脂です」
「鯨は、魚じゃない」
「そうでしたな。元へ! 鯨は、けだものの脂ですから、石油とはちがって、食べる――いや、飲める理屈であります」
「あはァ、それで、飲むつもりで、かくしていたのか」
「はい。ところが、あのとおり、戦車の中で、あっちへ、ごろごろ、こっちへごろごろごろんとやっているうちに、缶がこわれて、鯨油がズボンの中へ、どろどろと流れだして、こ、このていたらく……」
「なんだ、そんなことか。お前は、幸運じゃ」
「軍曹どの。からかっちゃ、いかんです」
「からかっちゃおらん。もしもその脂がお前のからだから流れ出した脂だったら、今頃はどうなっていたと思う」
「へい。どうなっていましたかしら」
「わかっているじゃないか。そんなに脂がぬけ出しちゃ、お前は今頃は冷くなって、死んでいたろう」
「冗談じゃありませんよ。はっくしょん」
 さっきから、傍《かたわら》で、あきれ顔で、二人の話を聞いていた沖島速夫が、
「ピート一等兵。早く、前をしめろ。風邪《かぜ》をひくじゃないか」
「へーい、指揮官どの」


   氷原


 呑気《のんき》な二人のアメリカ兵には、沖島も、すっかり呆《あき》れてしまった。
 そのうちに、一旦《いったん》とまっていた戦車の天井の、とーん、とーんという音が、また聞えだした。
 とーん、とーん。
「あ、また始まった」
 ととーん、とーん。
「おや、あれは、モールス符号だ」
 パイ軍曹が、急に目をかがやかせた。
「おや、開けろといっている。ふん、生存者はないか。誰か、上から呼んでいるんだ。おれたちは、助かるかもしれん」
 ピート一等兵は、おどりあがった。
「気をつけッ!」
 沖島速夫が、大きなこえで、どなった。
 二人のアメリカ兵はびっくりして、直立不動の姿勢をとった。
「だから、さっきから、僕は、この戦車の扉を開けろといっているんだ。さあ、早く開けろ」
「開けても、大丈夫かなあ」
「大丈夫だ。水の中じゃない。うそだと思ったら、中から信号をして、外には水があるかないか、たずねてみろ」
 沖島は、深度計をみたとき、この地底戦車のまわりが、どんな状態にあるかを、察していた。そこへ外から信号があった。彼は、そのとき、或る覚悟をした。そして二人のアメリカ兵が、鯨油のことで、いい争っている間に、持っていた機銃を、防寒服の中にしまいこんだり、戦車をうごかすのに、ぜひ
前へ 次へ
全59ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング