「きっとうまくいく。さあ見て居れ。今、金博士が、あの廊下の角《かど》を曲ると、とたんに床が外れて、金の身体は奈落《ならく》へおちる。その奈落には、火薬炉が大きな口をあけて待っているのだ……」
「能書《のうがき》はあとにして、金博士を骨にして見せて下され」
「いざ、いざ、これを見よや」
 王水険老師は、この寒中に汗だくだくとなって、廊下の床をおとすスィッチを引いた。
 金博士は、廊下をそのときゆっくり歩いていたが、何の考《かんがえ》もなく、この手に引懸《ひっかか》って、奈落へ……。それから、がちゃん、がらがらと大きな音がして、身は火薬炉の中に密閉されてしまった。
 電気炉のスィッチは入った。じりじりと電熱線は身ぶるいをはじめ、燻《こ》げくさい熱が久振りに人間の膚《はだ》を慕《した》って、匐《は》いよってきた。
 高熱三時間。これくらい長い間熱すると、人間の肉や皮は燃えおち、人骨《じんこつ》さえ、もう形をとどめず、ばらばらとなって、一つかみの石灰《いしばい》としか見えなくなる。
「もうこの辺でよろしかろう。ほう、ずいぶん手間をとらせたわい」
 と、王老師は、醤|立合《たちあ》いで、火葬炉の蓋《ふた》をぎりぎりばったんと開けてみた。すると、あら不思議、炉の中からは、依然たる姿の金博士がぬっと現われ、
「わっはっはっ、わっはっはっはっ」
 と、あたりかまわず無遠慮な笑声《しょうせい》を響かせながら、そこを出て、階段をとことことのぼっていってしまったのである。
 金博士は、ずんずんと歩いて、元の居間へ戻って来た。
 扉をあけると、部屋はきちんと片づいている。部屋の隅には、博士のトランクが三つ、積み重ねてあるのが見える。
「おお、帰ってきたか」
 博士の声がした――部屋の隅に、その声がしたようである。
 博士は、部屋の真中に、黙って直立している。
 すると、三つ積んであるトランクの一番上のものが、ころころと下に転《ころが》りおちた。すると、二つ重ねてあったトランクから、ぬっと人間の首が出た。それは何と不思議にも金博士そっくりの顔をしていた。
 すると、こんどは上にのっているトランクがもちあがった。そのトランクに二本の足が生《は》えた。トランクに足が生えたわけではない、裸の金博士が、真中に穴のあいたトランクを胴にはめたまま立ち上ったのである。裸の博士は、そのトランクを外した。そしてのこのこと立ち現れて、部屋の真中に立っている服装正しい博士と対座した。二人の博士。一体これはどういうわけであろうか。
 裸の博士は、そこで大きな欠伸《あくび》を一つしたが、それから両手をさし出して、服装正しい博士の身体にさわってみた。そして呟《つぶや》いた。
「うむ、よく冷《ひ》えている。十分熱に耐えたようじゃ。彼奴《かやつ》らは、まさかこの人造人間《じんぞうにんげん》の胸の中には、液体酸素の冷却装置があるということに気がつかないのじゃろう。いや、ことによると、このごろ彼奴らの前に現れる金博士が、かくの如き人造人間であるということにすら、気がつかないかもしれん」
 この独《ひと》りごとから推すと、裸の博士が本当の金博士で、服装正しき博士こそ、身代りの人造人間の金博士であったのである。道理《どうり》で、毒酒毒蛇も平気だし、弾丸《たま》にあたっても、壁にぶつけられても死なない筈《はず》であった。
「ああ、この大使館の燻製《くんせい》の鮭《さけ》と火酒《ウォッカ》にも飽《あ》きてしまったわい。もうこれくらい滞在しておけば、王老師の顔も立つことじゃろう。では今のうちに、道具をまとめて、帰るとしようか」
 そういうと、金博士は、無造作《むぞうさ》に、人造人間の金博士をばらばらに解体し、それを例の三つのトランクに収めた。そしてこんどはきちんとした旅装《りょそう》をととのえ、トランクをかつぐと、莨《たばこ》をぷかぷかとふかしながら、悠々《ゆうゆう》とこの館をふらふらと出ていってしまったのであった。



底本:「海野十三全集 第10巻 宇宙戦隊」三一書房
   1991(平成3)年5月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1941(昭和16)年11月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年10月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全6ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング