ァ喘ぎながら、竹筒の表面から寸時も眼を放たなかった。式場の青山斎場では既に読経が始まっている頃であろう。死におくれては一大事である。
 喜助はもう眼を開いて居られなかった。彼は腰掛けの台を後ろに蹴とばすと、矢庭に大榊の花筒にシッカリ抱きついた。彼はハァハァと息を切り、額から脂汗をタラタラと流した。彼は讃美歌を、声も無く、歌っていた。
 しかしどうしたわけか、喜助の注文どおりに中々爆発は起らなかった。最初に算出した定刻を五分十分と過ぎて行ったが、彼の腹部もまだ安全であった。喜助はすこし調子ぬけがしてきた。そのときであった。
「ガラ、ガラ、ガラッ!」
 やられたッ、と喜助は思った。が少し音の出どころが違うようである。ハッと思って眼を開いてみると、これはどうしたことか、閉めてあった筈の入口が開いて、叔父の久作が、顔色をかえて彼の前に立ちはだかって、口をモグモグさせながら、両手を意味なく頭の上で振っているではないか。
(叔父が帰って来た。大急ぎでとってかえしたのだ。とうとう自分の自殺を嗅ぎつけたのだ。この方法は失敗だッ)
 喜助は突嗟に、そう考えてしまった。こうなる上は仕方がない。叔父たちに自殺を押し止められるよりは、電車に轢れた方がましだ、と思った喜助は、いきなり叔父を土間の上につき転がすと、裏口を開いて、真暗な往来へ飛び出した。
 踏切の方へ! 線路へ!

 其の日の斎場の光景は、まことに厳粛を極めたものだった。何しろ、実力に於て首相格である大熊老人の葬儀のことであるから、上はA総理大臣をはじめとし、閣僚全部を筆頭に、朝野の名士という名士、その数無慮五百名、それに加えて、故人の徳を慕う民衆の参列者が一万人に近いという話であった。斎場の正面のずっと高い石の壇上には、大熊老人の亡骸《なきがら》を安置しその下には、各名士から贈られた真榊や、花筒や、花環がギュウギュウ言うほど、おし並べられ、まるでアマゾン河畔の大森林を此処に移したかの感があった。棺の前には、薄紫の香煙が、濛々《もうもう》と館の内部を垂れこめていた。右の榊の前には、各大臣、議長、将官などが眩《まば》ゆく整列し、左の榊の前には例の大熊老人の親戚の一団が、今日の光栄に得意然たる面持で、目白押しに並んでいた。
 棺の正面に今日の導師たる××国師はじめ一門がずらりと並び、一と通りの読経も漸《ようや》く終りに近づき、南無阿弥陀仏の連唱が行われていた――その時であった。
(プスッ)というような鈍い物音が大臣席のうしろの方にした、と思ったら、その次の瞬間に、「ド、ド、どーんッ!」と物凄じい大爆音が起った。
 あとは何にも判らなかった。
 五分、十分……やや静まった。門外に居た参列者だけは、重症を負いながらも、一命はとりとめたようである。その連中が門内を覗きこんで、一種異様な臭気を持った煙の霽《は》れゆく間から本堂のあたりと覚しき跡に眼を移したものは、思わず、
「吁《あ》ッ」と叫んで、顔をそむけた。
 門内に居た五百人の親戚や名士達は一人として生きては居ないらしい。その惨状を、ここに記すのは、筆者としても到底忍び得ないところである。
 それから三十分経った。
 恐るおそる本堂の跡へ入りこんだ警官隊の一行は、本堂の正面にある石の壇上と覚しいところから、おゥ、おゥと叫ぶ人声のあるのに気付いて、胆をつぶした。よくみると、それは無惨にも片足を失った重傷者が、救いを求めているのであった。それを皆が寄って、ようやく下へ降ろして見て再び大吃驚をしなければならなかった。というのは、その片足のない重傷者は、その日、葬儀をした筈の大熊老人その人に違いなかったから……
 後で判明したことは、大熊老人は毒殺されたが、平常の抗毒方法がうまく効いて、棺の中に居るうち段々恢復してきた。ところへ、あの大爆発が起って、身体の大部分は石段の蔭になっていたので微傷もうけず、唯足だけは爆発|瓦斯《ガス》のため吹きとばされ、その一本を失った。足が一本|千断《ちぎ》れた疼痛が、ハッキリ老人を蘇生へ導いてくれたのであった。老人の死を計画した親戚一同は、花久が、混雑に紛れて式場へ担ぎこんだ喜助の仕掛けた爆発性大榊のために、一致協力して冥途へ旅立ち、皮肉にも大熊老人一人が生きのこった。
 喜助はどうなったか。久作が椿事に遭って生命からがら帰って来たのを感ちがいした喜助は、初一念を貫いて、あれから直ぐ後で、鉄路の露となって消えてしまった。
[#地付き](「探偵」一九三一年七月)



底本:「「探偵」傑作選 幻の探偵雑誌9」光文社文庫、光文社
   2002(平成14)年1月20日初版1刷発行
初出:「探偵」駿南社
   1931(昭和6)年7月号
入力:川山隆
校正:伊藤時也
2008年11月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイ
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