のでぽかぽかと滅多《めった》うち。
 ぐたりと伸びるところを、半纏男は足をもってずるずると堀ばたに引張ってゆき、足蹴《あしげ》にしてどーんと堀の中になげこんだ。
 どぼーんと大きな水音が、闇を破って響きわたった。
 ずいぶん乱暴な行為であった。
 しかし警官隊は、林のように鎮まりかえっている。彼等にはこの暴行者がまるで映らないようであった。
 なんという腑《ふ》に落ちないこの場の光景であろうか。
 暴行者の半纏着の男は、堀ばたに立って、じっと水面を見つめていた。五秒、十秒、二十秒……。
 すると、彼は何思ったか、手にしていたアルミの弁当箱をがたんと音をさせて地上に投げだすが早いか、そのまま身を躍らせてどぼーんと堀のなかに飛びこんだ。
「おーい、しっかりしろ」
 彼は片手に半死半生《はんしはんしょう》の酔漢を抱えあげた。そしてすっかり救命者になって、酔漢を助けながら、のそのそと堀から上ってきた。二人とも泥まみれの濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》であった。
「おーい、しっかりしろ。どうしたんだ。傷は浅いぞ。いまどこかの病院へつれてってやるからな」
 と、しきりに介抱《かいほう》をするのであった。
 堀の中に抛《ほう》りこんだり、それからまた自分も濡れ鼠になって堀のなかに飛びこんだり、実に御丁寧千万なことだった。
 奇怪なのは警官隊の態度だった。映画撮影を見物しているわけでもあるまいし、この暴行を眼の前に見ながら、知らん顔をしているのであった。
 折から一台の空円《あきえん》タクが、スピードをゆるめてこの横丁に入ってきた。
「おい、運転手さん、ちょっと手を貸してくれないか」
 半纏着の男は手をあげて叫んだ。
「おう、どうしたどうした」
「いや、酔払《よっぱら》いが、この堀の中に落っこって、もうすこしで土左衛門《どざえもん》になるところだったよ。だいぶ傷をしているらしいから、その辺の病院まで搬《はこ》んでくれないか」
「うん、よしきた」
 円タクは、濡れ鼠の二人を吸いこむと、そのまま明石町の方へ走り去った。
 すると、軒端に隠れていた警官隊がぞろぞろと出て来た。
「やあ、どうも御苦労さま。署へかえって、熱いものでも一杯喰べようじゃないか」
「じっとしていたんで、風を引いてしまったよ。はっくしょい」
 警官隊は、ぞろぞろと引上げていった。どこまでも奇妙な築地|夜話《やわ》であった。


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