れは、先刻《さっき》狼狽して釜場の方へ飛んで行った湯屋の女房であった。彼女は、覗《のぞ》き穴《あな》へ当てた片眼の前で、余りにも唐突《だしぬけ》に職人の一人が声を発したので吃驚《びっくり》したのである。のけぞり反《かえ》るように、逃げ腰に振り返った途端《とたん》、発止《はっし》と鉢合《はちあわ》せたのは束髪《そくはつ》に結《ゆ》った裸体の女客であった。
「見ちゃいけません。見ちやいけません。早くお帰んなさい」
前後の見境《みさかい》なく、女房はその女客を片腕で制して押し戻した。その女客は、手に何か黒いかさばったものを持っているらしかったが、此際《このさい》そんなことは、女房に取って注意を要すべきことではなかった。ただ、その女客が黙って元来た女湯の方へ行こうとするのにおっ冠《かぶ》せて、
「あの、女湯の方には変りはありませんでしたでしょうか?」
と問いかけた。すると、その女客は引戸に手をかけたまま、ちょっと振返ったが、
「いいえ、別に何とも……」
と、曖昧《あいまい》に答えてそのまま女湯の流し場の方へ入ってしまった。
その引戸が閉まると同時に、女房は何故か一抹《いちまつ》の疑心《
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