谷戸検事は警官に目配せして、空いた椅子を前に搬ばせた。亀之介は一礼したが、すぐに椅子には掛けず、すたすたと足早にそこを離れて向うへ行った。どうしたのかと思っていると、彼は飾棚の上から、同型の真鍮製の積み重ねてある古風な灰皿の一つを取り、それを持って引返して来た。そして検事の前の席についたが、持って来た灰皿は窓枠のところに置いた。そこは彼の席から手を伸ばせば十分に届くところだった。
 部屋の隅っこには、さっき鼠の屍骸を持って出て警官へ何かを頼んでいた帆村荘六が最早戻って来て、ゆっくりと煙草をくゆらしていたが、彼はこのとき亀之介を細い目で透かして見ながら、鼻を低く長く鳴らした。
(きちんとした男らしい。死んだ彼の兄の方はだらしない人物らしいが……)
 帆村は心の中で思ったが、果してそれは当っているかどうか。――
「御実兄の異変を、いつ知られましたかな」
 検事は、亀之介へ訊いた。
「ほう。そのことですが……」と亀之介は葉巻の煙が目にしみるか瞬きをして「雇人たちはずいぶん早くから私の室の戸の外まで来てそれを知らせたそうですが、実のところ私はそれを夢心地に聞いていまして――昨夜は呑みすぎましてな――本当にはっきりとそのことを知って目が覚めたのは、今から一時間ほど前なんです。すぐ起きようと思ったが、躰の節々[#「節々」は底本では「筋々」]が痛くてどうにもならず、それでこんなに遅く現われたという次第です。どうぞ御賢察を煩わしたい」
 そういうと亀之介は慌ててハンカチーフを左手で取出して、自分の口へ当て、変な声を出した。
「昨夜から今朝までの間、あなたは何をして居られたか、一応ご説明願いましょう」
 検事は落着いた同じ調子で訊いた。
「昨夜から今朝までの私の行状ですな。それなら至極簡単ですよ。昨夜は東京クラブで君島総領事の歓送会がありましてね、ご存じでしょうが君島君は学校の先輩でして……それでクラブはすごく賑かなことになりましてね、結局私がクラブを出たのが午前一時半頃でしたよ。いやあ呑みましたね、六七時間呑みつづけでしたからね。さすがの私も二度ばかり尾籠なことをやって伸びていましたがね、今日は躰が私のもののようじゃないようです」
 亀之介は、たびたびハンカチーフを口へやった。
「それで帰宅せられたのは何時でしたか」
「さあ、私はそんなことを気にしなかったもんで正確なことは覚えてい
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