湾を出てからこの方、銀座通りもない海上をこうして小笠原列島の南端にちかい父島までやって来たことだから、若い女なら一応誰でも美人に見えるはずであったが、そんな割引をしないでも、たしかにかの女は美しかった。
「誰だい、あの遅刻組は」
僕は、その女から眼をはなさないままでボーイにたずねた。
「あれが火星研究で有名な轟博士でいらっしゃいます。大隅さんはご存知ないんですか」
そういわれてみると、僕はすぐ合点がいった。そうだ、正しく東京近郊の日野に天文台を持っている轟博士だ。
「あのご両人以外の博士一行は、もうちゃんとこの汽船に乗っていらっしゃるんですよ。ところがけさ宿をお出かけのとき博士が急病になられて、乗船がこんなに遅れたというわけなんで」
「あの婦人は、轟博士の娘かね」
「さあどうですか。私はそこまで存じませんが、立ち入ったお話が、あの方はちょっと別嬪さんでいらっしゃいますな。えへへへ」
ボーイは、ふたたびいやらしい笑い方をして、甲板を向うへ歩いていった。
船内からは、博士を迎えるために、若い男が四、五人現われて、若い婦人にかわって博士を中へ抱えいれた。僕はちょっと、その男たちがうらやましかった。
しかし博士と例の美しい婦人とが、僕の船室の前をとおりこして、すぐその隣室へ入っていったときには、僕は思いがけない悦びに胸がわくわくおどりだしたことを告白しなければなるまい。もっとも、かの婦人は、僕の前を通るとき、いやにつんとすまして通りすぎはしたが。
船は、僕の知らないうちに、波を蹴ってうごきだしていた。
いよいよこれから父島の二見港をあとにして、目的地たる花陵島へといそぐのであった。
花陵島! そこは僕の赴任地なのだ。
僕――理学士大隅圭造は、花陵島にある地震観測所へ、いま赴任の途にあるのだ。その観測所では、飯島君という僕の先輩が、海底地震の観測に従事していたが、さきごろ不幸にも急死した。観測は一日もゆるがせにできないことなので、僕が急いで派遣されることになったのだ。
花陵島は、およそその名前とは反対に、実に荒涼たる小さな島だという。僕は、そこへ同僚の誰もが行きしぶって恩師がたいへん困っているのに同情したのと、それからもう一つは、若気の無鉄砲とによって、自ら赴任の役を買って出たのであった。しかし、汽船《ふね》が父島まで行きつく以前において、すでに僕は東京へ
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