この思切った大脳手術を乞《こ》うた。幸《さいわい》に先生は大きな同情をもって快諾し、そして私の注文通りの手術を行ってくれた。それから幾日経ってか、私が気がついたときは、私は一頭のゴリラになり果てていた。そして従来に例なき安楽な気持と溌溂たる精力とをもって、檻の中より動物園入場者の群を眺めて暮らす身の上とはなった。桜の花片《はなびら》は、ひらひらひらと、わが檻の上より舞落ちるのであった。私は生れて始めての安楽な生活に法悦《ほうえつ》を覚えた。
 そういう楽しい生活が無限に続いてくれることを祈っていた私だが、入園後まだ浅き或る日のこと、私の楽しい気持は突然|剥奪《はくだつ》されるに至った。それは私の檻の前に立った一人の見物人を見上げたときに起ったことである。そのとき私は思わず、があがあと叫んで牙を剥《む》いたものである。
 その男――わが檻の前に立ち、熱心にこっちを覗《のぞ》いているその男――その男の顔、肩、肉づき、手足、全体の姿、そのすべてがなんと曾《か》つての本来の私そっくりであったではないか。私はその瞬間、万事を悟《さと》った。
(貴様だな、俺の両脚から始めて両腕、臓器、顔などと皆買い集めてしまったのは……。貴様は、俺のものをそっくり奪ってしまったのだ。買取るならそれもよろしいが、そのように俺のものを全部集成しなくともよいではないか。殊《こと》にこれ見よがしに、俺の檻の前に立つとは怪《け》しからん。……だがな、貴様はまだ俺からその全部を奪っているのではないのだぞ。脳細胞のことよ。肝腎《かんじん》の脳細胞は、今ちゃんとこうしてこっちに有るんだ。あはは、お気の毒さまだ)
 私は腹を抱えて、ごうごうと笑ってやった。すると彼の男は、私の言葉を了解したと見え、急に恐ろしい形相《ぎょうそう》となって、私の檻へ歩みよった。
「あ、危い」
 それを後《うしろ》から引留めた者がある。おお、鳴海だ。鳴海が、何故こんなインチキ野郎についているのだろうと私はちょっと不思議に思ったが、それを解いている遑《いとま》はなかった。彼のインチキ男は、檻の鉄棒に掴《つかま》って、それを前後に揺り動かしながら、私に向って訳のわからぬ言葉で罵《ののし》った。私はむらむらと癪《しゃく》にさわって、いきなり立上ると檻の方へ飛んでいって、恨《うら》み重《かさ》なる不愉快なその男の小さな顔を両手で抑えつけ、ぐわ
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