はっ」
 僕は、太平洋のまんなかで波にゆられながら、恩師の少年時代のうわさを聞こうとは、夢にもおもっていなかった。
「先生は、こんどもやっぱり火星研究のご旅行なんですか」
「なんじゃ、妙なことを聞く男じゃ」
「いや、ちがいましたら、おゆるしください」
「あっはっはっ。なにがちがうどころか。およそわしは、火星以外のことで旅行をしたり、金をつかったりすることは絶対にないのじゃ。君は知らんのか。この五月十八日に、火星はいちばん地球に近づくのじゃ。だから、それを期して、いろいろ興味ある観測をせんけりゃならん。そうでもなきゃ、花陵島なんて、あんな辺鄙なところへ金と時間とをかけて行きゃせぬわい」
「ああ、先生ご一行はやっぱり、僕と同じように花陵島へいらっしゃるんですか」悦びのあまり僕はおもわず大きな声でいったので、博士は眼鏡の奥で、ぎょろりと両眼をうごかした。
「お話中で、おそれいりますが――」
 彼女の声だ。僕はどきりとした。なんといういい香水か、彼女の身体から発散するのが、僕の内臓をかきたてる。
「うん、なんじゃ志水」
「さっき持ってこいとおっしゃったのは、この鞄でございましょうか」
「ああ、
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