大脳手術
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)脛《すね》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)四十三|糎《センチ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)はんこ[#「はんこ」に傍点]を
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美しき脛《すね》
いちばん明るい窓の下で、毛脛《けずね》を撫でているところへ、例によって案内も乞《こ》わず、友人の鳴海三郎《なるみさぶろう》がぬっと入ってきた。
「よう」と、鳴海はいつもと同じおきまりの挨拶声《あいさつごえ》を出したあとで、「そうやって、君は何をしているんだ」と訊《き》いた。
「うん」
と、私は生返事をしただけで、やっぱり前と同じ動作を続けていた。近頃すっかり脂肪《あぶら》のなくなったわが脛《すね》よ。すっかり瘠せてしまって、ふくらっ脛《はぎ》の太さなんか、威勢のよかったときの三分の一もありはしない。
「つまらん真似《まね》はしないがいいぜ」
そういって鳴海は、私に向きあって胡坐《あぐら》をかいたが、すぐ立上って、部屋の隅から灰皿を見付けてきて、元の座にすわり直した。私は毛脛を引込めて、たくしあげてあったズボンを足首の方まで下ろした。
「……」
「まさか君は、大切な二本の脚を……」
「何だと」
「君の大切な脚を、迎春館《げいしゅんかん》へ売飛ばすつもりじゃないんだろうね。もしそうなら、僕は君にうんといってやることがある」
私は友のけわしい視線を、中性子の嵐の如く全身に感じた。頭の中の一部が、かあっと熱くなった。
「迎春館? ほう、君は迎春館を知っていたのかい」
「あんな罪悪の殿堂は一日も早くぶっ潰《つぶ》さにゃいかん。何でも腕一揃が五十万円、脚一揃なら七十万円で買取るそうじゃないか」
「ふふふふ、もうそんなことまで君の耳に入っているのか」
「迎春館などという美名を掲《かか》げて、そういうひどい商売をするとは怪《け》しからぬ。そうして買取った手足は、改めて何十倍何百倍の値段をつけて金持の老人たちに売りつけるのだろうが……」
「だがねえ鳴海。この世の中には、そういう商売も有っていいじゃないか。老境に入って手足が思うようにきかない。方々の機能が衰《おとろ》えて生存に希望が湧いてこない。そういう時に、若々しい手足や内臓が買取れて、それが簡単なそして完全な手術によって自分の体に植え移され、忽《たちま》ち若返る。移植手術、大いに結構じゃないか」
「いや、僕は何も移植手術そのものが悪いといっているのじゃない。移植手術のすばらしい進歩は、人類福祉のために大いに結構だ。しかしこの種の手術を施行《しこう》するについては、瀬尾《せお》教授のやっておられるように、飽《あ》くまで公明正大でなければならぬと思う。つまり瀬尾教授の場合は、例えばここに交通事故があって肝臓を破って死に瀕《ひん》した男があったとすると、これを即時手術してその肝臓を摘出《てきしゅつ》して捨て、それに代って、在庫の肝臓を移植する。その肝臓というのは、肝臓病ではない死者から摘出し、予《か》ねて貯蔵してあったものであり、そしてそれはその遺族が世界人類の幸福のために人体集成局部品部へ進んで売却したものなんだ。まあこういうのが公明正大で、瀬尾教授の手術を受ける者は一点の後めたいところもない。これでなくちゃいかんよ」
と鳴海三郎は、真剣な顔付になって大いに弁じた。しかし私は一向感心しなかった。移植手術に公明正大か否かを問う必要はない。要するに移植手術を受けた者は幸福になれるのだから、それでいいのだ。むしろ問題は、その手術の手際《てぎわ》如何《いかん》にあるだろう。
「どうだ闇川《やみかわ》。聴いているのか」
「うん、聴いている。で、君は迎春館の話を一体誰から仕入れて来たのかね」
「或る新聞記者からさ。尤《もっと》もその記者は、倶楽部《クラブ》で仲間からの又聴きなんだそうな。その話によると、迎春館は表通を探しても見つからないそうだが、一度その中へ飛込んだ者はその繁昌ぶりに愕《おどろ》かされるそうだ。そして何でも、僕たち小説家仲間に、迎春館のことについてとても詳しい奴がいるんだそうな、生憎《あいにく》その名前を聞くのを忘れたがね。おや、何を笑うんだ」
私はぎくりとして、笑いを引込めた。そして硬い顔になっていった。
「事実、迎春館主の和歌宮鈍千木氏《わかみやどんちきし》の技倆《ぎりょう》は大したもんだ。和歌宮鈍千木氏は……」
「そのワカミヤ、ドンチキとかいうのは主任医なのかね」
「そうだ。頭髪も頬髭顎髯も麻のように真白な老人だ。しかし老人くさいのは毛髪だけで、あとの全身は青春そのもののように溌溂としている。尤もお手のものの移植手術で修整したんだろうが……」
「呆《あき》れた、呆れた。いつの間に、君はそんな悪魔と近づきになったんだい。悪いことはいわん。その和歌宮館主には、もう近づくなよ。そんなところへ出入りをしていると、末《すえ》にはとんでもない目にあうぞ」
純情一本気の友は、私を睨《にら》みつけるようにしていった。
「君も一度、和歌宮先生に会ってみるのがいいよ。すると、きっと今の言葉を取消すだろう」
「ちえっ、誰がそんな汚い奴の傍へ近づくものか」
「その和歌宮先生が、私の長い脛をつくづく見ていうのだ。“あなたの脛は非常に立派だ。四十三|糎《センチ》という長い脛は比較的めずらしい方に属するばかりか、あなたの脛骨《けいこつ》と腓骨《ひこつ》の形が非常に美しい。脛骨の正面なんか純正双曲線をなしている”とね。そして、もしこれを売る意志があるのだったら、九十九万円には買取るというのだ」
「ばかなことは、よせ。ここではっきりいって置くぞ。天から授《さず》かった神聖な躯を売却していいと思うか。それも物質的欲望のために売却するなんて、猛烈に汚いことだ。万一君がそんなことをすれば、もう絶交だぞ」
鳴海は、膝で畳をどんどん叩いて埃《ほこり》をひどく舞上らせながら喚《わめ》いた。でも私はいってやった。
「売った方がいいという事情があれば、売ってもいいじゃないか。それにそういうものを売るか売らないかは、僕ひとりが決めていいのだ」
「それは許せない。売ってはならない。それに……それに、もし珠子《たまこ》さんがそれを知ったら、どんなに嘆くと思う。君達の間に、きっと罅《ひび》が入るぞ、それも別離の致命傷の罅が……」
「そんなことが有ってたまるか」
「大いに有りさ。考えても見給え、珠子さんが……」
「珠子が、それを望んでいるとしたら、君はまだ何かいうことが有るかね」
「……」
驚異の技術
もともとこの記録は手記風に綴りたき考えであった。ところが書き始めてみると、やっぱりいつもの癖が出て小説体になってしまった。やむを得ず筆を停めて胡魔化《ごまか》した。今日こそは手記風に書きたく思う。
うるさき鳴海三郎は、いくら追払《おいはら》っても懲《こ》りる風《ふう》を見せず、毎日のように押掛けてきては碌《ろく》なことをいわない。全く困った友だ。
彼は、必ず決って私が両脚を売るつもりでいることを非難する。そして始めは、珠子のことを引合いに出して諫《いさ》めたもんだが、私がそれをやっつけて、珠子がそれを望んでいることを明らかにしてやったら、それはもういわなくなった。その代りに、今度は珠子を非難し、君の脚を売ることを望むような女性は外面《がいめん》如《にょ》菩薩《ぼさつ》内心《ないしん》如《にょ》夜叉《やしゃ》だといって罵倒《ばとう》した。そればかりか、近き将来、珠子さんはきっと君を裏切って離れて行くに違いないなどと、甚だ不吉な言辞《げんじ》を弄《ろう》して、私を極度に不愉快にさせた。私は彼に対し、直ちに出ていってくれといったが、そんなことで立上るような彼鳴海ではなかった。そして今度は攻撃の目標を変え、和歌宮先生の手術にけちをつけるようなことを並べ出した。
「僕は和歌宮某がどんな手術名人か知らぬが、手術の痕《あと》はやはり醜く残るんだろう。つまり接いだ痕は赤くひきつれたりなんかして、醜怪な瘢痕《はんこん》を残すのだろうが……」
私は強く首を左右に振った。
「君は素人のくせに、和歌宮師の手術の手際にけちをつけるなんてよろしくないよ。この十年間に外科手術は大発達を遂げた。そしてその第一は、今までのような醜い痕跡《こんせき》残存が完全に跡を絶ったことだ。だから顔面整形手術の如きものが、どんどん行われるようになったのだ。しかも和歌宮師の手術は、この点では当代に並ぶものがない。実際僕は先生のところで何十人、いや何百人もの手術者を見たが、痕跡らしいものを見付けたことは只の一度もない」
「ふうん、そうかね。まあ、それならそれとしてだ、太い脚の代りに細い脚を接《つ》いだときはどうなるのか。継ぎ目の皮には痕跡が残らないとしても、太い脚に細い脚をつければ当然そこのところが段になるではないか。そうなるとやっぱり醜くないことはないね」
「君は非常識だよ。美観を一つの条件とする現代の外科手術において、そんな段になるような手際の悪いことをすると思うかね。手術の前には、回転写真撮影器による精密な測定が行われ、それからブラウン管による積算設計がなされて接合後の脚全体が資材範囲内で純正楕円函数又は双曲線函数曲線をなすように選定される。従って接合部切口における断面積も算出されるわけだから、これらの数値によって不要なる贅肉《ぜいにく》は揉み出して切開除去されるのだ。だから股《もも》と移植すべき脚との接合部はぴたりと合う。醜い段などは絶対に起り得ない。分ったかね」
「ふん、理屈は分った。しかし実際はどうかなあ。いや、君の言葉を信用しないわけではない。それにいくら外科手術が進歩した現代かは知らぬが、マネキン人形を接ぐわけじゃあるまいし、生きた肢体の接合をするんだから、相当むずかしい筈だ。例えば、血管と血管との連結はどうする。また神経細胞の連結はどうする。これはたいへん困難なことだぜ」
「一向困難な問題ではない。太股のところでずばりと切断されると、その切口は直ちに写真に撮《と》られ、そして現像後は壁一杯に拡大されて映写される。それから、接ぐべき脚の切口も同様に撮影され、拡大映写される。この二つはもちろん同一ではないが、同じ人類のことゆえ相似である。しかし接合するためには相似の程度では困るので、是非とも同一でなければならぬ、つまり骨、血管、神経、筋肉、皮下脂肪、皮膚などの配列状態がねぇ。そこで相似から同一へと、配列の調整が設計される。もちろんこれはまず骨と骨とを一致せしめ、血管、神経などはその後に順番に配列座標が決定される。それから配列|替《が》えの手術だ。電気メスと帯電器具と諸電極とを使ってこの手術は僅か五分間にて完了する。そうなれば太股の切口も、これに接ぐべき脚の切口も、はんこ[#「はんこ」に傍点]を捺《お》したように同一の配列、太さ、形をとるわけだ。だからあとは両者をぴたりと合わせて電気をかけ、瞬間癒着を行うのだ。残るは皮膚と皮膚の接合部に対する適切なる処理だ。これも済めば、全部の手術が終ったことになる。どうだ、これなら納得できるだろう。部品を組合わせてエンジンを組立てるのと同等の技術をもって、この手術は確実且つ容易に行われるのだ」
私はここで言葉を停めて、友の顔を見た。鳴海は軽く肯いていた。
「どうだ、鳴海。納得いったんだね」
「まあ、或る程度はね。それにしても、接がれた脚がすぐ脳髄の命ずるとおり働くだろうか」
彼はまだ追及をやめない。
「それはもちろん周倒な試験がなされる。特に神経反応は念入りに検《しら》べられる。血行状態は心臓カージオグラフによって完全に確かめられる。運動と筋肉の関係は有尺高速映画で撮影され、筋肉圧はブラウン管の光斑点の動きで検定するが、これは同時撮影されるから、もしも異状があれば、直に発見される。麻酔の解かれるのは、これらの試験が全部終了した上でのことだ」
「ふうん。君はなかなか詳しいね。それ位なら和歌宮師の助手が勤ま
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