は、どっちも何にもいわなかった。そんなことをいうと、いかにも自分が死刑執行に立ちあって、心をみだしているように、相手に思われるのがいやだったからである。
二人は、連れだって、死刑台の下の地下室へおりていった。
そこにはいつものとおり、補助官が死んだ死刑囚の首から、絞首綱をはずしていた。
「大丈夫かね」
執行官は、補助官に声をかけた。
「はい。うまくいきました。異状なしです」
と、補助官はまったくふだんの調子でこたえた。何か異状か、怪しい人物を見かけたことでも訴《うった》えられるつもりでいた執行官はひょうしぬけがした。
「君は、さっきこの死刑囚のそばへ行ったのか。いや、まだぼくが、死刑囚の足の台をひかない前のことだ」
「いいえ。私は上の準備をすると、ここへおりまして、今までずっとここにいました」
「ええッ。ずっと君はここにいたのか」
執行官はおどろいて、なにげなく教誨師の方をふりかえった。と、そこで教誨師の不安な目とかちあった。教誨師は、小首をかしげて見せた。
「おかしいね。たしかに死刑囚の横あいから一つの人影が近づいたんだ。死刑執行のすぐまえのことだった。そうだねえ、君」
そういって執行官は、教誨師の同意をもとめた。
「そうでした。頭のいやにでっかいやつの影でした。私は、地獄から、閻魔《えんま》の使者《ししゃ》として大入道が迎えに来たのかと思いました」
「ははは、なにをいうですか、おどかしっこなしですよ」
補助官は、二人にかつがれているんだと思って、笑ってしまった。
とにかくその場は、それで一まずおさまった。執行官たちは念のために構内《こうない》を見まわったが、べつに怪しい者を見かけなかったから。もっとも夜もふけていたし、死刑執行もすんだことゆえ、みんな早くその場を引きあげたくて、気がいそいだせいもあろう。
そこで死刑となった火辻軍平の死体は、棺桶《かんおけ》におさめられたのち、そこから遠くないところにある阿弥陀堂へ、はこびいれられた。
この阿弥陀堂は、やはり塀ぎわに建っている独立のかんたんな堂であって、お寺のお堂のような形はしていなかった。しかし中にはいってみると、お寺の本堂そっくりだった。奥の正面には、西をうしろにして木像の阿弥陀如来《あみだにょらい》が立っており、その前に、にぎやかな仏壇《ぶつだん》がこしらえてあった。電灯を利用したみあかしが、古ぼけた銀紙製《ぎんがみせい》の蓮《はす》の造花を照らしていた。線香立《せんこうたて》や焼香台《しょうこうだい》もあった。
火辻軍平のなきがらのはいった棺桶は、この前にはこびこまれ、北向きに安置《あんち》された。それから太い線香に火が点ぜられ、教誨師が焼香し、鉦《かね》をたたき、読経《どきょう》した。この儀式はまもなく終り、一同はこの阿弥陀堂から退出した。
あとは阿弥陀さまと棺桶ばかりとなった。夜はいたくふけ、あたりはいよいよしずかになり、ただ一つの生命があるかのように燃えていた線香も、ついに最後の白い煙をゆうゆうと立てると、灰がぽとりとくずれ、消えてしまった。こうして堂の中は死の世界と化した……。
めりめりッ。とつぜん仏壇の横手の鉄格子《てつごうし》が、外からむしりとられた。太いまっ黒な手が、外から窓へさしいれられた。人間の腕ではない。くろがねの巨手《きょしゅ》だ。
と思うまもなく、醤油樽《しょうゆだる》ほどある機械人間《ロボット》の首がぬっと窓からはいって来た。そしてするすると阿弥陀堂の中へとびこんだ。ああ、あいつだ。例の、怪しい機械人間だ。ダムを破壊した恐ろしい機械人間だった。
なぜあいつは、とつぜんこんなところへ姿をあらわしたのか。
怪物は、電灯を消し、室内をまっ暗にした。その暗がりの中に、めりめりと、板のはがれる音がした。それにつづいて、なんだか知らないが、かちゃかちゃと、金具《かなぐ》のふれあう音がした。ときには、ぱっと火花が一瞬間、室内を明かるくすることがあった。そのとき、ほんの一目であったが、室内のありさまが見られた。
それは異様な光景だった。かの機械人間が、仏壇の方へ前かがみになって、何かしているのだった。壇の上には青白い人間のようなものが横たわっていた。棺桶は片隅《かたすみ》によせられ、蓋《ふた》があいているようであった。それから小一時間のちのこと、ぱっと電灯がついた。ゆれる電灯の灯影《ほかげ》にうつったものは、世にも奇妙な光景だった。
頭部に、まっ白な繃帯《ほうたい》をぐるぐる巻つけた人間と、黒光りの巨大な機械人間とがからみあっていた。そして両者は、例の破られた窓のところへ近づいたと思うと身軽《みがる》にそれにとびつき、すばやく外へ出てしまったのであった。あとに残るは、あらされたる仏壇と、死体のなくなって空っぽになった棺桶だけであった。火辻軍平の死体は、どこにあるのだろう。まことに奇々怪々《ききかいかい》なる事件!
犯人は何者か
火辻の死体が紛失《ふんしつ》したことは、その夜のうちに知れわたり、さっそくこの怪事件の捜査《そうさ》がはじまったが、その解決はなかなか困難だった。
読者諸君は、この犯人なるものの正体を、だいたい察しておられる。しかし当局にはそれがなかなか分からなかった。
分かっていることは、犯人が大力《だいりき》であることだ。そうでなくては、あの丈夫《じょうぶ》な鉄格子のはいった窓をやぶることはできない。
そのほかに何もはっきりした証拠《しょうこ》はない。犯人の足あとを見つけようと思って、ずいぶん探したのであるけれど、それは発見されなかった。もっとも刑務所内は、どこもかしこも舗装《ほそう》されていて、足あとがつかないようにできていたし、塀の外もまた舗装の道路だから、足あとはのこらなかった。
事務所の高い監視塔《かんしとう》にいつも見張りをしていて、脱獄者《だつごくしゃ》があれば、すぐ見つけるようになっている監視員がいる。この監視員も犯人らしいものが、この事務所から脱出していくところを見かけなかった。
監視員の目にふれないで、脱獄することはできない仕事だ。だから犯人はどうして出てしまったのか。あるいはまだ所内にかくれているのではないかと、念入りの捜査が行われた。
その結果、やっと分かったことは、絞首台の下に、死刑囚の死体がおりてくを地下室があるが、その地下室の板壁《いたかべ》の一部がぶらぶらしており、怪しく思ってその板壁のうしろをのぞいてみたところ、そこは、がらんどうになっていた。つまり狭《せま》い地下道みたいなものがあったのだ。それがどこへつづいているのかと、奥へすすんでいくと、やがて地上へ出た。まっくらな場所であるが、たしかに家の中だ。はいあがってよく見れば、なんのこと、それは農家《のうか》の物置《ものおき》だった。その農家の物置は、刑務所から道路をへだてた場所に建っていた。
この抜け道から、犯人は事務所へ出はいりしたことが分かった。
だが、農家でも、こんな抜け道がいつ掘られたのか、だれも知らなかった。それはほんとうと思われた。とにかく犯人がうまくこの抜け道を掘ったのであろう。
犯人は、頭のいいやつにちがいない。事務所の内部で、あまり人の立ちいりがはげしくないところをうまく利用したのだ。死刑は毎日あるわけではない。一年に何回しかないのである。犯人は、そこに目をつけたものと思われる。また、地下道にはやわらかい土がむきだしになっていたので、犯人の足あとは、たくさん残っているものと思われたが、調べた結果は、一つも発見することができなかった。犯人は、そこを引きあげるとき、うしろ向きになって、完全に足あとを消していったのだ。
こういうわけで、犯人は何一つ目ぼしい証拠を残していなかった。何も証拠を残していかないということが、犯人の素性《すじょう》を推理するただ一つの手がかりだと思えた。
いやもう一つ、推理のタネがある。それは火辻の死体を盗んでいったのはなぜかという疑問だ。火辻の遺族の者であろうか。それとも、遺族ではなく、あの火辻の死体が入用であるために盗んだのか。
このことは、すぐには結論をきめるわけにいかなかった。死刑囚火辻軍平の身のまわりをひろく調べあげたうえでなくては分からないことであった。係官は、もちろんこの仕事をその日からはじめた。だがこれは、日数のかかる大仕事であった。
そこで、今のところ、この犯罪事件についてすぐ手をくだす必要がある捜査は、火辻の死体を探しだすこと、犯人らしい怪しい者を見つけることだった。
ところが、紛失した火辻の死体は、どこへ持っていったのか、いつまでたっても発見されなかった。また、手とか足とか、その死体の一部分さえ、どこからも見いだすことができなかったのである。
「どうしているかなあ、このごろの警察は……。迷宮入《めいきゅうい》り事件ばかりじゃないか」
町では、警察の無能《むのう》を非難《ひなん》する声が、日ましにふえて来た。
戸山君たち五少年も残念がって、土曜日や日曜日になると、警視庁へ様子を聞きにいった。少年たちは、ダムこわしの機械人間の行方を早くつきとめて取りおさえないと、これから先、たいへんな事件が起こるであろうと心配しているのだった。しかし五少年は、火辻の死体紛失事件の方の重要性には、まだ気がついていないようであった。
だが、やがてそのことについて五少年がびっくりさせられる日が近づきつつあるのであった。
帰ってきた博士
死刑囚の死体紛失事件があってから、二カ月ばかりたった後のことである。
三角岳附近《さんかくだけふきん》は、急に秋もふかくなった。附近の山々は、早くも衣がえにうつり、今までの緑一色の着物を、明かるい黄ばんだ色や目のさめるような赤い色でいろどった美しい模様のものに変えはじめた。
そのころのある日。
とつぜん谷博士が、この研究所へ戻って来た。
もちろんこの三角岳の研究所は、すぐる日の大爆発でなかば崩壊《ほうかい》し、それにつづいて怪《あや》しい機械人間のさわぎでもって、この研究所はいよいよ気味のわるい危険なものあつかいされ、村人たちもだれ一人ここには近づかず、雨風にさらされ、荒れるにまかされていたのであった。
ただ、この方面の登山者たちの目に、谷研究所の半崩壊の塔《とう》が、怪しくうつらないではすまなかった。
「あのすごい塔は、どうしたんだね」
「へえ、あれは谷博士さまの研究所でございましたがね。なんでも雷《かみなり》さまを塔の上へ呼ぶちゅう無茶《むちゃ》な実験をなさっているうちに、ほんとに雷さまががらがらぴしゃんと落ちて、天にとどくような火柱《ひばしら》が立ちましたでな、それをまあ、ようやく消しとめて、あれだけ塔の形が残ったでがす。博士さまの方は、目が見えなくなって、それから後はどうなったことやら。おっ死んでしまったといううわさもあるが、いやはやとんでもねえことで、そもそも雷さまなんかにかかりあうのが、まちがいのもとでがす」
山の案内人は、こんなふうに説明するのであった。
「それはすごい話だ。時間があれば、ちょっとよって見物したいが、あいにく行く余裕がない。せめてあのすごい塔を、カメラへおさめていこう」
と、写真機を塔へ向ける。
「よし、君が写真をとるあいだ、ぼくは、双眼鏡《そうがんきょう》でちょっくら見物しよう」
一人は八倍の双眼鏡を目にあてて、塔に焦点《しょうてん》をあわせる。
「ほほう、双眼鏡で見ると、いよいよすごい塔だ。……おや、あの塔にだれかいるね。人間がひとり、塔の中を歩いているよ」
双眼鏡の男が、そういう。すると案内人がぴくんと肩をふるわせた。
「だんな、ほんとうですかい。ほんとに人間があの塔の中にいますか」
「いるとも。ちゃんと見える」
「はて、何者かしらん。このあたりの衆《しゅう》はだれひとり近づかないはず。だんな、その人はどんな姿をしていますか」
「ちゃんと服を着ているよ。頭のところに白い布で鉢巻《はちま》きをしている。鉢巻きではなくて繃帯《ほうたい
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