、蛙《かえる》のように、平《へい》つくばった男が一人!
「おお、秘密警察隊の司令官ハヤブサじゃないか。どうした、何か事件か」
「はい、一大事|勃発《ぼっぱつ》で……」
「一大事とは、何事だ」
「第一岬|要塞《ようさい》の南方洋上十キロのところにおいて、折からの闇夜《あんや》を利用してか怪しき花火をうちあげた者がございます」
「なんじゃ、闇夜? はて、もう日は暮れていたのか」
「直《すぐ》に、現場を空と海との両方より大捜査いたしてございまするが、何者も居りません、結局、残りましたのは、あの怪しい花火が、前後三回にわたってうちあげられ、附近を昼間のごとく明るく照らしたばかりにございます」
「ふーん。はてな……」
と大総督は、椅子の蔭に平つくばる密偵司令官ハヤブサと、おどろきの眼と眼とを見合せた。
トマト姫
大総督スターベア公爵は、祝酒の酔いが、さめかかったのを感じた。
「おい、司令官ハヤブサ。本当に、のこるくまなく捜索してみたのかね。そして、猫の仔《こ》一匹見つからなかったのかね」
司令官ハヤブサは、蒼白《そうはく》な顔色で、大総督の足許《あしもと》に、身体をこまかく震わせていたが、
「はい、そのとおりでございます。小官はあらゆる捜索機関に命令を下しまして、念入りに取調べさせたのでございますが話のとおり、全く猫の仔一匹どころか、鼠《ねずみ》一匹いないのでございます」
「ほほほほ、それはあたり前の話だわ」
と、とつぜん、横合から、無遠慮に笑いごえをあげたものがあった。
「なにッ」
大総督と司令官とが、こえのする方へふりかえったとき、そこには九つか十ぐらいの、かわいらしい下げ髪の女の子が立っていた。
「なんだ。誰かと思えば、トマト姫か」
トマト姫は名のとおり、顔がまんまるで、そして頬《ほ》っぺたがトマトのように真赤な少女だった。そして金髪のうえに細い黄金の環《わ》でできた冠《かんむり》をのせているところは、全くお人形のように可愛《かわい》い姫君だった。これは大総督スターベア公爵の、たった一人のお嬢さまだった。
「だって、お父さま。海には、鴎《かもめ》だの、飛魚《とびうお》はいても、猫だの、鼠だのはいないでしょう。お父さまたちのお話は、ずいぶんおかしいのね」
「あっ、そうか」
と、大総督は、くるしそうに顔をゆがめ、長い髭を左右にひっぱったが、
「おい、トマト姫。お前はいい子だから、あっちへいって、レビュウを見ていらっしゃい。お父さんは、今、ハヤブサ司令官と大事なご相談をしているときだから、あっちへいらっしゃい」
「いいのよ、お父さま。あたし、もう黙っているからいいでしょう。猫のお話が出ても、鼠のお話が出ても、なんともいいませんわ」
トマト姫は、そういいながら、大総督の膝の間へ小さなお尻を入れ、絨毯《じゅうたん》のうえへ座りこんでしまった。
「どうも、困った奴じゃ」
と、大総督はいったが、眼に入れても痛くないほど可愛がっているトマト姫のことだから、そのうえ叱りはしなかった。彼は、司令官の方をむいて、
「おい、ハヤブサ。お前も、ちと常識のある話をしてくれ。海の中に、猫だの鼠だのがいるような話をしては、娘に笑われるではないか」
といえば、司令官は、眼を白黒して、
「いや、これはうっかりしておりました。何分にも、一刻も早くお知らせしなければならないと思い、それがため、つい周章《あわ》てましたようなわけで……」と弁解して「さて、閣下。今申した怪信号の事件について、閣下はいかなるお考えをお持ちでございましょうか」
大総督は、しばらく眼を閉じて考えていたが、やがて、ぽんと膝をうち、司令官ハヤブサの耳に口をよせると、
「おい、それはキンギン国の仕業《しわざ》にちがいないと思うぞ。お前は、直《すぐ》に秘密警察隊を動員してキンギン国の大使ゴールド女史をはじめ、向うの要人の身辺を警戒しろ」
「はい。かしこまりました」
「わしは、すぐさま戦争大臣に命令を発して、問題の第一岬要塞の南方十キロの洋上を中心として、附近一帯を警備させるから」
「ははっ、それは結構でございます」
「わかったら、早く行け」
「はっ」
「ちょっとお待ち、ハヤブサ司令官」
そういったのは、トマト姫だった。司令官は、立ち上りかけたところを、トマト姫によびとめられ、またその場に跼《かが》んだ。
「はい、なにごとでございますか、お姫さま」
「あのう、ゴールド大使の左の眼が、義眼だということを、あなたは知っているの」
トマト姫は、とつぜん、意外なることをいいだした。
「えっ、それは初耳です。そうでございましたか、あのうつくしい女大使ゴールド女史の左の眼が義眼とは、今まですこしも気がつきませんでした。ははあ、女というものは油断が……」
といいかけて、司令官は気が
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