人とは、房枝の後を追うため、つづいて走りだした。
 だが、はたして、房枝に追いつくことが出来るであろうか。爆発の時刻は、午後九時、もうすぐそこに近づいている。房枝は、両親と大切な生産力の一つである工場とを救わんがために、一命を捨てる決心をし、今爆薬の花籠を抱いて、爆発しても被害のすくない安全な場所を求めて死の駈足《かけあし》をはじめたのであった。
 ここではちょっと脇道へそれるが、青年探偵帆村荘六の姿を、読者のみなさんにお知らせしたい。
 帆村荘六は、今、愛宕山《あたごやま》の上に立っている。そこには、警視総監をはじめ、例の田所検事やその他、要路のお歴々《れきれき》が十四、五名もあつまり、まっくらな山の上で、何ごとかを待っているのだった。
「おい、帆村君。時刻は、あと一分だが、ほんとうに大丈夫だろうね」
 そういったのは田所検事であった。
「何度でも申しますが、大丈夫ですとも。彦田博士の発明した新X塗料は、十分信用してもいいのです。私は、この実験にも度々立ち合い、それが爆薬にはたらいて、無力にしてしまうところを、十分に見て知っています。だから心配なしです。今度こそ、彦田博士の新発明の爆発防止塗料が、いかにすばらしい力をもっているかを証明する大がかりな実験日ですよ」
「そうね[#「そうね」はママ]、とにかく、もうすぐ午後九時がくる。しかし万一博士の塗料が効目がなくて、都下の生産工場が一せいに爆発したとしたら、僕たちは申訳に切腹しても、追いつかないよ」
「大丈夫ですよ。科学の力を信じてください。ほら、もう九時を過ぎましたよ。一分過ぎになりました。どこからも、爆発の音がきこえてこないではありませんか」
「なるほど、定刻を一分以上すぎた。これは妙だ。君のいうとおりだ」
 といっているとき、夜の静寂《せいじゃく》を破って、どどーんの一大音響が聞え、愛宕山《あたごやま》が、地震のように動いた。それと同時に、山手寄りの町に炎々《えんえん》たる火柱がぐんぐん立ちのぼって、天を焦《こ》がしはじめた。
 検事は、顔の色を失った。
 いや、総監はじめ、山上につめかけていた係官たちは、一せいに立ちすくんだのであった。
 帆村の言葉は、ついにでたらめに終ったのであろうか。
 ただ、爆音は、そのとき一回きりであったことと、皆がたちさわぐ中に、帆村一人が、平然とおちついていることが、敏感な田所検事を不審《ふしん》がらせた。
「帆村君。あの音はなんだ。あれでも、爆発じゃないというのかね」
 帆村は、ちょっと困ったという顔をして、
「今のも、やっぱり爆発でしょうね」
「すると、君の予想は、見事にはずれた」
「いいえ、はずれてはいません。今のは番外です。他の工場は、どこもみんな、林のように静まりかえっています」
「なるほど、それはそうだ。だが、番外とは、どういうことかね」
「あれは、あれは多分、トラ十のやった仕事じゃないでしょうか」
「トラ十? トラ十といえば、さっきから見えないが」
「僕も、ちと油断をしておりました。トラ十はすっかり改心して、僕と一緒にターネフ邸にしのびこみ、僕に手伝って、あのとおり、おそるべきBB火薬を新X塗料ですっかり無力にしてしまったのです。だから、僕はつい目を放していたのがいけなかったのです。トラ十が、われわれのそばから姿を消したことに気がついたのは、三十分ほど前でした」
「それで、番外の爆発事件というのはどういうことかね」
「今に、報告が入ってくるでしょうが、あれはターネフ邸が爆発したのではないでしょうか。あの火の見当といい、あの爆裂《ばくれつ》のものすごさといい、あれはどうしても、ターネフ邸の花園の下にあったBB火薬庫に火が入ったとしか考えられません。きっと、そうですよ。トラ十がターネフに、ついに復讐をしたのですよ。トラ十は、悪いやつですから、なかなか執念ぶかいのです。それにターネフも、トラ十に対して、これまでずいぶんひどいことをやりましたからね」
 そういった帆村は、他の人の知らないトラ十の秘密をしっていた。それはすこし前、トラ十が改心して、帆村に協力するようになったとき、トラ十が帆村に語ったことであった。これによると、トラ十はターネフに対して大きい恨《うら》みを抱いているのだった。それは彼の父親が、今から十年ほど前、例のクラブで雑役夫として働いていたとき、クラブの集会を立ち聞きしたというかどで、ターネフのためにピストルで撃ち殺されたのである。トラ十は他の都会で働いていたが、このことを聞いて非常に怒ったが、この怒りを胸におさめて、いつかターネフをやっつけて父の霊《れい》を慰《なぐさ》めてやろうと思っていたのだ。そしてそのときにトラ十が帆村にうちあけたところによると、彼も彼の父も、ともに日本人ではなく、中国人であり、本当の姓は楊氏《ようし》というのであった。トラ十いや楊重庭《ようじゅうてい》は、そうときまると、自分の身をまもるために、それ以来、日本人に化けたのである。
 さて、帆村の推測は誤りなかった。間もなく、この山の上に、ターネフ邸の怪爆発事件の報告がされた。なんでも、爆発現場はものすごいことになっているそうで、あのうつくしい花壇はどこへ飛び散ったか、花の首一つ落ちておらず邸宅も爆発と同時に、その半分が吹きとび、その残りもあと五分ほどのうちに紙のように燃えつくしてしまったそうである。今更おどろかされるBB火薬の威力であった。
 これは、その後の話であるけれど、ターネフ一味もトラ十も、ついに永遠に姿を見せなかった。だから、トラ十がターネフに恨をのべにいって、爆薬に火をつけてあの戦慄《せんりつ》すべき最期をとげたことは、帆村たちの推測によるだけであった。しかし帆村の推測は、前後の事情から考えて、多分まちがいのないことのように思われる。
 かくして世界|骸骨化本部《がいこつかほんぶ》がターネフ首領たちを使って日本一の工場[#「日本一の工場」はママ]を一せいに破壊しようとし、世界人類の平和生活に大きなひびを入れようとした戦慄すべき陰謀は、きわどいところで防ぎとめられた。全くもう一歩というところであった。あぶなかった。あぶなかった。
 すると、房枝は、どうしたであろうか。両親のため国家のため、房枝は、爆薬の花籠と共に沼の中に身をおどらせ、そこに一命を終ろうとしたが、そのとき、ようやく追いついたスミ枝が、房枝のうしろから引き留めて彼女の一命を救った。そして籠だけを、沼の中になげこんだの、であるが、その花籠がついに不発に終ったことは、みなさんも既に御存じのとおりである。二人が、沼のそばにうち重なって、はあはあと息を切っているところへ、彦田博士夫婦も、ようやく駈けつけた。
「おお、房枝さん、いや、あたしの可愛いい小雪」
「お母さん」
「お父さんの方も、よんでおくれ」
 房枝、いや彦田小雪は、右と左とから両親にとりすがられ、まるで夢を見てるとしか思われなかった。
 もうこの世では望みのないと思っていた両親に、めぐりあえたのであった。いや、しかもその両親は、名実ともにじつにりっぱな両親であったことは、小雪の幸福であった。
 小雪は、今は、もちろん両親のもとに、幸福に暮し、そして孝行に身をささげているが、仲のよかったスミ枝も、その妹として彦田博士の養女となり、同じ屋根の下に、思いがけないよろこびの日を送っているという。
 その後、帆村荘六は、ときどき訪ねてくるそうである。彼は、時局の関係で、いよいよ忙《いそが》しいそうである。



底本:「海野十三全集 第7巻 地球要塞」三一書房
   1990(平成2)年4月30日第1版第1刷発行
初出:「少女倶楽部」
   1940(昭和15)年6月〜1941(昭和16)年6月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:kazuishi
2006年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全22ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング