がメキシコであったので、英語は少しわかっていた。だから、ニーナの電話も、だいたい了解した。ドクトル・ワイコフがすぐ診察にきてくれることがわかった。だが(ええ、それはそうよ、ふふふふ)とは何のことであろうか。ちょっと気になる語であった。
(ゆだんはならない!)
房枝はそう思った。
ドクトル・ワイコフが現れたのは、それからものの十分とたたない後のことだった。長身のひじょうに貴族的な顔をもった医師だった。
彼は、長椅子の上に寝ている黒川のそばに、自分のもってきたカバンを開き、診察にとりかかった。
「うん、ちょっと重傷だが、今手当をして、しばらく安静にさせとけばいいでしょう。お湯がわいているでしょうね。早くもってきてください。ちょっと手当をしておきますから」
房枝は、黒川の後頭部の傷を見ていると、なんだか気が遠くなりかけた。こんなことではいけないと思い、なんとかして、黒川の手当の終るまで、がんばろうと、自分の気をはげましたのであった。手当はなかなかすまなかった。ニーナは、房枝のそばへきて、彼女を横から抱えながら、大丈夫よ、大丈夫よと、しきりになぐさめた。そのころになって房枝は、やっと雷洋丸でこのニーナと会ったことを思い出したのであった。
悩《なや》ましい花園《はなぞの》
房枝は、その夜をニーナの邸ですごした。
黒川の傷は、かなり重く、熱が高くて、うわごとをいいつづけだった。だから房枝は、ニーナやドクトル・ワイコフの意見にしたがって、黒川をそのままそこに寝かせておくほかないと思った。
ニーナとワイコフ医師とは、いくたびか、その広間へ下りてきて、親切にも、黒川を見守り、そしてまた房枝をなぐさめた。師父ターネフだけは、寝室へはいったらしく、はじめにちょっと顔を出しただけで、あとは現れなかった。
(ずいぶん親切な人たちだわ)
と、房枝は、心の中で、あつい感謝をささげた。
房枝は、なにもしらない純情な少女だったのである。かりそめにも、このようなニーナたちの親切の中に、おそろしい棘《とげ》がかくされていようなどとは、思ってもみなかった。お人形のように純情なことは、いいことである。しかし、そういう場合に、おそろしい棘のあることを気づかないでいることは、いいことではない。
夜は明けはなれた。
カーテンをひくと消毒薬でむんむんする室内のにごった空気が外へ出てい
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