と、ピース提督は、あくまで欧弗同盟軍に砲火を向けることを好まないと、云いはった。
宙吊《ちゅうづ》り戦艦――有りえない奇蹟
私は、X大使の代弁者をつとめながら、妙な感にうたれていた。
X大使は、平和はいけないという。米連艦隊は欧弗同盟軍に対して戦闘を開始せよというのである。なぜ平和はいけないのであろうか。
これは、私の口をもっていっているのであるから、ピース提督には、この言葉が、あたかも日本は、米連と欧弗同盟軍とを衝突させ、自分は両虎《りょうこ》相闘《あいたたか》って疲れるのを待っているようにとれるのであった。その結果は、明白だ。日本は闘わずして、世界を支配することになるのだ。そんなことを、ピース提督が承知する筈がない。
(X大使は、日本を後援するつもりらしい)
私は、一先ず、そういう結論に落着いた。なぜかはしらないが、たびたび私に力を貸したり、今また日本のために、米連と欧弗同盟との間に戦争を誘致しようと、つとめているのであった。
X大使は、しばらく黙っていたが、やがて重々しく口を開いた。
“それを、貴官の最後的回答と認めて、よろしいかね”
私は、そのとおり代弁した。
「博士のお気に入らんらしいが、余には、このような権限はない。重ねて、そうお答えするほかない」
“よろしい。そうはっきり云えば、こっちでも、やりようがある。では、貴官は、そのカーテンを揚げて、海を見られるがいいであろう。提督のために、私は、ちょっとした魔術をごらんに入れる。早く見られよ。さもないと、肝腎《かんじん》のいい場面を逸するであろう”
これを聞いた提督は、ぎくんとしたようであった。彼は強いて平心を装い、カーテンを揚げて窓から外を見た。
“見えるだろう。この旗艦ユーダ号につづく主力艦隊の諸艦が”
X大使のこえは、意地悪い響をもっている。
“さあ、見たまえ。後続艦オレンジ号が、これからどんなことになるか”
私は大使の代弁をしながらも、大使が戦艦オレンジ号に対して何をするのかと、好奇心にかられた。
ピース提督は、今や不安の色をかくす余裕もなく、窓外を注視している。
“さあ今だ。戦艦オレンジ号を見ているがいい”
X大使は、あざけるようにいった。私もまた、その口調を真似て、ピース提督にぶっつけた。
その刹那《せつな》であった。
有り得べからざる奇蹟――提督にとっては、全く有り得べからざる奇蹟が海上において起ったのである。
見よ、戦艦オレンジ号は、とつぜん艦首を水面から持ち上げた。赤いペンキで塗った膨《ふく》れあがったバルジが、海面から現われた。そして、なおも艦首は高く引き上げられていく。甲板では、大騒ぎが始まった。
もう四十五度ほど傾いた甲板を、水兵達は滑りおちまいとして、懸命に舷索や煙突にぶら下っている。恐怖と狼狽《ろうばい》のあまり、海中へとびこむ水兵もいる。そのうちに、艦尾できらりと光ったものがある。それは推進機であった。推進機は、空中で空まわりをしている。戦艦オレンジ号は遂に宙に吊り上げられてしまったのだ。それがX大使の怪力によることは、私によく分っていた。
提督は、驚きのあまり、両眼を大きく見開き、そして大きな息をはいて、窓にしがみついていた。
「わかった。もう、わかった。停められい、黒馬博士!」
しかしX大使は、なおも意地悪くいった。
“これからが、見物なんだ。まだ愕くのは早い。よく見ているがいい”
戦艦オレンジ号は、見えない糸によって宙吊りになってるようであったが、このとき、とつぜん戦艦オレンジ号の艦体が、真中のところから、切断されてしまった。つまり前部煙突のところから後が、切断されて、無くなったのであった。尤《もっと》も、その切断された半分が、海上へ墜落していくところは見えなかったが……。
「あっ、もう、よしてくれ。もう、わかった。お、黒馬博士。これ以上、艦隊のうえに、怪力をふるうのは許してくれ」
“今さら狼狽するのは見苦しいぞ。なぜ初めから、わが申し入れに応じないのか”
そういっているうちに、戦艦オレンジ号の艦隊の半分も見えなくなった。戦艦一隻が、一、二分の間に見えなくなってしまったのである。……
室内では、警報ベルがしきりに鳴っている。そして入口の扉は、破れんばかりに、うち叩かれている。怪事は、果然《かぜん》、米連主力艦隊を大恐慌《だいきょうこう》の中に抛《な》げこんでしまった。
恫喝《どうかつ》代行――人間でなければ彼は何者ぞ?
“ピース提督、改めて聞こう。欧弗同盟軍に対し砲門を開くかどうか”
X大使の、膝づめの談判だった。
「うむ。黒馬博士が、もうこれ以上、わが艦隊に害を加えないと約束されるなら、余は、欧弗同盟軍を攻撃するであろう」
“約束とは、何だ。約束とは、対等の位置の
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