いろ》の入墨《いれずみ》のように、無気味《ぶきみ》で、ちっとも動かない。また動くわけがないのだ、それだのに、けさ方《がた》、二時二十分にあの電気看板が、ほんの一秒間ほどパッと消えちまったのだ。そのあとは又元のように点《つ》いていたが……。停電なら、外《ほか》に点《とも》っている沢山の電燈も一緒に消えるはずじゃないか。ところが、パッと消えたのはここの電気看板だけさ。二時二十分にふみちゃんが殺される。電気看板がビクリと瞬《またた》く――気味がわるいじゃないか。僕は、はっきり言う。あの電気看板には神経があって、人間の殺されるのが判っていたのだ。そして僕にその変事《へんじ》を知らせたのに違いないんだ。あんな怖ろしい電気看板は、今日のうちに壊してしまわなくちゃいけない」
「オーさん、そのことは黙っていた方がいいことよ」とこの話をきいてから死人のように真蒼《まっさお》に[#「真蒼《まっさお》に」は底本では「蒼蒼《まっさお》に」]なっている鈴江が、皺枯《しわが》れた声を無理に咽喉《のど》からはき出すようにして叫んだ。「その話はオーさんの挙動に、ある疑いを起させるばかりに役立つわ。あたいは、なにもかも知っているのよ。たとえば、死んだ春ちゃんとあんたが、密会の打合わせをあの電気看板の点滅《てんめつ》でやっていたこともよく知ってるわ。さア今更《いまさら》驚くに当りやしない。春ちゃんは、毎晩十二時になると、あの電気看板のスイッチを切ったり入れたりして、電信のような信号をすると、ご自分の家の屋上でその信号を判断しては、その夜更《よふ》け、ここのうちの裏梯子から三階の屋根裏の物置へあんたが忍んで来るのだったわネ。電気看板の信号なんかは使わないけれど、其外《そのほか》は丁度《ちょうど》このごろ、あんたとあたいが繰《く》りかえしている深夜のランデヴウみたいにネ。まあ、くやしい。どうして忘れるもんか、あの春ちゃんが殺される日、あたいは屋根裏の物置の中に鼠かなんかのように蠢《うご》めいている[#「蠢《うご》めいている」は底本では「蠢《うごめ》めいている」]あんた達を見せつけられて、あたし……。オーさん。今の話をすると、とんだ騒ぎができますよ。黙っているのよ、わかって」
「春ちゃんを殺したのは、僕じゃない。ふうちゃんを殺したのも、亦《また》僕じゃないんだ」
「そんなことを訊《き》いているんじゃないじゃないの。いやあなひとね。ここの中にはそりゃとても怖ろしい人が居るのよ。人間の生血《いきち》でも啜《すす》りかねない人がネ。今にわかるわ、畜生」
「すうちゃんは、人殺しをやった奴を知っているのかい」
 新しい客がドヤドヤと扉《ドア》のうちへ流れこんで来て、岡安の隣のボックスを占領してしまったので、きわどい話も先ずそれまでだった。
 その日の午後四時になって警視庁へ大学からの報告が届くと、捜索方針《そうさくほうしん》が一変した。朝から拘引《こういん》されていた給仕長の圭さんと、コックの吉公とが、夕方になって一|先《ま》ず帰店《きたく》を許され、これと入れかわりに電気商岩田京四郎が、検挙《あげ》られてしまった。調べ室は金モールの眩《まぶ》しい主脳《しゅのう》警官と、人相のよくない刑事連中の間に、京ぼん[#「ぼん」に傍点]を挿《はさ》んで場面はいとも緊張している。
 岩田京四郎はなかなか白状しない。しかしそれはもう時間の問題であると係官の方ではたかをくくっていた。というわけは、大学の報告で初めて判った新事実によると、第二の犠牲者ふみ子の死体剖検の結果、兇器を刺しとおしたため出来た傷口の外《ほか》に、それと丁度《ちょうど》相《あい》重《かさな》って、兇器によるとは思われない皮膚と筋肉との損壊《そんかい》状態を発見したことにある。その部は、鋭い爪でひきさいたような形になって居て、尚《なお》そのうえ、皮膚と筋肉の一部に連続的な黄色い燃焼の跡のようなものがある。これはおかしいと更に解剖をすすめたところ、遂にふみ子の死因が、短刀による心臓部《しんぞうぶ》刺傷《ししょう》であると判断せられていたのは大間違いで、実は高圧電気による感電死であり、その高圧電気は、ふみ子の乳下《ちちした》と、万創膏の貼《は》りつけてあった首の後部とに電極《でんきょく》を置かれて放電せられたもので、相当強い電流が心臓を刺し其の場に即死をとげたことが判明した。この驚くべき事実が報告されてみると、警視庁では、第一の犠牲者の春江|惨殺《ざんさつ》事件に於ても同様の手段がとられたものと確信をもつようになった。それは、春江の場合には頸部《けいぶ》に、小さい万創膏が貼りつけられてあったのを覚えている係官が居たことから判って来たのである。ここに電気商岩田京四郎は非常な不利な立場となりカフェ・ネオンの頻繁《ひんぱん》な電気工事の詳細について手厳《てきび》しい訊問《じんもん》が始まった。無論、女給殺しの電気は、何万ボルトという高圧電気を使っている三階のネオンサイン電気看板から、被害者の身体へ導かれたものであり、そうした思い付きや、高圧電気の取扱いは、岩田京四郎を除いて外《ほか》の誰もが出来そうにないことから当然、二回に亙《わた》る電気殺人の犯人として彼が睨《にら》まれたのも致方《いたしかた》ないことであった。
 電気商の京ぼん[#「ぼん」に傍点]が翌日の取調べ続行のため冷い留置場の古ぼけた腰掛の上に、睡りもやらぬ一夜を送った其の翌朝《よくあさ》のことだった。事件急迫のために、宿直室で雑魚寝《ざこね》をしていた係官一同は「カフェ・ネオンに第三の犠牲者現わる」という急報に叩き起されて、夜来《やらい》の睡眠不足も一時にどこへやら消しとんでしまった。第三の犠牲者は、眉毛《まゆげ》の細いお千代だった。捜査係長は、喪心《そうしん》の態《てい》で、宿直室の床の上へ起き直ったまま、なかなか室から出て来そうな気色《けはい》もみせなかった。
 第三の犠牲者のお千代の殺害惨状《さつがいさんじょう》はあまりにも悲惨《ひさん》だった。女給一同は、第二の惨劇以来というものは、カフェ・ネオンに宿泊するのをいやがって、みな別荘の方へ行って寝ることにしていた。ただ気づよいコックの吉公《きちこう》だけは、このカフェを無人《ぶにん》にも出来まいというので、依然として階下のコック室《べや》に泊っていた。しかし室の内部からしんばりをかったりして真昼《まひる》女給たちから小心《しょうしん》を嗤《わら》われたものだ。その夜、お千代は当番で、最後まで店にのこっていたものらしい。勿論《もちろん》彼女は別荘へ帰ってゆくに違いなかったのだが、とうとう其の夜は別荘に姿を見せなかった。事件以来、他へ泊りに行くこともちょいちょいあるので大《たい》して問題にされなかったが、朝になって女給たちが、昨夜《ゆうべ》の疲れを拭《ぬぐ》われて起き出でた頃には、お千代が昨夜かえって来なかったことについて不吉な問題が一同の間に燃え拡がって行った。
「あら、すうちゃんが見えないじゃないの」
 と叫んだ娘がいる。
「昨夜ここへ泊ったわよ、ほら、その蒲団があの人のじゃないの。お小用《こよう》にでもいったんじゃないかしら、だけどこうなると、一々気味がわるいわねえ」
 鈴江の行方については兎《と》も角《かく》も、一方お千代の惨死体《ざんしたい》が、又もやカフェ・ネオンの三階に発見されて大騒ぎが始まった。またしても言うが、お千代の最後は惨鼻《さんび》の極《きょく》だった。彼女はどうしたものか、夜中に開かれた表向きの窓から、半身を逆《さかさ》に外へのり出し、丁度《ちょうど》窓と電気看板との間に挿《はさま》って死んでいた。だから暁《あ》け方《がた》になってようやく通行人が、電気看板の上端《じょうたん》からのぞいている蒼白《あおじろ》い脛《はぎ》や、女の着衣《ちゃくい》の一部や、看板の下から生首《なまくび》を転《ころが》しでもしたかのように、さかさまになってクワッと眼を開いている女の首と、その首の半分にふりみだれた黒髪とを発見して大騒動になった。お千代は晴着をつけたまま殺されていた。矢張《やは》り心臓には短刀がプスリと突きたてられ、警視庁で眼をつけていた万創膏《ばんそうこう》も肩のあたりに発見せられた。すべて同一手法の殺人である。そして電気殺人たることは判っているのにもかかわらず、それを瞞著《まんちゃく》しようとてか短刀を乳房の下に刺しとおしてあるではないか。係官は犯人の嘲弄《ちょうろう》に悲憤《ひふん》の泪《なみだ》をのんだ。そして即時、このビルディングの徹底的家宅捜索の命令が発せられた。
 その取調べの最中に、フラフラとやって来た岡安巳太郎が苦もなく刑事の手にとり押えられたのは、気の毒にも滑稽《こっけい》であった。
「ゆうべ、誰かがカフェ・ネオンで殺されたでしょう、刑事さん、僕は知っとる。だから、こんな化物《ばけもの》のような電気看板は壊《こわ》してしまえと僕は忠告しといたのです。それにひとの言う事を信用しないものだから、又誰かが殺されちまったじゃないか。今度は誰です。え、お千代、千代ちゃんか。すうちゃんはまだ生きていますかネ。可哀《かわ》いそうな千代ちゃん。あの子の死んだのは、やっぱり今朝の二時二十分です。僕はちゃんとこの眼で、現在みていたんだからな。この看板のやつ、また瞬《まばた》きをしやがった、この化物め!」刑事がこの厄介《やっかい》な男を制する間もなく、岡安は路傍《ろぼう》の大きな石を拾い上げると、パッとネオン・サインを目がけてうちつけた。恐ろしい物音がして、サインの硝子《ガラス》が砕《くだ》け、電気看板が壁体《へきたい》からグッと右の方へ傾くと、まだその儘《まま》にしてあったお千代の屍体がぬっと白日《はくじつ》のもとに露出してきたもんだから、見て居た係官や群衆は、わっと声をあげると共に、顔の色を真蒼《まっさお》にしてしまった。その隙《すき》に岡安はとび上って何だかわけのわからぬことを呶鳴《どな》りちらしては暴れていた。「春公《はるこう》の怨霊《おんりょう》め、電気看板に化けこんだって、僕はちゃんと知っているぞ。僕が殺せるんなら、サアここまでやって来て殺してみろ!」彼は電気看板を春ちゃんの死霊《しりょう》と思い誤《あやま》っているのであった。警官は、この気が変になってしまったらしい岡安を手とり足とり連れて行ってしまった。騒ぎがますます大きくなってゆく内に、女給の鈴江と、コックの吉公とが、全く行方不明になっていることが報告された。それ以来、今日《こんにち》に至るまで二人の消息は、警視庁にとどかないのである。警視庁では、その夜、電気商の京ぼん[#「ぼん」に傍点]を釈放《しゃくほう》し、圭さんの嫌疑《うたがい》も晴れた。岡安巳太郎は気がすこし鎮《しず》まったところで、色々と訊問《じんもん》をうけたが、電気的知識に乏しいばかりか、大きい恐怖さえ感じている岡安に、電気殺人ができる筈はないというので、犯人たるの嫌疑《けんぎ》は薄くなった。それに係官は彼のために、電気看板が瞬《まばた》くように見えるのも、その途端《とたん》に電気抵抗のすくない人体《じんたい》の方へ電気が流れるため、電気看板の方には電気が通らぬこととなり、それで一寸《ちょっと》消えるのだと説明してやっても彼には、サッパリ理解がつかなかった。兎《と》も角《かく》も春江|惨殺《ざんさつ》の夜の岡安の行動には、尚《なお》いくぶんのうたがいが残されている。又、彼が、何故《なにゆえ》に、この寒い二時三時という深夜にひとり起きいでて屋上に立ち、カフェ・ネオンの電気看板を眺めくらしているものか、これについて岡安の語るところによると、春江と電気看板の点滅《てんめつ》を合図に逢瀬《おうせ》を楽しんでいたことが忘れられず、今は鈴江と仲のよくなった今日も、毎晩のように十三丁も遠方《えんぽう》から、あの桃色のネオン・サインをうっとり見詰《みつ》めていたそうで、そうした生活が、なにより、彼にとって楽しい時間であり、寒さもなにも感じないと答えた。
 そこでいよいよ取っ
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