おっと、後はおっしゃいますな」とボーイはあいている片手の方で僕の口をふさぐような恰好をして、「いや、ごもっともでございますよ。出港が急に遅れましたのはちょっと訳がございましてな」
「どんな訳だい。僕は何も聞いていないぞ」
 と、僕はどなりつけるようにいった。
「いやどうも。それは相済まぬことで。その訳といいますのが――」といったところでボーイは、急に言葉をとめ舷側越しに桟橋を指さし、「ああ、その訳なるものが、ただいまあれに現われました。ほら、いまブリッジをこちらにのぼってまいります」
 と、ボーイは、なにやらにやにやといやらしい笑い顔をつくった。
「なに、ブリッジを――」と、僕は身体をくねらせて、ブリッジの方を見た。そして口の中で、おおと叫んだ。
 父娘《おやこ》でもあろうか――と、始めはそうおもった。もう六十ぢかい太った老紳士の腕を、その横からピンク色の洋装のうつくしく身についた若い女が支えて、ブリッジをのぼってくる。
 その老紳士は、どこかで見たおぼえのある顔だった。しかし、僕は、それを思いだすかわりに注意力を、その脇にいる若い女性の方にうばわれていた。
(すばらしい女だ)
 東京
前へ 次へ
全31ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング