ついている小さい物挟《ものばさみ》を、舷の梁上《はりうえ》に留めると、針金は短波を送るためのアンテナとなった。
 そこで彼は、小さな受話器を耳にかけ、同じく缶の底にとりつけてある電鍵をこつこつ叩いて、軍艦明石の無電班を呼んだ。
 相手は、待っていましたとばかりにすぐ出てきて、暗号化したモールス符号で応答してきた。
 機関大尉は溜めておいた重大な報告を一つ一つ電鍵を握る指先にこめて打ちはじめた。
 その時、頭の上で、ごそりと人の気配がした。
 彼は、はっと驚いて上を見た。梁の上にピストルがきらきらと光って、その口がこっちを向いていた。
「はっはっはっ。日本のスパイ君。君はとうとう秘密のお仕事を始めからすっかり見せてくれたね。さあ手をあげるんだ。こら、なぜあげないのだ。あげないか。撃つぞ」
 だだーん。
 梁の上から、銃声がとどろいた。
 ピストルの弾丸《たま》は、川上機関大尉の抱えていたペンキの缶にあたった。
缶は、あっという間もなく舷を越えて下にころげ落ちた。
 とたんにひらりと身を飜して、逃げだした。
「待て、スパイ」
 梁上からは、英国士官がとびおりた。そして警笛をぴりぴりと吹いた。
 それに応じて、どやどやと駈けよってくる捜査隊の入りみだれた足音!
「ちぇっ、しまった」
 と機関大尉は舌うちしながら、足音と反対の方へ、狭い通路を走りだした。
「こら、待たんか」
 ぱぱーん、だだーん。
 銃声は背後間近に鳴りひびく。
 ひゅーん、ひゅーんと弾丸は機関大尉の耳もとを掠《かす》めるが、運よく当らない。
 が、そのうちに彼は、通路の両方から挟まれてしまった。
「ええい、逃げるだけ逃げてみよう。攻勢防禦だ」
 と人数の少い方の通路を見きわめると、猛然矢のように突入した。
 敵のひるむところを、よしきたとばかり猛進して、相手を投げとばし、敵の体をのり越えて走り続けたが、とうとう袋小路の中にとびこんでしまった。そこから先は路《みち》がない。ただ行当りをさえぎっている塀は、そう高くはない。
「よし来た」
 彼は咄嗟《とっさ》に、つつーっと走って弾みをつけると、機械体操の要領で、えいと叫んで塀にとびついた。
 下は海――かと思ったが、そうではなくて一段だけ狭い甲板であった。暑くるしい夜をそこに涼んでいたらしい一人の苦力《クーリー》がびっくりしてとびおきた。
 川上機関大尉はえい
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