僕は、博士の手帖をおもいだした。
「サチ子さん。ひょっとすると、これは火星の生物かもしれませんよ」
「ええっ、火星の生物ですって」
「しかし、火星の生物が、轟博士に化けていたとはどういうわけだろう」
 この恐ろしい疑問は、僕がふたたび手帖をひろげて、先刻《さっき》の手記のつづきをよんだ結果、解けた。
 その手記には、こんなことが書いてあった。
「――火星の生物は、高等植物の進化したもので、火星上の動物を支配し、その肉を好む。ちょうど、わが地球とは反対である」
 また、こんなことも書いてあった。
「――火星の生物が、地球へ攻めてくるときには、まず最初われら人間と同形をした耐圧外被をかぶってやってくるであろう。それは人間にちかづいたとき、相手から警戒せられないためだ。これは想像だけではない。現に自分は昨夜、居室の窓外から妙な奴がこっちをうかがっているのを見かけた。そやつは、奇怪にも余と同じ顔をしていたのには、ぞっとした。もしあれが火星の生物だとしたら、余は生命の危険を感じる。なぜなら、そやつは人間界の情報をあつめるため怪しまれることなくわれらの同胞に近づく手段として、いつ余と入れかわらないともかぎらないからである。だが今さら余が騒いでもなにになろう。火星の生物に手向かうことは不可能だ。ただ余は、ここに『死後のメモ』を書きのこして、万一の場合の参考にする」
 尊い博士の手記であった。それが手にはいらなければ、サチ子も僕も、どうなったかわからない。
 火星の生物が、なぜ高等植物の進化したものであるか分らないが、植物であることは、偽博士の身体の中からでてきた草色のどろどろの粘液が、それを証明していると思う。それを疑う人は、そこから一本の草をとってきて、どんな汁が出て来るかねじってみるがいい。
 火星の生物は、サチ子を喰べようとしたのであった。その前に、彼はまず轟博士を喰い、その次に下婢のマリアを喰べたのだ。博士の小屋の裏手にある三本椰子の下、サチ子がみつけたバラバラ死体の埋めてあった所を掘り返してみると、その中から、果然老いた男と若い女と都合二体の骨格や、喰いかけの手足などがでてきたことによっても知れる。
 この事件がかたづいて、僕とサチ子の仲は、急速に近づいた。しかし片づかないものは、地球にだんだん近づいてくる火星のことであった。われわれ二人は、博士の遺志をついでこの花陵島にたてこもり、あくまで火星の生物に対抗しようとかたく誓ったことであった。



底本:「十八時の音楽浴」早川文庫、早川書房
   1976(昭和51)年1月15日発行
   1990(平成2)年4月30日2刷
入力:大野晋
校正:しず
2000年2月21日公開
2006年7月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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