がみでないと思う。
 そんなことを考えているとき、入口ががちゃりと鳴って扉《ドア》があいた。銃剣をもった衛兵が、扉をひらいたのだ。
(おお、司令長官ピース提督だな)
 私は提督をおどかすつもりで、あえて提督の椅子から立とうともせず、その廻転椅子をぎいぎいいわせていた。
 扉をしめた提督は、ふと気がついたらしく、後をふりかえった。無髯《むぜん》の提督の顔は、不審そうに歪んでいた。そして彼は、呟いた。
「はあて、なにが、ぎいぎい鳴っているのだろうか」
 そういって、提督の眼は、たしかに私の方にそそがれていた。
「はあて、あそこに、廻転椅子が、ひとりでぐるぐる廻っているが、どうしたことじゃろうか。たしかに、あの椅子が、ぎいぎいと音を立てているが……」
 さすがに提督であった。おどろいてはいるが、大きなこえも出さなかった。
 だが、そのとき、私は、
(おや、へんだな。提督は、へんなことをいったぞ)
 と、不審にぶつかった。――提督は、廻転椅子が廻っているといったが、廻転椅子は見えて、私は見えないのであろうか、そんなことがあろうと思われない。
(ひょっとすると、提督は、わざと私が見えないような風を装っているのではなかろうか。つまり、提督は、私に弱味を見せないために……)
 私の方は、いざとなったらX大使が助けに出てくれると思うから、気がつよい。――そこで私は、椅子から立ち上って、提督の方へ近づいた。
 すると提督は、安心したような表情になって、
「おお、椅子は、ぴたりと停っている。余は、なにか思いちがいをしたらしい」
 提督には、本当に私の姿が見えないようである。そうなると私は、反《かえ》ってどきどきしてきた。私は、ことさら足音たかく、提督のまわりをどんどんと歩いてみた。
 俄然《がぜん》、この効目はあった。
「ややややッ、足音だ。誰かの足音だ。息づかいも聞える。はてな、これはへんだ」
 提督は、非常に愕いた様子であった。そして入口の扉の方へいこうとするから、私はそれをさせてはならぬと思い、
「ピース提督、おさわぎあると、貴官の生命《いのち》を頂戴いたしますぞ」
「ええッ! 誰だ、そういう声の主は……」
「温和《おとな》しく、貴官の椅子に腰をおろされたい。ちと伺いたい話があるのだ」
「おお、声だけは聞える。息づかいも、聞える。しかるに姿は見えない。君は、何者だ。姿を現わせ!」
 ピース提督は愕きに負けまいとして、あぶら汗をかいて頑張っているのが、私にはよく分った。
 私はいつの間にか、透明人間になっていたわけである。X大使はよくこれと同じことをやって、私を愕かせたものである。今それを私がやっているわけだ。ふしぎだ。ふしぎはふしぎであるが、なんという愉快なことであろう。こっちは絶対優勢、向うは白旗をかかげるほかはない。
 そのとき提督は、自分の席についた。彼の顔はなんとなく、生気をとり戻したようだ。
「さあ、余は腰をかけた。君もその椅子に、腰をおろしたまえ、四次元の人!」


   四次元跳躍術《よじげんちょうやくじゅつ》――大東亜共栄圏から


 四次元の人!
 ピース提督は私に対して、そうよばわった。
(ああ、四次元の人!)
 私はそのことばを、青天の霹靂《へきれき》のごとく感じた。
(そうか、四次元の人だったか。うっかり私は、そのことを忘れていたのだ。そうだったか。これは魔術ではなかったのだ。私は今、四次元の世界にとびこんでいたわけか)
 四次元の世界にとびこむとは、知っている人は知っている。知らない人には、これを説明して聞かせることがちょっと、むつかしい。しかし、なるべくわかりやすく、かんたんにいえばこうである。……
 われわれ人間は、三次元の世界にすんでいる。三次元とは、すべての物が、三つの元からできていることで、すべて物には横があり縦があり、高さがある。
 ところが、もし今、横と縦とだけがあって、高さのない世界があると考えよう。横と縦との二次元の世界である。われわれより一次だけ少い世界である。この二次元の世界は、横と縦とだけで、高さがないのだから恰《あたか》も紙の表面だけの世界である。つまり平面の世界である。――これに反して、われわれの三次元世界は、立体の世界だ。
 二次元の世界に、生物がすんでいたとしよう。その者は、われわれ三次元の世界を考える力がない。つまり高さということを全く知らないのだから。紙の表面のことは分るが、その表面から、わずか一ミリメートル上のところでさえ分らないのだ。だから、紙の上に、林檎《りんご》がぶらさがっていても分らない。ただ、林檎を紙のうえへ置いたときは、紙の面に接した林檎のお尻だけはわかる。
 だから、「これが林檎だよ」といえば、二次元の生物は、「林檎は輪の形をしている」と思う。紙と林檎との接したところは、大体《だいたい》輪になっているからである。そこで、人間が、林檎をもち上げると、二次元の世界から、直ちに林檎は消え失せる。ただ林檎の匂いだけは残る。
 そういう訳で、こんどは反対に、四次元の世界を考えることが出来る。四次元の世界は、残念ながら我々は三次元の世界の生物だから、どんな世界だか知る力が欠けている。その世界には、横と縦と高さの外にもう一つ、何か形をこしらえている軸があるのだ。そういう四次元の世界から、われわれ三次元の世界の人間を見れば、それは、われわれ人間が、白紙の上に棲《す》んでいると仮定した二次元の生物を見るのと同じことである。だから、もし私が、いま急に三次元の世界からつまみあげられて、四次元の世界へ移されたとしたら、どうであろう。すると、三次元の人間からは、私の姿は見えないであろう。しかし林檎の匂いが届くように、私の声だけは届くかもしれない。
 ピース提督は、今私のことを、「四次元の人よ」と呼んだが、提督は私を、四次元の生物だと思ったからであろう。
 私は、そうではない。
 だが、謎のX大使こそ、まさしく四次元の生物であると思われる。
 とにかく、私が気がつかなかったのにずばりと看破《かんぱ》したピース提督の科学の眼力のほどを、畏敬しないではいられない。――といって、ここで私が引下がる手はあるまい。私は強いて自分の心を激励しながら、ピース提督に対した。
「提督、貴艦隊はなんの目的をもって、北上せられつつあるか」
 私は、質問の第一矢を放った。司令官は、眼をぎょっとうごかして、
「それは、日本民族を、大東亜共栄圏から、叩きだすことにあるのだ」
「なに、日本民族を叩き出すといわれるか。日本民族を、元の日本内地へ押しこめることではないのか」
「ちがう。日本民族を叩きだすのだ」
「では、叩きだして、どこへ送るのか」
「適宜《てきぎ》に使役《しえき》するつもりだ。家僕《かぼく》として、日本人はなかなかよくつとめる」
「無礼なことをいうな」
 と、私は思わず提督の机上の書類函をとって、机の上に叩きつけた。電報紙は、ばらばらと宙に飛んだ。
「四次元の人、乱暴はよせ。君は、紳士と話しているのだ」
「何が紳士か」
 と私は、また呶鳴《どな》りつけたのだった。
「貴官は、日本民族を、家僕として使役するつもりだといっているのだ。日本民族が、アメリカ人の家僕などになってたまるか」
「おや、君はへんなことに腹を立てるではないか。――いや、日本人が使役されることを好まなければ、余は彼等を海の中になげこむばかりだ」
「云ったな」
 私は憤然として、提督の頬桁《ほほげた》をなぐりとばした。私は、もはやこれ以上、日本民族への侮辱にたえられなかったのである。


   苦悶《くもん》する米提督――欧弗同盟軍に砲門は開けない


「おお、では君は、日本人だったのか。なぜ初めから、そのとおり姿を見せてくれなかったのか」
 提督は、非常な驚愕《きょうがく》を示して、椅子から立ち上った。そして、呻《うめ》くように、
「おお、日本人、たしかに日本人だ。……」
 と云って、手で自分の眼を蔽《おお》う。
 私は悟った。私の姿が、提督の前に現われたのだ。それは全て、X大使の余計なおせっかいであった。このへんで、私の姿を、ピース提督に見せてやろうと考えて、いきなり実行したのであろう。私には何の相談もなかったのだ。私は結局、傀儡《かいらい》である。X大使の手によって、勝手にうごかされている人形でしかない。私は口惜しかった。だが、どうすることもできない。なに分にも、相手は四次元の生物X大使だから……。
 私は観念して、ピース提督の前に立ち、彼がどうするかを凝視《ぎょうし》した。
 ところが、提督は思いの外、周章狼狽《しゅうしょうろうばい》しているのだった。彼は、後ろの壁に、ぴったりと体をつけ、恐怖の眼《ま》なざしをもって、私を見据えた。
「おお黒馬博士。余は、博士に謝罪をするものである」
 提督は、私の顔を見て、黒馬博士だと悟ったのだ――そんなに愕かれる程の私でもないが……。
「おお黒馬博士。余は博士が、四次元の世界に跳躍せられる力があるとは、想像していなかった。先程からの非礼をことごとく詫びる。そして……」
 提督は、ひとりで喋った。
「そして、余は、黒馬博士と識るを得たことを悦ぶ者である。そこで博士よ。余は突然ながら、折入って博士に相談したいことがある。その内容を、はっきりというならば、博士よ、余にその四次元世界への跳躍術をコーチしてくださるまいか。そのために、余はアメリカに有する七千万ドルの財産を、すべて博士に贈ることを、ここに誓う者である。どうです。さあ、イエスと返事をしてください」
 提督は、勘ちがいをしている。X大使にねだるべきことを、私に訴えているのだ。
 もちろん私は、提督の願いを一蹴した。すると提督は、私の真意を勘ちがいして、更に歎願するのであった。
 そのとき、私の耳許に、囁《ささや》いた声があった。
「黒馬博士。ピース提督に、こう云ってみたまえ。“では提督は今直ちに立って、欧弗同盟国軍に対して、砲門を開くだけの決心があるか”と……」
 それは、X大使のこえだった。
 私は、ちょっと無念だったけれど、前からの約束でもあったから、大使のことばを、提督につたえた。
 すると提督は、失心せんばかりに愕いて、
「いや、そんなことは出来ない。それは、絶対に不可能だ」
 X大使のこえが、また私の耳にささやいた。私は大使の代弁者となって、大使のささやくとおりを云う。
“君が、欧弗同盟軍に対して砲門を開くことは、絶対不可能だというなら、こっちも四次元跳躍術をコーチすることは真平だ”
「ま、待ってください。余に、しばらく考える時間をあたえよ」
“ぐずぐずしていられないぞ。副長が、こっちへ来る様子だ”
「あっ、副長が……。ここからは見えない筈の艦内まで、博士は見る力を持っているのか。うむ、愕いた。……が、今しばらく……」
 気の毒にピース提督は、すっかり元気をなくしてしまった。彼はどうしていいかわからないという風に、身悶《みもだ》えしていたが、やがて、やっと決心がついたという顔になって、
「では、こうしましょう。欧弗同盟軍へ砲を向けることは出来ないが、欧弗同盟軍に対し、戦闘を中止するように勧告しましょう。それで、日本も大東亜共栄圏も安泰です。このへんを妥協点として、我慢していただきたい」
 すると、X大使は、急に狼狽したようなこえになって、
“それは賛成できない。平和になってしまうのでは、仕様がない。あくまで、欧弗同盟軍と闘ってもらわないと困る。闘わないというのなら、こっちにも覚悟がある”
「それは無理というものだ。余には、欧弗同盟軍を砲撃せよと命令する権限がない。ワイベルト大統領にいっていただきたい」
“おいおい、呑気《のんき》なことをいっては困る。貴官の話を聞いていると、まるで、ワシントンの海軍省の応接室で、貴官の話を承っているようじゃないか。現在の事態は、そんなものではないぞ。おいピース提督、貴官及び貴艦隊は、いま私の掌中ににぎられていることを知らないのか”
「それは分っている。しかし余には、そんなことはできない」
 
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