てカナリヤの小さい扉《ドア》を押したものだ。
 ふりかえってみると、桜《さくら》ン坊《ぼう》のような例の女は、白い腕をしなやかに辻永の腰に廻して艶然《えんぜん》と笑っていた。そして二人の姿は吸いこまれるように格子《こうし》の中に消えてしまった。


     4


 バー・カナリヤで一時間半も待ったろうか。随分永いこと待たされたものだが、私にとってはそう退屈《たいくつ》ではなかった。それはミチ子を傍《そば》にひきよせて飽《あ》くことを知らぬ楽しい物語をくりひろげていたせいであった。出来るなら辻永が永遠にこのバー・カナリヤに現われないことを冀《こいねが》った。辻永が探偵に夢中になっている間にこの女を誘《さそ》い出してどこかへ隠れてやろうかという謀叛気《むほんぎ》も出た。それほど私は、辻永のキビキビした探偵ぶりにどういうものか気が滅入《めい》ってくるのであった。
 そこへ辻永がシェパァードのように勢《いきお》いよく飛びこんで来た。
「大勝利。大勝利」
 彼は躍《おど》り出したいのを強《し》いて怺《こら》えているらしく見えた。
「おいミチ子。今夜は奢《おご》ってやるぞ。さア祝杯だ。山野《やまの》には何かうまいカクテルを作ってやれ。僕は珍酒《ちんしゅ》コンコドスを一つ盛り合わせてコンコドス・カクテルとゆくかな」
「コンコドス? およしなさい。アレ飲むとよくないことよ。それに辻永さん、今夜は顔色がたいへん悪いわよ。どうかして?」
 なるほど辻永の顔色のわるいことは前から気がついていた。変に黄色っぽいのである。
「ナーニ、今日は疲れたのと、喜びと一緒に来たせいなんだよ。――早くもって来い」
「じゃ辻永さんはコンコドス。山野さんはクィーン・ノブ・ナイルがよかない」ミチ子が向うへ行ってしまうと、辻永は待ちかねたように、懐中《かいちゅう》から手帖を出した。それには小さい文字で、いくつもの項目《こうもく》わけにして書き並べてあった。
「君。ちょっとこのところを読んで見給え」辻永は鉛筆のお尻で、そこに書き並べられた標題《ひょうだい》を指した。
 そこには次のようなことが書いてあった。
 ――○ガールの家(夜中に客が居なくなってしまったという不思議な事件が三度あったという)
「これは?」と私は訊《たず》ねた。
「さっきの女のうちに、箱詰《はこづめ》になった青年が三人とも泊ったことが判った。三人とも夜中にいなくなったので覚えているそうだ。遺留品《いりゅうひん》も出て来た」
「ほほう」
「ところがその青年たちは、申し合わせたように近所の薬屋で、かゆみ止《ど》めの薬を買って身体に塗ったそうだ」
「三人が三人ともかい」
「そうなのだ。三人が三人ともだ。それがこの薬屋でかゆみ止めの薬を買って、身体に塗るしさ。女の話では、なんでもその前は全身かゆがって死ぬように藻《も》がいていたそうだ」
「どうしてそんなにかゆがる客をわざわざ取ったのだ」
「イヤそれは、○かゆい[#「かゆい」に傍点](家につくちょっと前から始まる)――なんで、始めからかゆがっていた訳じゃないのだ」
「じゃどこかで拾ってきた客なのだネ」
「これだ。○ストリート・ガール(銀座で引っぱられる)――つまり銀座から、あの場所まで引張ってゆくうちに、かゆくなったのだ」
「どうして、かゆくなったのだ」
「それは後から話すよ」
 ミチ子がグラスを載《の》せてやってきた。
「オイ煙草を買って来て呉れ。それからシャンパンの盃《さかずき》をあげるから、冷《ひや》して用意しといて呉れ」
 辻永はミチ子に向ってたてつづけに用を云いつけた。
「まア景気がいいのネ」
 とミチ子はグラスを二人にすすめると向うへいった。
「さア一杯やろうよ」
「ウン」
「どーだ、これを飲んでみないか。君の口にはよく合うと思うがな」
 と彼は自分のところへ置かれた盃をこっちへ薦《すす》めようとして、又別の声をあげた。
「オヤオヤ。ミチ子の先生、今夜はどうかしているぞ。コンコドスを僕のところへ置かないで君の前へちゃんと置いているじゃないか。莫迦《ばか》に手廻しがいいなア」
 そういって辻永は二つのグラスを横から眺《なが》めた。私の眼にうつったものは、辻永のグラスの黄色い液体、私のグラスの透明な液体であった。
「コンコドスって無色透明《むしょくとうめい》なのかい」
 私は変な酒を飲まされてはかなわんと思って念のために訊《たず》ねた。
「ちがうよちがうよ。コンコドスは黄色いレモン水のようなやつさ。それ、そのとおり……」と彼は私の前の無色透明の酒を指した。
「その方のじゃないか」と私は彼のグラスに入っている黄色い酒を指した。
「イヤ、こんなに褐色《かっしょく》がかってはいないよ」と彼は打ち消して、
「さア乾杯だ」
 彼はキュッとグラスから黄色い液体を飲
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