をうつ。それでも、いささかもひるむ気色なく、墨をながしたような前方の深い闇を、じっとにらんでいる。
そのうちに風は雨を含んでますますつのり、舳を越えてどどっと崩れかかる波浪はますますたけりくるう。艦体は、前に後に、左に右にとゆれながら、海面を縫って難航を続けた。
しばらくして、ジジジ……と電話のベルが鳴った。
下士官は右手をのばして電話機をとりあげた。
「はあ、艦橋当直」
「こっちは艦長だ。どうだ入野《いりの》一等兵曹、あと三十|浬《かいり》で飛行島にぶつかる筈だが、西南西にあたって、なにか光は見えぬか」
「はい、なにも見えません。只今艦橋は豪雨と烈風にさらされ、全然遠方の監視ができません」
「そうか。苦しいだろうが、大いに頑張ってくれ。なにか見えたらすぐ知らせよ」
「はっ、畏《かしこ》まりました」
それから十分ほど過ぎた。
雨脚が急に衰え、雲が高くなったようである。
艦橋に立つ入野一等兵曹は、行手にあたって、ほの明るい光のかたまりを見出した。夜光の羅針儀の蓋をとってみると、その光物は正に西南西の線上にあった。
「おお、あれこそ飛行島にちがいない」
入野は直ちに電話機をとって、
「艦長へ報告、西南西にあたって、光を放っているものが見えます」
「見えたか。よし、見失わぬように監視をつづけていよ」
「はい、承知いたしました」
電話が切れると間もなく、艦橋の下の昇降口があいて、そこから艦長の丸顔が現れた。あとには先任将校が続いてのぼってくる。狭い艦橋の上は、芋を洗うようにお互の体がぶつかった。
「おお、あれだな」
と艦長水原少佐が、入野のところへよってきて、白い手袋をはめた手をあげた。
「そうであります。望遠鏡でみますと、飛行島の甲板上に点っている灯が点々と見えます」
「そうか。まだ気がつかないのか、一向警戒をしている様子が見えないね。しかし、もう向こうの哨戒圏内に入ったとみなければならぬ」
と、艦長の声が終るか終らないうちに、突然右舷はるかの海面からぴかーりと探照灯が一本、真青の光をあげて流れ出た。
「艦長、哨戒艦のようです」
と副長が叫んだ。
「うむ、距離はいくら、速力は、針路は――」
「はい。――観測当直、右舷に見ゆる哨戒艦を測れ」
すると観測当直が、すぐさま測って大声で返事をした。
そのうちにも探照灯は一本から二本になり三本になり、しきりに海面を照射した。おそろしいものである。わがホ型十三号潜水艦が、風雨の中にこの海面にまぎれこんだのを、たちまち勘づいたのである。
いくたびか探照灯はわが潜水艦の傍をすりぬけたが、幸いにも発見されなかった。しかしこのままでは早かれ晩かれ、この艦橋や半ば海面にあらわれている艦体が、あの探照灯の眩しい光の中に照らし出されずにはいないであろう。それはもう時間の問題であった。
それを知ってか知らでか、水雷長はまだ潜航命令を発してはおらぬ。
「艦長、飛行島がしきりに灯火を消していますぞ」
入野が呶鳴った。
「うむ、分かった。それでは――」と叫ぶなり艦長は副長に耳うちした。
五秒、十秒、十五秒……。哨戒艦の探照灯は、ようやくこっちの方向を嗅ぎつけたらしく、どれもこれも近くへ集ってきた。
もしその光のうちに、捕らえられてしまうと、次の瞬間、敵の砲弾はおそろしい唸をあげてわが頭上に落ちてくるものと覚悟しなければならない。
そのとき艦長は叫んだ。
「艦載機一号、出動用意!」
突如発せられた命令を、伝令兵は伝声管によって、艦内へ伝えた。
空襲警報
艦載機一号の操縦者は、柳下航空兵曹長だった。命令の出たときには、すでに空曹長の用意は全部整っていた。
「柳下空曹長です。一号機の出発用意よろしい」
すると艦橋の艦長は、わざわざ伝声管にとりついて、重任の柳下航空兵曹長に、こまごまと任務について訓令するところがあった。
「――分かったな」
「はい」
と空曹長は早口に復誦した。
「よろしい、出発。武運を祈る」
「はっ、では行ってまいります」
と、空曹長は隣の家へでも、出掛けるような気軽さで、愛機の席についた。
命令一下、艦橋の下に隠れていた扉《ドア》が、ぱっと左右に開くと、バネ仕掛のようにカタパルトが顔を出し、その次の瞬間、轟然たる音響もろとも風を切ってぱっと外にとびだした軽快な一台の艦載飛行機! それこそ柳下空曹長の操縦する一号機であった。
暗澹たる空中に、母艦をとびだした艦載機の爆音が遠ざかって行った。
「柳下、しっかりやれ。頼むぞ」
誰かが叫んだ。
艦長以下幕僚たちはいずれも見えない空を仰ぎ、暗の空にとびだしていった勇士の前途に幸多かれと祈った。
その途端――
艦橋が、真昼のように輝いた。
哨戒艦の探照灯が、とうとうわが潜水艦をさぐりあてたので
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