察から帰されることになった。残された喜多公はお由の死んだ夜の行動について、何んと思ったか一言も口を利か無かったのだ。その時の吉蔵の供述《きょうじゅつ》はこうである。
「あっしは十時に店を閉めて、お由が留守だから久し振りで玉《たま》の井《い》へ行って見る気になりました。今戸から橋場《はしば》をぬけて白鬚橋《しらひげばし》を渡ったんです。けれど何うも気がすすまないんで、一通りひやかしてしまうと、二時頃には家へ帰って寝てしまいました。その翌朝《よくちょう》、何んの気なしに聞いていると、乾分の一人が昨夜《ゆうべ》喜多を玉の井で見かけたって噂を小耳にはさんだんで、お由が殺されていると言う報《しら》せを聞いたのは、それから間も無くでございました」
 では、何故喜多公はその夜の行動を明らかに説明しなかったか? 土岐技手が其の夜国太郎に漏《もら》した言葉では、喜多公こと田中技手補は確《たしか》にその頃は変電所に勤務中ではなかったのか? 
 然し二三日後、喜多公がやっと口を開いた時には、こんな意外な陳述《ちんじゅつ》がされていた。
「実は、あっしは姐御、詰りお由さんに想いを掛けていたのです。で、幾度も気を引いて見ましたが、なかなか思うようにはなりませんので、あの日、灯が点くと間も無くお由さんが泊り掛けで根岸へ行ったと聞きましたので、あっしは根岸の家の番地を人知れず確《た》しかめて、お由さんの後を追って行きました。根岸へ着いたのは八時頃だったと覚えています。所が何うしても此処と思う家が見当りませんので、今度は一軒一軒裏口へまわって、お由さんの声を目当に探し廻りましたが、矢っ張り知れません。その中に十一時半になってしまいましたので、何んだか急に馬鹿馬鹿しくもなって、其の足でぶらぶら歩いて引っ返し、千住《せんじゅ》の万字楼《まんじろう》という家へ登《あが》って花香《はなか》という女を買って遊びました。登《あが》ったのは多分十二時半か一時頃でしょう。翌朝其処を出たのは六時半頃です」
「何故又そんな事を今まで隠していたんだ」
「へッへ、姐御の後を附けたなんてうっかり言っては、飛んだ嫌疑《けんぎ》が掛かると思いましたんで――」
 警察では直ぐに万字楼を調べて見たが、大体彼の言った事に相違《そうい》はなかった。
 お由の死亡時刻は解剖の結果、午前一時前後ということになっている。して見れば時間の点からいって、喜多公は親分の方より嫌疑が薄くなる訳で、一先《ひとま》ず彼も釈放されることになった。
 警察では他に誰も容疑者として拘引しておらず、この事件はわりに無雑作に放置されている如く見えていたが、其の実捜索は八方に拡がっていて、少しでも怪しいと睨《にら》んだ者には必ず刑事が尾行していたのである。然しお由の死後七日までは、これぞと思う手懸《てがか》りは何等得ることが出来ずにいた。
 すると八日目になって、初めて新しい二つの報告が集って来た。一つは、あの日以来吉蔵の店では冷蔵庫へ入れる氷を五貫目ずつ余計使っている事実、一つは、あの日を境にして失踪《しっそう》した者の一覧表の中から、山名国太郎という大学生がお由に似た年頃の婦人を自室に引き入れている所を一二度見た者があるという報告であった。
 お由事件の為に特設された捜索本部は、この二つの報告に色めき立って、主任は直ちに吉蔵の店へ警察を向ける一方、山名国太郎の行方を八方に捜索させた。
 吉蔵は警官の臨検《りんけん》に大小三個の冷蔵庫を直ぐ開いて見せた上、氷の消費量増加については、
「何にしろもうこんな陽気ですから、氷だって段々|殖《ふ》える一方でさあ」と、軽く説明した。然し主任がその位の説明で満足する筈はなく、当分夜の間刑事を吉蔵の店の床下に張り込ませて、何処までも事件の端緒《たんちょ》を掴《つか》むようにと手配した。
 一方山名国太郎の失踪については、喜多公を変電所へ張って行った刑事から、偶然《ぐうぜん》手懸りがついた。というのは、変電所主任土岐健助宛の無名の手紙から足がつき、スタンプの消印で栃木県《とちぎけん》今市《いまいち》附近に国太郎が潜伏《せんぷく》していると判ったのである。
 いよいよ国太郎が逮捕されたとなると、事件は、何う展開するであろう。国太郎とお由の密会には証人がある事だし、あの夜土岐技手が現場《げんじょう》へ呼ばれた時には、既にお由は死んでいたのだから、国太郎がこの他殺に全然無関係であるという事は説明出来まい。同時にお由の屍体遺棄が明らかになるので、土岐技手にも嫌疑の余地が出て来る。其の夜の勤務は土岐一人で他に証人が無いのだから、国太郎の言う通りお由が露路に一人でいたとすれば、其の間に健助がお由を襲うことも出来たのである。
 こうして殺人犯人の嫌疑者は四人となった。
 其の翌日の夕方、山名国太郎は今市
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