらに粉砕してしまうからな」
 川上機関大尉の眼がきらりと光った。
 二十インチの主砲!
 リット少将がつい不用意の言葉をもらしたのだ。杉田は英語がわからないし、硝子屋は中国人で、大したことはないと思っていたのかも知れない。
 川上機関大尉は、どこで修業してきたのか、ものなれた手つきで、どんどん窓硝子の取替え作業をすすめていった。
     ×   ×   ×
 こっちは、危いところで英国駆逐機隊の爆弾を避けることができた潜水艦ホ型十三号の艦内であった。
 艦は巧みなる潜航をつづけ、北東へずんずん脱出してゆくうち、いつしか夜はほのぼのと明け放れた。
 柳下航空兵曹長は、目ざめるとともに、昨夜の死の偵察のときに、空中から飛行島を撮影した沢山な写真が、どんな風にとれているか気になってたまらなかった。
 そこで彼は、服装をととのえると、すたすたと写真室の方へ歩いていった。
「おう、昨夜の写真はできているか」
 と、空曹長が外から声をかけると、中からは、仲よしの西條兵曹長の声で、
「おう、今、できた。しずかに入ってこい」
「なに、もうできとるか。いやに勿体ぶるな。それならなにをおいても第一番に俺様に見せなきゃいかんじゃないか」
 とふざけながら室内へ威勢よくとびこんだが、足を踏みいれること僅か一二歩で(しまった!)と思った。同時に、はっと挙手の敬礼をした。――
 無理もない。室内には、すでに艦長水原少佐以下の幹部士官が集っていて、いきをのむようにして、つぎはぎだらけの卓子《テーブル》かけよりも大きい空中撮影写真に見入っているところであった。
 柳下空曹長は、うらめしそうに西條の方を見れば、西條の眼は、「それみたことか。だから『しずかに入ってこい!』といったではないか」
 といたずらそうに笑っている。
 艦長はほほえみながら、柳下の方を向いて、
「おお、どうだ。元気は回復したか」と思いやりのある言葉をかけ、それから柳下のとってきた空中撮影写真を指さしながら、
「これを見よ。お前の奮闘の甲斐あって、この写真に川上機関大尉の生死に関する重大な手がかりが現れておる」
「はっ」
「肉眼では、煙幕その他にさえぎられて見えなかったのであろうが、写真にはちゃんと現れているのだ。これだ、甲板の上に黒々と書かれているこの記号だ。『○○×△』――見えるだろう」
「はあ、見えます。不思議ですなあ。昨夜はどういうものか、みとめることができませんでしたが」
「うむ。それはさっきいったとおりだ。この記号こそは、通信機のないときの制式組合暗号だ。で川上機関大尉は生きているぞ。しかもこの記号の意味は、すこぶる重大だ。それを解読してみると、『八日夜、試運転ヲスル』となる。飛行島はいよいよ仮面をはいで、大航空母艦として洋上を航進するのだ。われわれは、どんな困難をしのんでも、その試運転を監視せねばならない。帝国海軍にとっての一大脅威だ!」
 八日の夜といえば、あますところもう三昼夜しかない。三昼夜後には、この恐るべき洋上の怪物が波浪を蹴ってうごきだすところが見られるのだ。その壮絶なる光景をおもうて、一同は、思わず武者ぶるいをした。
 水原少佐は、無電班に命じて、この写真を即刻連合艦隊旗艦へ電送するよう命じた。
 南シナ海の空気は、次第に重くるしさを加えた。


   進退|谷《きわま》る!


 杉田二等水兵の病室では、中国人の硝子屋に変装している川上機関大尉が、器用な手つきで窓硝子の入替えをつづけている。
 室内では、リット少将が、看護婦マリーの怒ったりわめいたりするのをしきりになだめ
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