んと椅子からとび上って、こっちへ急ぎ足でやって来た。検事と警部はびっくりした。
「われわれはうっかりしていましたよ。こんなところにぐずぐずしている場合ではなかったです」
 帆村は気色ばんで、大声でいった。
「どうしたんだ、君……」
「お末をこの前調べましたね。あの時お末がここでお手伝いをしているかたわら、夜は河田町のミヤコ缶詰工場の検査場で働いていると自供したじゃありませんか」
「おお、そうだった」
 検事は呻った。あの調べのときは、お末をも問題視せず、またお末が缶詰工場で働いていることも、彼女がたいへんによく働く人間だと思った外に、別に気に留めなかった。だが今となっては、帆村の指摘する通り、彼女の勤め先が「缶詰工場」であることは非常に重大なる意義があるのだ。
「だから、佐々さんだけに委しておけませんよ。これからすぐにわれわれも出かけましょう。まずお末さんのアパートへ行って家宅捜索をした上で、河田町のミヤコ缶詰工場へ廻ったがいいと思います。きっと何か掴めると思いますねえ」
「そうだ。大寺君。われわれ一同は、すぐ出掛けよう」
「いいでしょう。――で、やっぱり問題の缶詰の中に毒瓦斯がつめてあったという推定で捜査を進めるのですね」
「あ、そのことだが……」
 と帆村が手をあげて抑えた。
「その缶詰の中に毒瓦斯そのものを詰めてあったとは考えられません。もし詰めてあった[#「詰めてあった」は底本では「詰めたあった」]ものなら、缶詰の缶のどこかに、少くとも二つの穴があけられていて、その穴[#「その穴」は底本では「あの穴」]はハンダづけがしてあるはずです。そうしないと、瓦斯をこの中へ送りこむことができないのです。しかしこの缶詰は、ごらんになる通り、穴をあけた形跡がなく、缶の壁は綺麗です。ですから、この缶の中に毒瓦斯そのものが詰めてあったとは考えられないのです」
「なあんだ君は……。君は自分で毒瓦斯説を提唱しておいて、こんどは自分からそれをぶち壊すのかい。それじゃ世話がないや」
 検事は笑った。
「いや、しかし早く本当のことを説明しておかないと、大寺警部の如き真面目で真剣なる方々から後できつく恨まれますからね」
「じゃあどうするんです。缶詰追及をやるんですか、それともそれは取りやめですか」
 警部はいらいらしながら訊いた。
「行くんだ。さあ出掛けよう」
 長谷戸検事は椅子から立上った。帆村もメモをしまって、出掛ける用意をした。
「さあ参りましょう。なんといっても、あの缶詰を追って行けば、この事件はきっと解けるにきまっているんですから……」
 帆村はいつになく広言した。一同は、どたどたとこの部屋から出ていった。それから賑やかさは玄関に移った。三台の自動車が、次々に白いガソリンの排気をまき散らしながら、通りへ走り出していった。そして邸内は急に静かになってしまった。

   意外な行動

 そのころ佐々部長刑事は、旭町のアパート本郷末子の部屋で、夥しい収穫に自ら昂奮していた。というわけは、彼女の部屋から多数の缶詰や空き缶を発見したのであった。そしてどの缶詰も、ふちのところに赤い細い線が入っていた。この線は、素人にはちょっと気がつかないが、専門家にはすぐ目に立つものだった。これは偽造品と区別するためのミヤコ缶詰会社の隠し符号であったわけである。これだけの夥しい缶詰を押収してしまえば、その中にきっと問題の缶詰の兄弟分も交っていることであろう、そしてお手伝いお末が、有力なる殺人容疑者としてフットライトを浴びることになろう――と佐々部長刑事は気をよくしていた。そこへ長谷戸検事たちの一行を乗せた自動車が到着した。佐々は、一行が部屋へ入って来たので、びっくりした。しかし彼はすぐ了解した。そうだ、ここが殺人容疑者の本舞台なんだから、検事一行がここへ移動して来るのはあたり前だと気がついた。
「この通りです。どの缶にも、赤線の符牒がついていますよ。おどろきましたね」
 佐々は、部屋の真中に山のように積みあげた缶詰を指さした。検事は大寺警部に目配せして、それらの缶詰を調べにかかった、指紋をつぶさないように気をつけながら……。
「無いね。無いじゃないか」
 検事は失望していった。
「無いですね。どの缶詰も重いですね。軽いやつは一つもないですね」
 警部も失望の態である。
「空き缶の方はどうだろうか。中が洗ったように綺麗なのがあるかい」
 こんどは空き缶探しにうつった。だがそれも失望を強めたに過ぎなかった。
 問題の空き缶のように中の綺麗な缶は一つもなかった。
「この上は、お末をここへ引張って来て、訊問するんですな」
「うん」
 と検事は考えていたが、
「それは後でもいいと思う。それよりは次のミヤコ缶詰工場へ行こう。あそこへ行けば、問題の空き缶についていた未詳の指紋の主が
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