れともうまく逃げ終せたのか。
「もっと探せ。おや、その書棚《しょだな》のうしろが、おかしいぞ。黄いろい煙が出ている。やっ、くさい!」
「書棚のうしろですか。よろしい、書棚をのけてみましょう」
二人のこえが、遠のいた。
数秒後、二人の驚いたこえが、再び高声器の中に入ってきた。
「あっ、ここから逃げたんだ。鉄筋コンクリートの壁に、こんな大きな穴が開いている。これは、今開けた穴だ。それにしては、この黄いろい煙がへんだ。合点がいかない」
「わかったわかった。もっと奥の方の壁に、穴を開けているんだ。よオし、二人して、とび込もう」
「待て! とびこむのは、あぶない。この穴の開け方は尋常《じんじょう》でない。相手はたいへん強力な利器《りき》をもっているぞ。とびこんではあぶない」
「だが、もう一息というところだ。では、自分が入る!」
「よせ、あぶないぞ」
「なあに、これしきのこと!」
「あっ、とびこんでしまった!」
と、穴の開き方に、疑いをもらしていた一人の監察隊員は、絶望の叫びをあげた。
それから、更に数分後――
「おっ、この煙は何だ。やや彼奴《きゃつ》の声らしい。ただならぬ声だ。さては、やられたか。――おお、そこに足が見える。待て、今、ひっぱり出してやる。うーんと……」
残った隊員は、力を入れて、同僚の足をとって、穴から曳きだす様子!
「ややッこれは……。首が、とけてしまった! やっぱりそうだ。これはたいへん。噂にきいた超溶解弾《ちょうようかいだん》を使っているらしい。これは危い、すぐ本隊へ知らせなくては……」
隊員の声が、引込むと、とたんに、高声器が割れたかと思うほどの、ひどい雑音がとび出し、そのまま高声器は鳴らなくなってしまった。
私は、深い溜息《ためいき》をついた。
(久慈の奴、ついに超溶解弾を使ったか。使ったのはいいが、一切の証拠《しょうこ》を、あそこに残してこなければいいが……)
私は、心配であった。
だが、いくらこっちで、心配をしてみても、向うのことが、どうなるものでもなかった。私は、一切をあきらめるしかなかった。
私は、スイッチを切った。そしてまた階段をのぼって、夜空の下に立った。
美しい夜だ。
星明りばかりで、他に、なんの灯火《あかり》も見えない。視界のうちには、人工的な一切の光が、存在しないのであった。そしてこのクロクロ島のうえでは、自然はかくも美しいのであった。
光ばかりではない。音さえない。
浪の音さえ、聞えないのである。この島では、打ちよせる浪の音は、たくみに、補助動力《ほじょどうりょく》に使われ、そして音を消してあった。だから、時折、頬のあたりをかすめる微風《そよかぜ》が、蜜蜂の囁《ささや》くような音をたてるばかりだった。――この島では、光と音と、そして電磁波《でんじは》とが、すこぶる鋭敏《えいびん》に検出されるようになっていた。――
かく物語る私とは、何者であろうか?
名乗るべきほどの人物でもないが、もう暫く、読者の想像に委《まか》せておこう。
哨戒艦隊《しょうかいかんたい》――テレビジョンに映った影
時間は流れた。
クロクロ島の夜は、いたく更《ふ》け過ぎて、夜光時計は、今や二十一時を指している。
待っている第三回目の怪放送は、まだアンテナに引懸らないらしい。オルガ姫は、ずっと下に入りきりで報告に上ってこないのであった。
いつもなら、もう疾《とっ》くの昔にベッドに入る頃だが、今宵《こよい》は、なかなか睡られそうもない。
久慈から聞いた遂《つい》に汎米連邦に動員令が出たとの飛報は、私を強く興奮させてしまった。なかなかベッドに入るどころではない。首《こうべ》を巡《めぐ》らせば、今オリオン星座が、水平線下に没しつつある。私は、暫く、星の世界の俘虜《とりこ》となっていた。
階段を駈けあがってくる足音が聞えた。
オルガ姫だ。
(さては、遂に、第三回目の怪放送が、キャッチされたか)
と、私は、古びた籐椅子から、体を起した。
やっぱり、それはオルガ姫だった。
「大至急、下へお下りになってください。この方面へ、怪しい艦艇が近づいてまいります」
「なに、怪しい艦艇が……」
このクロクロ島のあるところは、各種の航路をさけた安全地帯なのである。ところが今、怪しい艦艇が近づきつつありと、オルガ姫は、報告してきたのであった。
怪しい艦艇とは、いずくの国のものぞ。
その詮議《せんぎ》はあとまわしだ。今は、なには兎《と》もあれ、待避《たいひ》しなければならない。私は、椅子から腰をあげた。
「姫、籐椅子《とういす》を、下にもってきてくれ」
「はあ」
「それから、後を頼むぞ」
「はい」
私は階段を、駈《か》け下《くだ》った。
つづいて、オルガ姫が椅子を持って、階段を駈け下りてきたと思うと、彼女はその足ですぐ配電盤のところへ、とんでいった。
複雑なスイッチが、つぎつぎに入れられた。赤や白や緑やの、色とりどりのパイロット・ランプが、点いたり消えたりした。防音壁をとおして、隣室の機械室に廻っている廻転機のスピード・アップ音が、かすかに聞える。
私たちの体は、なんの衝動《しょうどう》も感じなかったけれど、深度計《しんどけい》の指針は、ぐんぐん右へ廻りだした。
室内の空気の臭《にお》いが、すっかりちがってきた、薬品くさい。もちろん、それは濾過層《ろかそう》を一杯にうずめている薬品の臭いであった。
「三隻よりなる哨戒艦隊、東四十度、三万メートル!」
オルガ姫は、すきとおる声で、近づく艦艇を測量した結果を、報告した。
「どこの国の艦《ふね》だか分らないか」
「艦籍不明《かんせきふめい》!」
と、オルガ姫は、すぐに応えた。
「艦籍不明か。どうせ汎米連邦の艦隊だろうが、なんの用があって、こっちへ出動したのかな」
まさか、このクロクロ島が見つかったためではあるまい。
だが、先刻、久慈は、私に向って警告した。
(この調子では、そっちへも、監察隊が重爆撃機《じゅうばくげきき》に乗って急行するかもしれませんよ!)
という意味のことを云った。今、近づいてくるのは、哨戒艦であって、重爆撃機ではないから、話はちとちがう。といって、もちろん、安心はならない。
「二万メートル!」
と、オルガ姫が叫んだ。私は、哨戒艦との距離二万メートルの声を待っていたのだ。
「おお、そうか。では――テレビジョン、点《つ》け! 吸音器《きゅうおんき》開け!」
私は、命令した。
壁間《へきかん》に、ぽッと四角な窓があいた。窓ではない、テレビジョンの映写幕である。静かな海面、すこし弯曲《わんきょく》した水平線、そして、そのうえに、ぽつぽつと浮かぶ三つの黒点――それこそ、近づく三隻の哨戒艦であった。このテレビジョンは、赤外線を受けているので、映写された夜景は、まるで昼間の景色と同様に明るく見えるのだった。
その横では、吸音器が、はたらきだした。ざざざーッと、いそがしそうに鳴るのは、全速力の哨戒艦が、後へ曳《ひ》く波浪《はろう》のざわめきであろう。
映写幕のうえの艦影《かんえい》は、刻々に大きくなってくる。
その三点の黒影は、ぽつぽつぽつと並んでいたと思うと、しばらくすると、どっちからともなく寄って一緒になってしまう。そしてまた暫くすると、離れる。そのとき、一番艦が、左から右へ移り替る。――艦隊は、ジクザク行進をつづけているのだ。
私は、この様子を、じっと眺めていたが、艦隊が、わがクロクロ島の方位を、完全におさえていることを知った。一体、どこで、うまく見当をつけられてしまったのであろうか。
「こいつは、油断《ゆだん》がならないぞ!」
私は、万一の用意をした。
そのうちに、艦影は、映写幕一杯になった。4と記した赤灯《せきとう》が、ふっと消えて、その隣りの3と書いた赤灯が点いた。映写幕上の艦影は、とたんに小さくなった。
が、こんどは、艦影は、どんどん大きくなっていった。赤灯は2が点き、遂に1が点いた。そのころ吸音器から、ぼそぼそと、人の話ごえが聞えてきた。
「一番艦の艦橋《かんきょう》のこえを採《と》れ!」
私は、号令をかけた。
オルガ姫は、どこの国の機関部員にも負けない敏捷《びんしょう》さでもって、しきりに目盛《めもり》を合わせた。――吸音器からのこえが、急に大きく、明瞭《めいりょう》になってきた。
「司令、たしかにこの方位にちがいないのですがなあ」
と、アメリカ訛《なま》りのある英語が!
クロクロ島の秘密――驚くべし十万トンの怪物
さすがの私も、その話ごえを耳にしたときには、背筋《せすじ》がすーっと、寒くなった。
(ふん、やっぱり、そうだったか。汎米連邦《はんべいれんぽう》の軍艦だな)
艦の位置は、今や、ほぼクロクロ島の真上《まうえ》にあるのだ!
「先任参謀《せんにんさんぼう》、測量班へもう一度、注意をうながせ」
「はい」
司令が、命令を出したようだ。
「――測量班、深度測定《しんどそくてい》をやっとるか」
「はい、やっております」
と、崩《くず》れたこえだ。艦底に陣取っている測量班が応《こた》えた電話のこえであろう。高声器が、潮風に湿《しめ》っているようだ。
「やっているか。まだ深度異常は認められないのか」
「はい、一向変化がありません。この辺の海底は、三十メートル内外で、殆んど平らであります」
哨戒艦は、しきりに、水深を測っているらしい。
「島影も見えず、沈下した様子もないとは、変だなあ。――どうだ、水中聴音器で、立体的にも測ってみたか」
「もちろんですとも。しかしお断りするまでもなく、水平方向は一万メートル以上は、指度《しど》があやしいのです」
「そうか。じゃ、引続き測量を行え。――司令、お聞きのとおりです。一向《いっこう》予期した海底異状がないそうであります」
と、先任参謀が、情けなさそうなこえを出した。
私は、深度計を見た。
深度計の指針は、ずっと右に傾いて、深度三十一メートル!
「ふふふ、この辺の海底は、三十メートル内外で、殆んど平らであります――か。なるほど、そのような報告では、お気の毒ながら、宝探しは無駄骨《むだぼね》だろうよ。ははは」
私は、腹の底から、笑いがこみ上げてきた。オルガ姫は笑いもせず、あいかわらず、黙々として、配電盤の前に立っていた。
吸音器からは、また話ごえが洩れていた。
「司令、予定された地点は、もう後になってしまいました。そうです、只今、一キロばかり、行き過ぎました」
「そうか。やっぱり駄目か」
と、今度は、司令が、元気のないこえを出した。
「僚艦《りょうかん》からも、かくべつ、ちがった報告はないんだね」
「そうであります。本艦と全く同様の結果を得ております」
「方向探知局の測定に誤差《ごさ》があったのかな。今まで、そんなへま[#「へま」に傍点]をやったことはないのだがねえ」
「測定の誤差というよりも、測定方法がいけないのじゃないか」
「そんな筈はないのですが……たしかに、こっちの専門家が、苦心して三つの中継局を探しだし、確信のうえに立っているといわれたものですが……」
「とにかく、もう一度、連合艦隊|旗艦《きかん》へ連絡をとってみることにしよう。旗艦を呼び出したまえ」
「は」
それから、小一時間も、哨戒艦隊は、なおも、そのあたりをうろうろしていたようである。だが、私は、彼等の会話を、盗聴《とうちょう》して、これなれば、こっちは安全であるとの自信を高め得た。
なぜなれば、その付近の海底を、いくら探してみても、海底から、とび出したものなどは、発見されないのであった。もちろん、海面を見わたしたところで、クロクロ島の姿が見えるわけのものでもなかった。わがクロクロ島は、完全に、彼等の感覚の外にあったのである。
――というと、まるで魔法使いの杖の下に、かき消すように消えてしまった兎《うさぎ》のように思われるであろうが、そのような、いかさま現象ではない。わがクロクロ島は、ちゃんと現存しているのであった。私が、こ
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