《てる》という二十二歳になる料理屋の女で、その日はこの向井湯の近所に住む伯母の所を訪ねて来た者であった)の肉体に魅力《みりょく》を感じ、愈々計画の実現に志《こころざ》したのであった。
その時は正午少し前だった。女湯の客は、そのお照の他に、僅に三人であった。男湯の方は前述の通り、井神陽吉と他に四人、で、頃合いを計って、彼は男湯の電気風呂に高電圧を加えた。果せるかな、手応《てごた》えがあって、井神陽吉が飛んだ犠牲《ぎせい》となったのである。それからのちは、少くとも表面だけの騒動は前述の通りであった。が、女湯の客のうち、お照を除いた他の三人は、ひとしく上《あが》り際《ぎわ》だったので、隣りの騒動を機《きっかけ》に匆々《そうそう》逃げ去ったのであった。が、お照はただ一人、湯槽《ゆぶね》の側で間誤間誤《まごまご》していた。というのは、女故《おんなゆえ》の辱《はずかし》さが、裸体で飛び出す軽率《けいそつ》を憚《はば》からせたのと、一人ぽっちの空気が、隣の事件を決して重大に感ぜしめなかったものらしかった。が、何はともあれ、樫田武平にとっては究竟《くっきょう》の機会であった。
彼は用意の吹矢を取り出すなり、狙《ねら》い撃《う》ちに彼女の咽喉《のど》へ射放《いはな》った。果して、あの致命傷《ちめいしょう》であったのだ。
転げつ、倒れつ、悶々《もんもん》のたうち返る美人の肉塊《にっかい》の織り作《な》す美、それは白いタイルにさあっと拡がってゆく血潮の色を添えて充分カメラに吸収された。が、十数秒の短い時刻で、敢《あえ》なくもお照は動かずなってしまった。
だが、樫田武平は美事な成功に雀躍《こおどり》して、そのフィルムだけを外《はず》すと、そのまま逃走しようと試みた。が、その時であった。由蔵は、別の目的を以て同じこの天井裏へ上って来たのである。というのは、彼は感電騒ぎを知るや忽《たちま》ちにして警察の取調べがこの天井裏の電線に及ぶのを慮《おもんぱか》って、其処《そこ》は秘密を持つ身の弱さ、望遠鏡を外すために人知れず梯子《はしご》を昇って這《は》い上ったのである。
当然、樫田武平と由蔵との両人が、高い天井の暗がりで睨み合うことになった。が、何分にも大きな声を出すことを許されぬ場合のこととて、互《たがい》に敵視しながらも一言も云わず、必死と眼《まなこ》を光らし合った。やがて、由蔵は、己が隆々《りゅうりゅう》たる腕力に自信を置いて、樫田武平の華奢《きゃしゃ》な頸筋《くびすじ》を締めつけようと襲いかかった。と、早くも吹矢は由蔵の咽喉笛深くグザと突刺さったのであった。――急所を殺《や》られてそのままこと断《き》れた由蔵の屍骸《しがい》を見捨てて、樫田武平は怖ろしい迄緊張した気持で変装に取かかった。かねて目論《もくろ》んで置いた通り、彼は咄嗟《とっさ》の間にも順序を忘れずに、女装の鬘を被った。
そして再び由蔵の部屋へ降りて、由蔵の着衣を脱ぎ捨てると、彼は裸体のまま右手にはフィルムの入った黒い風呂敷を提《さ》げて、大胆にも梯子を伝って釜場に降りた。そして女湯の扉口《ドアぐち》へ行こうとした、ちょうどその時彼は其処で湯屋の女房とばったり鉢合《はちあわ》せをしたのみか、ちょっと見咎《みとが》められたのであった。さすがに、これには彼もぎょっとしたが、いかにも柔い嫋々《なよなよ》しい彼の体は、充分に心の乱れた女房の眼を欺瞞《ぎまん》することに成功した。
そして、彼は、素早く女湯の扉口《ドアぐち》から中へ入って、自分が殺したお照の屍体の側を過ぎて脱衣場へやって来た。それから先、お照の着衣をつけて、下駄を穿《は》いて、何喰わぬ顔で見張りの警官にも怪しまれずに戸外へ逃走《とうそう》する迄は、難なく行われたことであった。
が、如何に緻密《ちみつ》の計画と、巧妙の変装を以てしても、白昼《はくちゅう》の非常線を女装《じょそう》で突破することは可《か》なりの冒険であった。
――樫田武平が捕縛《ほばく》されるに到ったのも、すべてこの最後の冒険に敗れたがためであった。
さて、かくして怖るべき「電気風呂」の怪死事件は、犯人の捕縛と共に一切《いっさい》闡明《せんめい》されるに到った。
やがて、あのフィルムは、警視庁へ移送されてその犯罪捜査に携《たずさわ》った一同の役人並に庁内《ちょうない》主脳者《しゅのうしゃ》の前で、たった一度だけ試写された。
が、凡《およ》そ其試写会に立会った程の人々は、期待していた若き一婦人の断末魔《だんまつま》の姿を見る代りに、ま白きタイルの浪の上に、南海の人魚の踊りとは、かくもあるかと思われるような、蠱惑《こわく》に充ちた美しいお照の肉体の游泳姿態を見せられて、いずれ物言わぬ眼に陶然《とうぜん》たる魅惑《みわく》の色を漂《ただよ》わしていたもの
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