やく態度を豹変《ひょうへん》し、内面はともかくも表面的には中国に対する同情をひっこめ、そしてひたすら日本の御機嫌をとりむすぶように変った。それはまるで小皺《こじわ》のよった年増女のサーヴィスのように、気味のわるいものだった。
その年の秋が冬に変ろうという十一月の候、例の某大国は日本国民の前にびっくりするような大きな贈物をするというニュースを披露《ひろう》した。それはかつて欧洲大戦の砌《みぎり》、遥々《はるばる》欧洲の戦場に参戦して不幸にも陣歿したわが義勇兵たちのため建立《こんりゅう》してあった忠魂塔と、同じ形同じ大きさの記念塔をもう一つ作って、わが国に贈ろうという企《くわだ》てであった。
正直なところ、わが国民は某大国のこの好意に面喰《めんくら》った。何につけ彼《か》につけ日本の邪魔ばかりをしている憎い奴だと思っていた某大国から、この由緒《ゆいしょ》ある途方もない大きな贈物をおくられて、愕《おどろ》かぬ者があろうか。
その忠魂塔は東京市に建てられることになった。そのために市の吏員は、敷地を公園にもとめて探しまわった結果、S公園内に建てるということに決った。そして大急ぎでもって御影石《みかげいし》の台石《だいいし》を作ることになった。
東京市内では、この忠魂塔のことでよるとさわると話の花が咲くのであった。
「あれで見ると、某大国もやっぱり日本に敬意をもっていないわけじゃないんだね」
「うん、僕も平生《へいぜい》すこし悪口をいいすぎたよ。あの記念塔は写真で見たが、高さが五十メートルもあるというから、とてもでっかいものだよ。塔下の一番太いところの直径が二メートル近くもあるそうだからね」
「ほほう、そうか。たいへんな物だね。そんな大きなものをどんな風にして日本まで持ってくるつもりだろうか」
「さあ。もちろん塔の途中からいくつかに小さく折って持ってきて、こっちで、接《つ》ぎあわすんだろうよ。そのままじゃ、とても船にも載《の》せられないし、陸へあげても列車にも積めないし、町を引張《ひっぱ》りまわすことも出来やしないからね」
そんな話が、あっちでもこっちでも取り交《かわ》されているうちに、更に国民を愕かせるニュースが入ってきた。
それは例の忠魂記念塔を、某大国の一等巡洋艦がわざわざ積んで、日本まで廻航してくるという報道であった。
「本国政府は、この機に際し、親愛なる日本国民に敬意を表さんがため、記念塔を特に一等巡洋艦マール号に積載《せきさい》してお届けすることにしました」
とは、駐日某大国大使パット氏が、新聞記者団を引見して、莞爾《かんじ》として語ったところであった。
その新聞記事を読んだ国民は、更に某大国の厚意に感激した。
しかし一部の識者は、逆に眉を顰《ひそ》めた。
「これはどうも変だね。某大国はこの頃になって急に日本を好意攻めにするじゃないか。忠魂記念塔を新調して贈ってくれるというのさえ大変なことだのに、その上、昨年建造したばかりの精鋭マール号をその荷船として派遣するなんて、ちと大袈裟《おおげさ》すぎると思わないか」
「時局がら新造艦マール号の性能試験をやる意味もあるんじゃないかね」
「そんなことなら、なにも極東まで来なくてもよさそうなものだ。これは何か、日本近海の測量を目的にしているのじゃないかな」
「そんなら何もマール号を煩《わずら》わさずとも、中国艦隊にやらせばいいことじゃないか」
「どうも分らん。しかしマール号の極東派遣をうっかり喜んでいられないということだけは分る」
遣日艦マール号
この遣日艦マール号は、十二月一日、無事|芝浦埠頭《しばうらふとう》に着いた。
出迎えと見物とに集った十万人ちかい東京市民の間を、マール号の陸戦隊員二百名が、例の記念塔を砲車|牽引車《けんいんしゃ》に積んで、粛々《しゅくしゅく》と市中を行進した。
それを見ると忠魂記念塔は、長いままではなく、七つの部分に切断され、一つ一つがそれぞれ前後二台の牽引車によって搬《はこ》ばれていったのである。
派遣部隊の長列は、町の大通りを大きな音をたてて行進し、この塔が建設されるS公園の前を通り、やがて某大国大使館の中に入った。
公表されたところによると、このバラバラの記念塔は、大使館内で荷を解かれ、罅《ひび》や傷の有無を十分に確かめた上で、三日後には華々しくS公園へ搬びこまれ、盛大な儀式が行われることになっていた。
その前夜、大使パット氏は、AKのスタディオから全国中継をもって、忠魂記念塔の到着を披露し、
「――どうか御安心下さい。本国から随伴してきた工廠《こうしょう》技師の厳密な試験によりまして、七個からなる忠魂塔の各区分には、いささかの罅も入っていない実に立派なものであるということを証拠だてることができました。いずれ明日の式場で、これをお目に懸けられるわけでございますが、あとは卓越した日本の土木建築家の手によりまして、足場を組んで建てていただくつもりでございます」
などと挨拶《あいさつ》放送をやって、全国民をまた一入《ひとしお》感激させたのであった。
その忠魂記念塔は、今ではS公園内に天空《てんくう》を摩《ま》して毅然《きぜん》と建っている。そして市民たちは、毎日のようにこの新名所の前に集まってきて、かつて欧州の野に赤き血潮を流した勇敢なる日本義勇兵の奮戦ぶりを偲《しの》んで、泪《なみだ》を催《もよお》しているのであった。
そして今では、一般国民の某大国に対する感情も以前とはことかわり、たいへん穏《おだや》かになったのであるが、果して某大国はわが帝国に心からなる敬愛を捧げてくれているのであろうか。
いや、それは残念ながら、そうではなかったようである。たとえば今、外国密偵団の監視をやっている有名な青年探偵|帆村荘六《ほむらそうろく》が、数日前その筋から示唆《しさ》をうけた話の内容について考えてみるのが早わかりがするであろう。
「某大国の南太平洋における防備は、わずかこの半年の間に、従来の五倍大になった。飛行機、爆弾、燃料、食糧、被服などは、どの倉庫にも一杯になって、中には急造バラックの中に抛《ほう》りこまれているものもある。某大国は明かに日本に対して攻撃姿勢をとっているのだ。わが帝都《ていと》をはじめ、各地の重要地点を一挙にして空爆しようと思ってその機会を狙っていることは実に明かである。しかもこの際最も注意を要することは、かの老獪《ろうかい》なる某大国の作戦計画として、開戦の最も初期において帝都における諸機関を一挙にして破壊し去ろうとしているらしい。われわれの知りたいのは、かの某大国がいかなるところを狙っているかということだ。それが分れば、敵の今後の戦略がかなりはっきり見当がつこうというものだ。帆村君。この際、君の奮起を望むというのも、一《いつ》にこの点に皇国の興廃《こうはい》が懸《かか》っているからだ」
この話で見ると、某大国はキューピーの面を被《かぶ》りながら、その面の下でもって恐ろしい牙を鳴らしているとしか思われない。
こうして某大国の戦意ははっきり読めるのであるが、早く知らなければならないことは、これから某国がとろうとしている実際の攻撃計画がどんなものであるかということだった。東京市についていうなら、一体某大国の爆撃機は、どこどこを狙っているのだろうか。破甲弾《はこうだん》はどことどことに落とすつもりか。焼夷弾《しょういだん》はどの位もって来て、どの辺の地区に抛《な》げおとすのであろうか。また毒瓦斯弾《どくガスだん》はいかなる順序で、いかなる時機を狙って撒《ま》くのであろうかなどいうことが、この際早くわかっていなければならない。
もちろん軍部をはじめ諸官省や諸機関においては、最大の注意力を傾《かたむ》けて、この恐るべき外敵の攻撃を防ぐことを考えている。しかしそれには、敵の手にどんな武器が握られているかを知ることが出来れば、防ぐにも一層便利でもあり、かつ有効な措置がとれるのであった。
帆村荘六は、某大国の機密を何とかして探りあてたいと、寝食を忘れて狂奔《きょうほん》したが、敵もさる者で、なかなか尻尾をつかませない。流石《さすが》の帆村も、ちと腐《くさ》り気味《ぎみ》でいたところ、ふと彼の注意を惹《ひ》いたデマ罰金事件があった。
それは警察署の聴取書綴《ききとりしょつづり》のなかから発見したものであったが、事件は築地の或る公衆浴場の流し場で、仲間同士らしい裸の客がわあわあ喋《しゃべ》っているのを、盗み聞きしていた一|浴客《よっきゃく》が、後にまたそれを他の者へ得々として喋っているところを御用となったものであった。
そのデマによると、当夜浴場の流し場で喋っていた本人は、どうやら左官職らしかったという。彼は仲間連中から、どうも手前《てめえ》はこのごろいやに金使いが荒いが、なにか悪いことをやっているんじゃないかと揶揄《からか》われ、彼《か》の男は顔赤らめて云うには、実はここだけの話だが、この頃おれは鳥渡《ちょっと》うまい儲《もう》け仕事にいっているんだ。毎朝或る場所へゆくと、そこで目隠しをしたまま自動車に乗せられ、一時間半も揺《ゆ》られながら引き廻された揚句《あげく》、変な密室のなかに下ろされる。そこで一日左官の仕事をやっていると、夕方にはまた目隠しをしたまま自動車に乗せられ、元の場所へ帰ってくる。この仕事は気味がわるいが一日七円にもなるので、我慢していっているんだと、いささか得意げに語っていたという。
仲間のものは、その男の儲ける金のことよりも、目隠しをしてどこかに連れてゆかれるという猟奇《りょうき》的な話がすっかり気に入ってしまい、へへえ、それで手前はそこでどんな仕事をしているんだと聞けば、かの男は、それがどうもよく分らない仕事なんだが、とにかく三百坪ぐらいもあるとても広くて天井の高い工場みたいな建物の床を漆喰《しっくい》みたいなもので塗っているんだが、その漆喰が変な漆喰で、なかなか使い難《にく》いやつなんだ。そのために仕事もなかなか思うように進まず、まだ半分ぐらいしか塗っていないという。
すると友達が、その三百坪もあって背の高い謎の工場というのは、どこにあるか、窓から見える外の様子とか、近所から聞える物音とかで、およそここは江東《こうとう》らしいとか大森らしいとか分りそうなものじゃないかというと、かの男ははげしく首をふって、うんにゃそれが分るものかい、その今いった工場みたいな建物には、窓が一つもついていないんだ。全部壁で密閉してあって、電灯が燦然《さんぜん》とついている。物音なんて、なにも入って来ない。深山《しんざん》のなかのように静かなところさと答えた。
じゃあ、どこか地下室なんだろうと友達がいうと、そうじゃない。高い天井を見上げると、亜鉛板《あえんばん》で屋根がふいてあるのが見えるから、地下室ではなくて、これはやはり地上に建っている普通の建物にちがいないと断言したというのである。起訴されたデマ犯人は、これについてなお自分の逞《たくま》しい想像を織り交ぜて喋っていたところから、遂に罰金五十円也の申渡しが与えられたと書いてある。
帆村荘六は、この聴取書の話をたいへん面白く思った。そこで彼は一つの計画をたてて活動に入ったのであるが、始めに述べた築地本願寺裏の掘割における活劇も、実はこのデマ事件からの発展なのであって、堀のなかに投げこまれて大怪我をした吉治は、かの浴場で仲間に、ここだけの話をぶちまけた主であり、警官に見て見ぬふりをさせ、皇国の興廃にかかることとはいえ、この吉治に心ならずも傷害を与えた正木正太という左官こそ、とりもなおさず帆村探偵の仮称《かしょう》にちがいなかったのである。
身代りの探偵
左官正太を名乗る帆村探偵は、巧みに吉治の後釜《あとがま》に入りこんだ。
その翌朝は、親方五郎造から注意されたとおり、午前六時すこし前には早くもこの一団の集合場所である南千住《みなみせんじゅ》の終点に突立《つった》っていた。彼の手には左官道具と弁当箱が大事そうに握
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