いけない。
「煙幕放出用意。第一号から第五号まで、安全※[#「合/廾」、第3水準1−84−19]《あんぜんえん》抜け」
「はい」
 オルガ姫は、忠実だ。
「はい。第一号から第五号まで、安全※[#「合/廾」、第3水準1−84−19]抜きました」
「よろしい。上昇始め」
「はい、上昇始めます。深度八十、七十六、七十四、七十二……」
 オルガ姫は、早口で深度を読む。
「……深度十二、十一、十、九、八……」
 深度が五となったとき、私は煙幕放出を号令した。そして直ちに、逆に降下を命令した。
 ぶすッ、しゅう、しゅう。
 はち切れたような音だ。煙幕筒の第一号から第五号までが、海面で口を開いたのであった。これにより、おそらく十秒とたたないうちに、クロクロ島は、灰色の煙幕でもって、すっかり隠されてしまうはずであった。
 わが潜水艇は、反転して、石のごとく、海底めがけておちていく。
 私は耳をすましていた。米連艦隊の砲撃が、ぱったりと杜絶《とだ》えたのを確認した。
(うまくいったらしい。とうとう、クロクロ島は、煙幕の中に、見えなくなったのにちがいない)
 私はほっと一安心して、なおも海上の様子をうかがっていた。そのころ、艇は水平にもどって、同じ水深のところを、ぐるぐると環をかいてまわりだしたのである。


   嗚呼《ああ》、クロクロ島!――一発の水中榴弾


 クロクロ島が煙の中に見えなくなったので、今ごろはさぞ米連艦隊の連中を、まごつかせているだろう。私は、そのように考えていた。
「オルガ姫。もう一度艇を上昇させて、煙幕の端の方から、テレスコープを出してみろ」
 私は、命じた。
 クロクロ島なら、いろいろと素晴らしい光学器械が備えつけてあるが、この魚雷艇は場所が狭いため、いくらもいいものが付いていない。
 艇は上昇して、再び水深二メートル位へ上った。テレスコープが、そろそろとくりあげられる。――音はなんにも聞えない。もちろん、砲声も銃声も聞えない。林のごとく静かである。少し気味がわるくなった。
 テレスコープが、波の上に頭を出した。とたんに、私の頭の中に入ってきた光景は、前方千メートル位のところに並んだ米連艦隊の偉容であった。クロクロ島を中心にして、ぐるっと取り巻いている様子である。なんというものものしい光景であろうか。
 感嘆の心は、まもなく、はげしい憤りに変った。
 だだん。どうん、どうん。
 とつぜん、また砲撃が始まった。猛烈な砲撃である。今度は主砲を撃ちだしたものと思われる。クロクロ島付近に集る夥しい砲弾の雨! 海上も海底も、ひっくりかえるような騒ぎである。
「どうしたのかな。せっかく煙幕を張って、クロクロ島を保護してやったものなのに……」
 と、私は意外の感にとらわれた。
 クロクロ島は、やはり煙幕にとりまかれていた。しかるに、その上に、米連艦隊の砲弾は集中しているのであった。煙幕はあれど、さっぱり役に立っていないことが、明らかになった。すると、米連艦隊は、煙幕をとおして、標的の実体を見分ける特殊な測距儀をもっているのであろう。
「しまった!」
 私は、歯ぎしりを噛んだ。だが、もう遅かった。
 私は潜水艇を再び沈降させ、水中を見廻したが、赤外線望遠鏡の奥に、クロクロ島が、巨体を傾斜したまま、横すべりに沈没していくのが見えた。
「ああっ、タンクをやられたな。海水が、やっつけられたタンクの中に、どんどん浸入しているらしい」
 沈没速度は、見る見るうちにはげしくなり、そしてクロクロ島は、ついに、海底に突きこんだ。乾泥が、高速度映画のように、海水の中に、緩《ゆるや》かな土煙をたてる。千切れた海草が、ふらふらと舞い上っていくのが、爆風で跳ねあげられた人間のように見える。
 クロクロ島の中にいる筈の久慈たちは、一体なにをしているのであろうか。その前、クロクロ島は、巡航中の米連艦隊の鼻の先を、悠々と漂流していたという。それは、正気の沙汰ではない。久慈たちは、なぜその前に、救助信号を出さなかったのであろうか。そう考えてくると、久慈たちは、既にクロクロ島の中で、死んでしまっているのではあるまいか。なぜ、そんな重大な事態を惹き起したのであろうか――と、私は頭脳の中を、いろいろな考えが、走馬灯のようにぐるぐると駈けまわる。
 ああ遂に、超潜水艦は、沈没し去ったのだ。南半球において重大使命を果すはずのクロクロ島が、その機能を失ってしまったのだ。作戦は、一大くいちがいを起した。祖国日本にとっては、事態はまた更に一歩、険悪化した。クロクロ島の設計者であり、そして、つい先頃までは、その中に起伏していた私としては、こんなに残念なことが又とあろうか。私は、クロクロ島のまわりを、張りさけるような胸をおさえつつ、一周した。
 そのときであった。
 赤外線望遠鏡の中に、突如として、怪影を認めた。
「ああ、潜水艦だ!」
 潜水艦が一隻、こっちへやってくる。正しくそれは、米連艦隊に属する潜水艦である。それは多分、クロクロ島の最期をたしかめに来たのであろう。いや、クロクロ島の正体を、調べに来たのかもしれない。これは、たいへんである。折角作りあげた秘密艦クロクロ島のことを、知られてしまってなるものか。
「よし、あの潜水艦を、このまま帰さないことにしよう」
 私は咄嗟《とっさ》の間に、決戦の覚悟をきめた。折柄、クロクロ島の沈没しているあたりは、煙のような乾泥がたちこめ、咫尺《しせき》を弁じなかった。私はその暗黒海底を巧みに利用して、その物陰から、敵の潜水艦に向って、一発の水中榴弾を撃ちだしたのであった。命中するか、それとも外れるか。もし外れるようなことがあれば、敵に勘づかれて、私は非常な不利な状態に落ちこまなければならない。私は、水中榴弾《すいちゅうりゅうだん》の炸裂するのを、じっと待った。


   舵器損傷《だきそんしょう》!――本艇は沈下しつつあります


 じじじン、じじじン
 水中を、爆発音が波動してきた。敵の潜水艦の艦橋付近に、見事に命中したのだ。アンテナが吹き飛ばされるところが、まるで蝦《えび》が触角をふりたてているように見えた。
 つづいてもう一発!
 今度は、敵潜水艦の水中聴音器の振動板に、気持よく命中した。潜水艦は、もちあげられた。そしてくるっと腹を上にして、一回転した。夥《おびただ》しい泡が、艦内からぶくぶくと浮きあがるのが見える。
「おお、うまくいったぞ」
 私は思わず大きい声をあげた。まずこれでクロクロ島の仇討を、見事一本、とったつもりであった。
 最初にアンテナを狙い、次に水中聴音器を壊す。こうすれば、この潜水艦は、急を艦隊に告げる遑《いとま》もなにもありはしないのだ。
 そこで私は、ちょっと気をゆるませた。自分でも、その際、無理もないことであったと思うが、それがいけなかった。いつの間にか、わが魚雷型潜水艇の背後に、敵の別な潜水艦が忍びよっていたことには、気がつかなかったのである。小型だけに、多種のいい光学兵器をつみこめないのが、この潜水艦の欠点であると思っていたが、その欠点が、ここに破綻《はたん》を生じたのである。
「舵器が、壊れました!」
 と、オルガ姫が叫ぶのと、艇が今にもばらばらに壊れるのではないかと思うほど、はげしく鳴動《めいどう》を起すのと、同時であった。
「えっ、原因は何だ?」
 と、私は叫んだが、オルガ姫は、
「舵器《だき》が、壊れました!」
 と、同じ言葉をくりかえすばかりである。
 私は反射的に、赤外線望遠鏡に目をあてて、視野を切りかえた。すると、鏡底《きょうてい》に、敵の潜水艦の巨大な舳《へさき》が現われたと思うと、さっとレンズの前を横ぎって消えたのを認めた。
「あっ、別な敵だ。背後から襲撃しやがったんだな。オルガ姫、いま背後を掠《かす》めて通ったやつを追いかけろ」
「はい」
 オルガ姫は、素直にそう答えた。
 しかし私はすぐさま、自分の出した号令の無意味さに気がついた。敵を追いかけろといっても、舵器がこわれてしまったのでは、どうにもならないのだ。わが潜水艇は、水中を走りだした。ただ、走りまわるだけであった。見当も何もあったものではない。わが舵器を壊して得々たる敵の潜水艦に、復讐《ふくしゅう》の一弾を見舞うどころの騒ぎではないのだ。
 事態はわれわれに、いよいよ不利となってきた。
「どうなるのだ、これから……」
 さすがの私も、ちょっと不安な気持になった。うっかりしていると、このまま岩礁にでも舳《へさき》を激突させ、不本意な自爆をやるようなことにならぬとも限らない。いや、限らないどころかその虞《おそ》れが、充分にあるのだ。
「オルガ姫、急いで速度を下げろ。時速十キロまで下げろ!」
 私はついに、そう命令せざるを得なかった。いや、考えるまでもなく、いまわが艇は危険な状態に置かれているのだ。
「はい、速度下げます。只今、三百五十キロ。はい、三百四十、三百三十……」
「あ、そんなことじゃ駄目だ。もっと下げろ。最大急行で、下げろ」
「はい。最大急行で下げます」
 私は次の瞬間、目の前がまっくらになるのを感じた。ものすごい頭痛が、私を苦しめた。――そして嘔気を催した。あまり急いで、速度を下げたからである。慣性緩和枕を、頭のところに取りつけてあったけれど、こんなものは、何の役もなさなかった。
「……時速二十、時速十五、時速十。時速十になりました」
「よ、よろしい」
 私はやっと、それだけの言葉を吐いた。全身は汗でびっしょりである。関節がぴしぴしと痛む。今にも頭が割れるかと思った。
 頭痛だけは、すこし緩和《かんわ》した。
「あーっ」
 私は溜息《ためいき》をついた。
「あーッ。レモン水を……」
 私は、うわごとみたいに云った。
「レモン水は、ありません」
 と、オルガ姫がこたえた。
「深度が、自然に殖《ふ》えていきます。本艇は、沈下しつつあります」
「えっ、沈下? そいつは、いけない。どうにかしろ、おいオルガ姫……」
 とまで、云ったことを覚えているが、そのあとは知覚を失ってしまった。


   最悪の事態来る!――X大使よ力をかしてくれ


 オルガ姫の饒舌《じょうぜつ》に、私ははっと気がついた。
「うるさいな、しずかにしろ」
 私は半ば無意識で、オルガ姫を叱りつけた。
 でも、オルガ姫の饒舌は、停らなかった。
「おい、しずかにしろというのに……」
 何といっても、オルガ姫はお喋りをやめない。
「……鎖が、また一本切れました。あ、また別の鎖が二本本艇の胴を巻きました。深度五十四、五十三、五十二、五十……」
 私はやっと、完全に意識を取戻した。
(鎖だって……)
 なにが、オルガ姫に鎖の話をさせているのであろうか。本艦の胴中に、鎖が巻きついて、どうしたというのか。まるで見当がつかないことが起った。
 私は視力の弱った眼を、しきりに瞬《またた》きして赤外線望遠鏡をのぞいた。そしてようやく、本艇の付近で今、何事が起りつつあるかを諒解《りょうかい》した。いや、たいへんである。いつの間にか、わが艇の胴のまわりには五、六本の太い鎖が、巻きついているのであった。その鎖を、だんだんと上に辿《たど》っていくと、四、五十メートル上に、巨大な船底が、天井のようになって、視界を遮《さえぎ》っていた。鎖は、その巨大な船から、繰り下げられているのであった。
「……深度四十八、四十七」
 オルガ姫の声が、改めて私の注意を揺り動かした。
「これはいかん。わが艇は、何者かの手に捉えられ、今、どんどん水面に吊り上げられていくのだ。ぐずぐずしていると、もう二度と、自由な身になれないぞ」
 私は、金槌《かなづち》で、頭をガーンと殴られたような気がした。黒馬博士ともあろうものが、敵の捕虜にはなるし、魚雷型快速潜水艇を、そっくり取られてしまうし、それに、この分では、クロクロ島の秘密まで、知られてしまうであろう。これでは全く話にならぬ。なんとかして、この急場を取り繕《つくろ》って、逃げ出さねばならない。
(どうしよう。どうすれば、彼等の手から、逃げ出せるであろうか)
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