た。だが燐寸が見つからない。
後ろにいた帆村が立って、燐寸の箱を検事に手渡した。
「私は他にも持っていますから、その燐寸は検事さんに差上げます」
「あ、それはありがとう。……どうだね帆村君。今の人物の印象は……」
「ははは、あの人はどうかしていますね」帆村は軽く笑って「几帳面なのか放縦なのか、はっきりしませんね。そして欲がないようでもあり、またしみったれのようでもある。精神分裂症の初期なんじゃありませんか」
「まさかね」と検事は首をひねった。「しかし戸籍に被害者の庶子のイト子というのがあったとは意外だね。私がそれについて警視庁側から報告を受けたのによると、庶子のイト子なんてなかったんだからね」
「ああそれについては私が弁明します」と大寺警部が口を挾んだ。「高橋刑事をやって調べさせたんですが、とにかく現在の在籍者は、被害者とあの亀之介の両名だけだったそうです。もちろん庶子のイト子なんて見当らんです。しかし高橋の調べて来たのは本籍のある蒲田区役所のもので、あれは戦災で原簿が焼けて新しく申告したものに拠っているんです。ですから厳密にいえば、ちょっと疑問の余地があるわけです。とにかくこの件については、もっと徹底的に調査させましょう」
「ぜひそうして貰いたいね、重要な問題だからねえ」
検事は熱心な語調でそういった。
「それで、次はどうしますか」
警部が帳面をひろげて、次の段取にとりかかった。
「雇人の取調べを一通りやりあげたいね。あとは誰と誰だったかね」
「爺やの芝山宇平とお手伝いのお末です」
「じゃあ芝山の方から始めよう」
警部が手をあげて、警官に芝山をここへ連れて来るようにいいつけた。
間もなく芝山はこの広間へ入って来た。しきりに頭をぺこぺこ下げて大いに恐れ入っているという風を示した。彼は爺やらしい汚れたカーキー服を着て、帽子を手に持っていた。力士のような良い体格の男であった。
「君が芝山宇平さんか」
「はい。さようでございます」
「君は通勤しているのかね」
「はい。さようでございます」
「昨夜は、君はどこにどうしていたかね」
「はあ。家に居りました。夕方六時にお邸からいつものようにお暇を頂きまして、家へ帰りついたのが六時半頃、それから本を読みまして十時頃に寝てしまいました。そして今朝はいつものように六時頃お邸へ参りました」
「それは確かかね」
「はい、確かでございます。なんなら家内にお聞き下されば、よく知れますで……」
「君の住所はどこだっけな」
芝山は市ヶ谷合羽坂の傍にある住所をいった。
「それから、ここの主人が死んでいるのに一番早く気がついた者は君だってね」
芝山は、黙って首を二三度縦にうち振った。
「どうして気がついたか、話してみなさい」
「ええ、ええとそれは……今朝参りまして、庭に出ました。すると旦那様の御居間に電灯が点いています上に、窓の硝子戸《ガラスど》が、一応閉っちゃいますが、いつものように掛金がかかって居りません。つまり硝子戸が平仮名のくの字なりに外へはみ出して居りました。これはふしぎなことでございます。旦那様は戸締を厳重においいつけなさる方で、後にも先にもそんな不要慎な戸の閉め方をなさる方ではありませんでな、わしはたいへんふしぎに思いました」
「なるほど、それで……」
「それでわしは家へ入って、小林さんに、何だか旦那様の御居間の様子が変だぞやと申しましてな、騒ぎだしたようなわけでございます。御居間の戸を開けるのはどうかと思いましたので、一応庭に脚立梯子を立てまして、硝子窓越しに覗いてみました。わしは腰が抜けるほどびっくりしましたよ。なぜって旦那様が首のうしろを真赤にして死んでいらっしゃるんですからなあ、いや、そのときわしは身体が慄えだして、脚立の上から地面へとび下りたものでございますよ」
「それからどうした」
「そこでわしと小林さんは、家へ入ってお手伝いのお末さんも呼び、どうしようかと相談しました。その結果、二階にお休みになっている旦那様の弟御さま――亀之介さまのことでございます――弟御さまを先ずお起ししにかかったんですが、はあどうも、弟御さまは御返事はなさるが一向起きておいでがない。そして段々時間も経ちますので、わしらは困っちまいましてな、そこでとうとう三人で戸にぶつかって錠をこわして中へ入ってみましたんで。あとはごらんになったあの通りでございます」
語り終った芝山は、汗をかいていた。
「主人の死んだことについて、何か心当りはないかね。なんでも正直に申立てるように。誰に遠慮することもいらんから、どんなことでもいってみたまえ」
「はあ」芝山はしばしうなだれていたが「さあ、わしは通勤者じゃで、お邸の夜の出来事にはさっぱり見当がつきませんので……」
「土居三津子という若い婦人を見たことがないかね」
「
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