ゆび》の尖端《せんたん》二ヶ所に、喰いいったような探い傷があること、同様な傷が又両足の裏にもあるのであったが、極《ご》く小さい上に血のにじみ出た形跡もないので、或いはお由の死後吉蔵がつけたものかも知れぬ、とも考えられていた。ところが、丁度其処へ遊びに来た電気工学のW助教授が一目これを見るや、「君、これは高圧電気に感電した時受けた傷だよ」と助言した。

 警察署では主任が吉蔵の調べに手を焼いて、一先ず訊問を打切り、屍体遺棄のかどにより、変電所の土岐健助に拘引状を発しようとしていた。その申請書《しんせいしょ》を書き始めた時、パッと室内の電灯が消えた。そして、停電は珍しくも近来に無く一時間も続いたのである。
「どうしたと言うんだ、冗談じゃ無い」
 主任がついに堪《たま》りかねて、変電所へ電話で問い合せて見ようと立ち上った瞬間、電灯はサッと明るく室内へ流れた。同時にジリジリと電話のベルが鳴ったのである。それは大学の法医学教室から、お由の死因が高圧電気の感電であった事を知らせる電話であった。
 主任の横顔は極度に緊張して、受話器を掛けると一刻の猶予《ゆうよ》もなく土岐技手拘引の手続きにかかったが、それを追いかけて再び電話が鳴る。それは部下が変電所から掛けた長い報告であった。
 要《よう》は、今しがたの停電は二人の男が変電所の一千ヴォルトの電極に触れて感電死したことによるもので、二人共全身黒焼けとなり一見いずれが誰と識別《しきべつ》し難いが、一人は勤務中であった技手土岐健助、一人は喜多公こと田中技手補である事に相違ない。この惨事《さんじ》の原因は目下調査中であるが、両人の体がからみ合っている所から推して、一方が感電したのを一方が救いに行って仆れたとも見え、或《あるい》は両人の間に何か格闘があって組合ったまま感電したとも思われる節《ふし》がある、との事であった。
「到頭《とうとう》やったか。残念な事をしたな」
 受話器を離した主任は、誰にとも無く呟《つぶや》いて崩《くず》れるように椅子に腰を下した。
 猶《なお》、その後の報告によると、応急修理に高い所へ登った一技手は、奇怪な配線のあるのを発見した。それは故意か偶然か、変電所の壁を通って向いの家の廂《ひさし》へ渡り、其の端が錻力《ブリキ》で作った樋《とい》に触れていたのである。もしこの配線に高圧電気が供給されれば、言うまでもなく樋に触れた人間は即死しなければならない。そしてお由は丁度その樋の傍《そば》に仆れていたのであった。
 では、お由殺しの犯人は土岐健助か、それとも喜多公か?
 二人の過去を洗って見ると、土岐の方は変電所から開閉所《かいへいしょ》へとコツコツ転任されて歩いた外《ほか》、これと言って変化の無い単調な過去しか持っていないに反して、喜多公の方はいろいろな電気工生活をやって来ている。その上、お由がまだ工場にいたころ、そこの試験係を勤めていた事実もあって、当時仲間の一人が試験中に感電死した時、可溶片《ヒューズ》が早く切れた為に只指先と足の裏に小さな傷を受けたまま美しく死んだ事件を見たこともあるそうである。
 で、犯人が喜多公とすれば、親分とお由を張り合った結果、お由が思う様にならないので、あの夜自分が非番であるにも係わらず、忍んで行って、犯行の後、巧みに千往|遊廓《ゆうかく》へ現われたとも考えられた。
 しかし又、白蛇のお由を知っている四十男はこう言うのである。
「ああいう形の女は、私達年配の男に好かれる者ですよ。吉蔵親分だってそうでしょう。土岐さんも丁度|厄年《やくどし》位だったじゃありませんか。いくら懇意《こんい》にしていても、つい目の前で楽しんでいる所を見せられちゃ、一寸妙ないたずら気も起りまさあね。それに腕のいい人でしたからね――」
 いずれにしても二人が死んだ後、お由殺しの事件の捜索は即刻打切られてしまったので、これ等はただ苦労性の人々の臆説《おくせつ》にすぎないのである。



底本:「海野十三全集 第1巻 遺言状放送」三一書房
   1990(平成2)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」博文館
   1929(昭和4)年6月号
入力:tatsuki
校正:土屋隆
2004年11月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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