。しかし僕はあの建物のが、すくなくとも我が警備関係のものではない証拠をつきとめたのです」
「ほほう、それはよかった。で、その証拠というのは、一体どんなものだ」
大官は眼鏡ごしに、ちらと黒眼を動かした。
「その証拠というのは、臭いなんです」
「えっ、臭いとは」
「臭いというものについて、一般の人はわりあい不注意ですよ。しかし臭いの研究というものは莫迦にならぬものです。日本人が寄れば、なんとなく沢庵《たくあん》くさいといわれます。これはつまり日本人の身体からは、食物の特殊性からくる独特の臭いが発散しているのです。日本人同士では、お互《たがい》に同じ沢庵臭をもっているのでそれと分りませんが、外国人にはそれがたいへんよく匂う」
「うむ、なるほど。で、君は例の仕事場でもって、何か特別の臭いを嗅ぎつけたのかね」
「そうです。僕はトラックを下りて、廊下をひったてられてゆくときに、早くもその独得の臭いに気がつきました。浴場で着物を着がえたりするときにも気がつきました。それから監督の傍によってもその臭いが感ぜられました。断じてあの場所は、日本人の経営している場所ではありません」
「それは大変だ。でもその監督は日本人じゃないのかい」
「中国人ですよ。浴場にいる女も、やはり中国人だと思います」
「じゃ、それは中国人の工場でもあるのかね」
「いや、臭いというやつは、もっともっと複雑です。あの場所の匂いというのがあります。それはどうも、あのチョコレート色の塗料のせいだと思いますが、これは些《いささ》か僕の自信のある研究なんですが、あの建物は某大国関係のものだと思いますよ」
「そうか、某大国か」と大官は大きく肯《うなず》いた。
「それは偉大な発見だが、しかし惜《お》しいことに、この場所が分らない」
「場所は分らぬことはないと思います。明日僕の後を誰かにつけさせ、箱自動車の後を追跡すればいいではありませんか」
「なるほど、そうやればいいわけだね」
大官は莞爾《かんじ》と笑った。
自記地震計
その翌朝のことだった。
帆村探偵はまた左官の道具と弁当箱とをさげて、南千住の終点へいった。
私服刑事からなる別動隊は、帆村の行動を遠方からじっと見守っている。
定刻の午前六時になった。
「変だなあ、誰も来ないじゃないか」
定刻になっても、昨日の顔ぶれは誰一人として集って来なかった。
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