あ、あなたは一体どなたですの。矢部さんのお友だち? ――ちょっと、皆がみていますわ。手をはなしてくださらない」
宮川は、いつの間にか、女を両腕の中に抱いていたのだ。彼女に注意されて、びっくりして腕を解《と》いた。なぜ彼は、そんなに昂奮《こうふん》したのか、彼自身にもふしぎなくらいだった。
「ねえ、美枝子さん。私はぜひあなたに会いたいと思って、矢部君に案内してもらったんですよ。どうです、これからどこかで御飯でもたべながら、ゆっくりお話をしようじゃありませんか」
宮川の唇から、すらすらとこんな言葉がでてきた。これもふしぎであった。
「まあ、はじめてお目にかかったのに、ずいぶん積極的ね。――でもいいわ、御馳走になりますわ。あなた、ほんとにすばらしい方ね」
そういって美枝子は、宮川のすんなりとした身体を背広のうえから撫でた。
待っていた怪女
その翌日のことだった。
宮川は、久しぶりで黒木博士を病院に訪ねたのだった。
「おお宮川さん。だんだん元気がつかれて、結構ですな」
宮川はそれには、挨拶《あいさつ》もせずに、
「博士、今日は折いっておねがいに来ました。あの矢部君の残りの脳を買いとって、私のここに入れてください」
そういって彼は、自分の頭を指さした。
「それはまたどうしたのですか」
「いや、女の問題です。じつはこういうわけです」
と、語りだしたところによると、宮川は、手術|恢復後《かいふくご》、頭の中に一人の女性の幻《まぼろし》がありありと見えるようになった。彼はその女性がたいへん慕《した》わしくて、なんとかしてその本人があるなら会いたいと思っていた。ところが、その幻の女こそ、矢部の愛人|山崎美枝子《やまざきみえこ》だということがわかった。
その美枝子に、宮川はきのうはじめて会った。そして幻の女は、まちがいなくこの女であると確《たし》かめた。美枝子もはじめて会った彼に、たいへん熱情をよせた。
彼が矢部のことをたずねたところ、彼女はきっぱりと説明した。
(矢部さんはあたしが大好きだというんです。そしていろいろと自分でも無理算段《むりさんだん》をしたようですわ。でもあたし、矢部さんがどうしてもすきになれませんのよ)
(でも、さっき、あなたは矢部君をよびとめたではありませんか)
(そうよ。だって、あの人がいろいろ無理をして買ってくれたものがあるんですもの。あたし、それをかえしたいとおもったのよ)
そこで宮川の胸もはれて、美枝子の手をとったというのだ。
そこまではよかったけれど、やがてのこと彼は、美枝子をすっかり憂鬱《ゆううつ》にさせてしまったというのだ。
「それはどうしたわけですか」
博士は宮川の面《おもて》を熱心にみつめながら尋《たず》ねた。
「それはつまり、私の心が冷たいといって、彼女が口惜《くや》しがりだしたんです」
「あんたはなにか冷淡《れいたん》な仕打《しうち》をしたのですか」
「そこなんですよ博士、はじめは私も熱情を迸《ほとばし》らせたようですが、あるところまでゆくと、急にその熱情が中断してしまったのです。そして俄《にわか》に不安と不快とに襲われたのです。そのとき頭の中に、別の一人の女の顔が現れました。それは日本髪を結った白粉《おしろい》やけのした年増の女なんです。その女が、髷《まげ》の根をがっくりと傾《かたむ》け、いやな目付をして私に迫ってくるのです。払えども払えども、その怪しい年増女が迫ってきます。そういう不快な心のうちを、どうして美枝子に話せましょう。彼女にとって私が冷淡らしく見えたというのは、まだよほど遠慮した言葉づかいでしょう。きっとそのとき私は、塩を嘗《な》めた木乃伊《ミイラ》のように、まずい顔をしていて、しゃちこばっていたに相違ありません」
「それで、なぜあなたは矢部氏の脳をほしがるのですか」
「わかっているじゃありませんか。矢部君の脳室の中には、美枝子を慕《した》う情熱を出す部分がまだ残っているのにちがいありません。それを切り取って、私にうつし植えてください。私の持っている金は、いくらでも矢部君にあげてください」
博士は、黙って考えこんだ。
「それからもう一つおねがいです。あのいやな日本髪の年増女《としまおんな》の幻が出るところの脳の部分を切り取って捨ててください。そうだ。もし矢部君が欲しいというのなら、その部分を、彼に植えてやってください」
「それはたいへんなことだ」
「博士、ぜひ早いところ、また手術をしてください。一体あの白粉《おしろい》やけのした年増女は、どこのだれなんですか」
博士は、その質問にはこたえないで、
「うむ、とにかく矢部氏に相談してみよう」
と、言葉すくなに云った。
それから一週間ほどして、黒木博士は再び脳手術にとりかかった。手術室には、右に宮川
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