尤《もっと》も、わしはスパイ禍《か》をさけることなら、上海でもって、相当修業して来ておりますわい」
「それを伺《うかが》って、安心しましたわい」
折から高射砲は、撃《う》ち方《かた》やめとなり、往来はようやく安心できる状態となった。そこで瘠躯鶴《そうくつる》の如きカーボン卿は、樽のかげから外に出て、一応頭上を見上げたうえで、樽のかげの金博士の手を取って、引張り出したのであった。
「さあ、今のうちに急いで参りましょう」
「はて、余はどこへ連れていかれるのじゃな」
「行先は、今も申したように、スパイを警戒いたして申せませぬ。しかし、向うへ到着すれば、そこが何処だかお分りになりましょう。グローブ・リーダーの巻三には、『ロンドン見物』という標題《ひょうだい》の下《もと》に、写真入りでちゃんと詳《くわ》しく出て居ります場所です」
「ありゃ、行先はロンドンですかい」
「ロンドン? あっ、それをどうして御存知《ごぞんじ》ですか。博士は、読心術《どくしんじゅつ》を心得て居らるるか、それともスパイ学校を卒業せられたかの、どっちかですなあ」
「あほらしい。お前さんが今、ロンドン見物の標題で云々《うんぬん》といったじゃないか。お前さんがたのここんところは、連日連夜のドイツ軍の空爆で、だいぶん焼きが廻っていると見える」
そういって、金博士は、自分の頭を、防毒マスクの上から、こつこつと叩いてみせた。
2
ロンドンの地下ホテルの大広間で、国防|晩餐会《ばんさんかい》が催《もよお》されている。
その大広間は、一見《いっけん》ひろびろとしていた。ただ真中のところに、一つの卓子《テーブル》と、それを取囲む十三の椅子とが、まるで盆の真中に釦《ボタン》が落ちているような恰好《かっこう》で、集っていた。そして卓上には、贅沢《ぜいたく》な料理が、大きな鉢に、山の如く盛り合わされ、そしてレッテルを見ただけで酔っぱらいそうな古いウィスキーやコニャックが、林のように並んでいた。
そのとき、広間の北側の扉《ドア》が、さっと左右に開いて、金ぴかの将軍が十二人と、それから肘《ひじ》のぬけそうな黒繻子《くろじゅす》の中国服を着た金博士とが、ぞろぞろと立ち現れて、その設《もう》けの席についた。
「さあ、ぼつぼつ始めましょう」
「各自、お好きなように、セルフ・サーヴィスをして頂きましょう」
ボーイたちは、完全にこの大広間から追い出されていた。しかもこの料理は、五百パーセントの闇値段《やみねだん》で集められた豪華な料理であって、これ全《すべ》て、遠来《えんらい》の金博士――いや、イギリス政府及び軍部が今は命の綱と頼む新兵器発明王の金博士に対する最高の饗応《きょうおう》であったのである。
「さて、早速《さっそく》ではあるが、金博士に相談にのっていただくことにする」
と、座長格の世界戦争軍総指揮官ゴンゴラ大将が口を開いた。
「なるべくなら、この御馳走を全部頂戴してののちに願いたいものじゃが」
金博士は残念そうにいう。
「いや、事が事とて、ぐずぐずして居れないのです」
と、総指揮官ゴンゴラ大将は、かまわず話をすすめる。
「これは今夜はじめて諸君にかぎり発表する最高の機密であるが、実は、わがイギリス軍は、最早《もはや》如何《いかん》ともすべからざる頽勢《たいせい》を一挙に輓回《ばんかい》せんがために、ここに極秘《ごくひ》の作戦を研究しようとしている。それは如何《いか》なる作戦であるか」
と、ゴンゴラ大将は、そこで大いに気を持たせて、一座を見廻した。
(おや、十三の座席は、縁起《えんぎ》でもない)
将軍は、ちょっと顔を曇らせたが、胸の前で十字を切って、
「それは外でもない。十三――いや、諸君、愕《おどろ》いてはいけない。吾輩《わがはい》は、ここに極秘の独本土上陸作戦《どくほんどじょうりくさくせん》を樹立《じゅりつ》しようと思う者である」
一座は、俄《にわ》かにざわめいた。将軍のなかには愕いて、手にしていた盃《さかずき》を取落とす者もあり、嚥《の》み下ろしかけていた若鶏《わかどり》の肉を気管《きかん》の方へ送りこんで目を白黒する者もあった。ただ平然として色を変えず、飲み且《か》つ喰《くら》う手を休めなかったのは金博士ばかりだった。
「独本土上陸作戦、それは英《えい》本土上陸作戦の誤植《ごしょく》――いや誤言《ごごん》ではないか」
「否《いな》、断じて、独本土上陸作戦である」
「ほほっ、ゴンゴラ総指揮官の精神状態を医師に鑑定せしめる必要ありと思うが、如何に」
「いや、もう一つその前に、全国の空軍基地に対し、単座戦闘機《たんざせんとうき》にゴンゴラ将軍を搭乗《とうじょう》せしめざるよう厳重《げんじゅう》命令すべきである」
「その必要はあるまい。なぜといって、ゴン
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング