表情になって
「なかなか面倒らしいですね。昨日の午後になって本国へ航空隊の来援を打電していたようですよ」
「航空隊の来援を……。すると何か重大な[#底本は「重大に」、49−下段−1]発見でもあったのかな」
 ドレゴ記者は、商売がら、そういう方へ航空隊来援要請を解釈した。それに対して船長は何も応えず、料理へフォークを使うのに熱中しているように見えた。
 もしもドレゴが、今船長の口を滑らせたことについて正確な解釈をすることが出来たら、彼は食事も何も放り出して、早速南方へ向かう飛行機の提供方を、船長に交渉したことであろうに。
 船長は、或る出来事について沈黙を守っていなければならぬ義務があったのだ。尤《もっと》も船長自身もそれについて詳しい顛末《てんまつ》は知らなかった。ただ、或る重大な事件が昨日来、ワーナー調査団に発生して目下極力善後措置に努力中だとは知っていたが……。
 食事の途中で、この船が午後三時にオルタ港へ入る予定であることが発表された。
 そうなると、ドレゴの胸は怪しく鳴りだした。いよいよオルタへ入るのだ。彼を待っている「崇拝者」と顔を合わすことになるのだ。その「崇拝者」は二度に亙って、彼に対して帰国をすすめた。そして埠頭に花束を持って彼を迎えるであろうと約束した女性にはちがいないと思う。一体、誰であろうか。オルタの町に、美人は多い。彼女はその中の誰であろうか。ドレゴは、かねて彼の胸に灼《や》けついた若い女性たちの顔を丹念に一人づつ思い出してみては、首をかしげるのであった。
 酒場「青い靴」のスザンナであろうか。それとも「極光」のペペであろうか。いや、それでなくもっと高貴な婦人、たとえばプルスカヤ伯爵夫人か、公爵令嬢マリア・ムルマンクか。さっぱり見当がつかないなあ。
 それからそれへと、いくら思い出してみてもこれならばという自信の湧き出る美しい女性を探し当てることはできなかった。ドレゴははげしく昂進してくる自分の心臓に気がつき、吃驚《びっくり》して胸を抑えた。
 解決のつかないままに、船はオルタ港口を入ってしまった。
 ドレゴは、長いオーバーの胸にアスパラガスの小さい枝を挿し遊歩甲板に立って、全身の注意力を埠頭の方へ向けた。彼の眼にはパアサーから借りた六倍の双眼鏡があてられていた。
 船が大きく曲線航跡を描いて七面鳥桟橋へ横付けになる用意の姿勢に移った。埠頭に群れ集まる数百人の男女の群が、はっきりと双眼鏡の奥に吸い込まれた、いろんな顔が重なっている、ドレゴは、早鐘のように打ちだした自分の心臓を気にしながら、美しい若い女性の顔を探し始めた、花束をその顔と一緒に並べているところの……。
「これはたいへんだ」
 ドレゴは呻《うな》った、というわけは花束を抱えている若い女性の数があまりにも多かったから、誰も彼も、美人という美人は花束を持っていたのだ。ドレゴは勇気を鼓して、その美しい顔を丹念に拾っていった。だがどれ一つとして、自分の心当たりのそれがなかった、何遍くりかえして見ても、同じだった。
「ふむ、すばらしいぞ。これは、新しいロマンスの開幕だ」
 この夥しい女性のどれが、自分の胸に香りのいい頭髪を押しつけるであろうか、そう思うと、彼は船を乗り越えてざんぶりと海中に飛入り、桟橋までクロオルで泳ぎつきたい衝動に駆られた。
 ところが、いよいよ船が桟橋について、彼が舷梯を駆下り、花束美人の真只中へ突入してみたところ、意外にも誰一人として彼の胸に花束を持って飛びついてくる女性がいなかったのである。彼はがっかりした。彼は十五分間に、ねたましいほど仲のいい恋人の何十組かを見送って、すっかり気を悪くし、そして疲れてしまった。仕方なく海岸通りの方へ少し歩き出したとき、突然彼の名前が呼ばれ、彼の目の前に飛び出してきた女があった。

  早合点

「おお、エミリー……」
 ドレゴの前へ飛び出してきた女は、チョコレート色の長いオーバに大きなお尻を包み、深緑のスカーフに血色のいい太い頸を巻いた丸々と肥えた年増のアイスランド女だった。彼女はサンノム老人の姪で、水戸なんかの泊っている下宿屋で働いていて、主人のサンノム老人を助けていたのだ。
「エミリー、君か。まさかね」
 ドレゴは呆気《あっけ》にとられて、エミリーの丸い顔を見詰めた。エミリーではないだろう、彼の崇拝者というのは。その証拠に彼女は花束を持っていない、しからば希望は残っているぞ。
 だが、年増女のエミリーは、俄かに口がきけないらしく唇をぶるぶる慄《ふる》わせながら後に隠していた花束を前に出した。ドレゴはあっと声をのんだ。
 エミリーの手には、二つの花束があった。二つのうち、紅い花の数が少ないほうの花束を、ドレゴに手渡しながら始めて口をきいた。
「ドレゴ様、おひとりなんですか。水戸――水戸さんは
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