です。
「×艦はあわてているぞッ」
 清川艦長は微笑しました。
「もう少しだ。全速力!」
 ○号潜水艦はありったけの快速力を出して走ります。しかし、×艦はグングン近づいて、いよいよ完全に弾丸のとどく所へ迫りました。砲身には既に新たな砲弾が填《こ》められたようです。こんどぶっ放されたが最後、潜水艦はどっちみち沈没するか、さもなくても大破は免れないでしょう。乗組員の胆《きも》のあたりに、何か氷のように冷いものが触れたように感じました。
 そのときです。
 が、が、がーン。
 さッと周《まわり》をとりまいた黒煙。
「あッ――」
「やられたな、どうした伝令兵!」
 艦長の声です。弾丸は司令塔の一部を削りとって海中へ……。
「しっかりしろ、傷は浅い」と先任将校。
 ×の大砲は、いよいよねらいがきまって来たようです。いよいよ危い次の瞬間……。
「おお、あれ見よ!」
 今や追撃の真最中だった×の哨戒艦の横腹に、突然太い水柱があがりました。くらくらと眩暈《めまい》のするような閃光。と、ちょっと間をおいて、あたりを吹きとばすような大音響!
 どどーン、ぐわーン。
 ×艦の胴中から四方八方に噴き拡る黒煙。――檣《マスト》が折れて空中に舞い上る。煙突が半分ばかり、どこかへ吹きとばされる。何だか真黒い木片だか鉄板だか知れないものが、無数に空中をヒラヒラ飛んでいる。
「作戦は図に当ったぞッ」
 艦長は叫びました、×艦隊は清川大尉の第八潜水艦を見付けて、夢中になって追跡したのです。まさか他の四隻の潜水艦が隠れているとは露知らず、遂にうまうま計略に載せられて、僚艦四隻の待ちかまえていた魚雷のねらいの中へ、ひっぱりこまれたのでした。
 大きいといっても二等駆逐艦です。ドンドン傾いてゆきます。×兵は吾勝ちに海中へ飛びこんでいます。
「万歳!」
「潜水戦隊、万歳!」
 海面を圧して、どっと喜びの声があがりました。


   無念の手傷
   取残された第八潜水艦


 初陣に、×の哨戒艦二隻を撃沈して、凱歌《がいか》をあげたわが第十三潜水戦隊は、直に隊形を整えて、前進をつづけようといたしました。ところが、ここに大変困ったことが起りました。
 それは一番の手柄をたてた第八潜水艦の出入口の蓋が、敵弾に壊されたことです。これがしっかり閉じられないと、潜水することは出来ません。
 これには清川艦長は勿論のこと、司令官も心を痛められましたが、しかし、これから先の大事な任務を思うと、ここでぐずぐずしているわけにゆかないのです。
 司令官は心をきめて、第八潜水艦をあとへ残し、無事な四隻を率いて、目的のパナマ運河近くへ進むこととしました。
 傷ついて取残された第八潜水艦の心細さはどんなでしょう。蓋を直しきらないうちに、もし先刻のような駆逐艦に見つかったら、今度こそは否応なく、撃沈されてしまいます。あれほどの大手柄をたてた艦に、なんと惨《むご》い御褒美《ごほうび》でしょう。
 だがあくまで沈勇な清川艦長は、全員を指揮して、早速修理にとりかかりました。もうこうなったら、運は天に委《まか》せるのです。委せてしまえば、かえって朗かな気持になれます。
 一時間を過ぎ、もう二時間になろうというときになって、やっと出入口の鉄蓋は、間に合わせながら役に立つようになりました。大変な努力です。そして武運に恵まれたこの艦は、その間×国の艦船にも見つからずにすみました。一同の顔には、隠しきれない喜びの色が浮かびあがりました。
「やれやれ」
「お祝いに、煙草でものもう」
 一同ホッとして、腰をのばしかけたその時です。
 監視兵が、俄《にわ》かに大声をあげました。
「艦長どの、×船が見えます。本艦の左舷二十度の方向です」
「なに×船!」艦長は直に双眼鏡をとって、海面を見渡しました。「うん、これは×国の汽船だな。これは大きい。まず、三万噸はある」
「軍需品を積んでいるようですな。甲板の上にまで積みあげています」
 副長がそういっているうちに、汽船は急に進路を曲げて、こっちへ驀進して来ます。
「おや、あいつ、こっちへ向ってくるぞ」
「こりゃ怪しいですな。大砲を持っているわけでもないらしいですが」
「とにかく停船命令に一発、空砲を御馳走してやれ」
「はッ――主砲砲撃用意ッ」
 艦内は急に緊張しました。実に危いことでした。もう三十分も早ければ、潜水艦の運命はどうなったかわかりません。
「艦長どの報告」監視兵が突然叫びました。「×船から飛行機が飛出しました。只今高度、約二百メートル」
「うん。とうとう仮面を脱ぎよったぞ、飛行機を積んでいるから、先生気が強いのだ」
「艦長どの。艦上攻撃機です」
「カーチス機だな」
 艦長は別にあわてた様子もなく、汽船と攻撃機とをじっと見つめています。


   大胆不敵の艦長
   痛快な捨身の戦法


 一難去って又一難。こんどの相手は、潜水艦の最も苦手とする飛行機です。これに会ったら最後、いくら潜っても逃げようとしてもだめです。三十メートルや四十メートルの深さでは、海水を透して、アリアリと見えるからです。また水面を全速力で逃げ出しても、潜水艦と飛行機の競走では、まったく亀と兎で、瞬《またた》く間に追いつかれてしまいます。折角危い命を拾ったと思った第八潜水艦でしたが、どんなにもがいてみても、今度という今度は最期が迫ったようです。
 大汽船はと見ると、マストの上に鮮かな××旗をかかげ、憎々しく落着いて、こっちを向いて快走してきます。自分の飛行機がどんなに痛快に日本の潜水艦をやっつけるか、高見の見物をしようというつもりに違いありません。
「生意気な汽船だ」
 先任将校が耐《こら》えかねたように、口の中で怒鳴りました。
 しかし誰もが、もう覚悟をきめました。この上は、艦長からの果断なる命令を待つばかりです。
 航程六千キロ。本国を後にして、勇敢にも×国の海に進入した第八潜水艦も、遂にここで空しく海底に葬られねばならないのでしょうか。
 艦長清川大尉は、ビクとも驚きません。ここで騒いだり、悲観しては帝国軍人の名折れです。
(日本男子は、息の根のあるうちは、努力に努力を重ねて、頑張るのだッ)
 大尉は日頃から思っていることを、口の中でいってみました。
 見れば、×の攻撃機は、わが艦の砲撃をさけるかのように、やや向うに遠く離れて、もっぱら高度をあげることに努めているのでした。やがてこっちの手の届かない上空から爆撃を始めようという作戦なのでしょう。
「よおし、やるぞ」
 大尉は何か決心を固めたものらしく、その両眼は生々と輝いてきました。
「潜航! 深度三十メートル、全速力!」
 艦長は元気な声で号令をかけました。
 艦はみるみる海上から姿を消して、なおもドンドン沈んでゆきます。潜望鏡も、すっかり水中に没して、今は水中聴音機が只一つのたよりです。こうなると、いつ飛行機から爆撃されるか、全く見当がつかなくなります。
 乗組員は、艦長の心の中を、早く知りたいものだと焦りました。
「深度三十メートル」
 潜舵手が明瞭な声で報告しました。
「よし、そこで当直将校、水中聴音機で探りながら、×の汽船の真下に、潜り込むのだ。丁度真下に潜っていないと、危険だぞ」
 艦長の口から出た命令は、なんという大胆《だいたん》な、そして思いもかけぬ作戦計画でしょう。ところもあろうに、×船の腹の下に潜れというのです。成程、この大汽船の腹は広々として、○号潜水艦の五つや六つは、わけなく隠れることが出来ます。
 乗組員は勇躍して、艦体を操りました。
 これに気づいた×の汽船は大あわてです、備えつけの砲に弾をこめているうちに、潜水艦はもう、砲撃ができないほど、船底間近にとびこんで来たのです。
 ×の攻撃機は、潜水艦からの砲撃をさけるためにすこし離れて飛んでいたので、あっと気のついたときには、もう潜水艦は、グルリと半廻転して、味方の船底にぴったりと附いてしまったあとでした。
「こりゃ、弱ったな」
 さすがの大汽船も、爆弾を懐中にしまっているようで、気味の悪さったらありません。爆雷を水中へ投げてもよいのですが、下手《へた》をやると、爆発した拍子に、日本の潜水艦の胴中に穴をあけるばかりか、自分の船底にも大孔をあけてしまわないとはいえないのです。そんな危険なことがどうして出来ましょう。
「こいつは困った」
 攻撃の姿勢をとって、空中高く舞い上った×の飛行機も、同じような嘆声をあげました。折角《せっかく》爆弾をおとしてやろうと思ったことも今は無意味です。敵軍の指揮者たちは、無念の泪《なみだ》をポロポロとおとして、口惜《くや》しがりました。
 そこへもってきて、折悪しく暮方になりました。いままで明るかった海面が、ずんずん暗くなってゆきます。西の空には、鼠色の厚い雲が、鉄筋コンクリートの壁のようにたてこめているので、大変早く夕闇が翼を伸ばしはじめました。夕日のなごりが空の一部を染め、波頭を赤々と照らしたと見る間もなく、忽《たちま》ち光は褪《あ》せて、黒々とした闇が海と空とを包んでゆきました。
 にわかに訪れる夜!
 それこそ気の毒にも、睨み合った相手の位置を、ひっくりかえすのでした。
「救いの駆逐艦《くちくかん》を呼べ!」
「その辺に××××の潜水艦はいないか」
「飛行機が下りて来たぞ、ガソリンがなくなったらしい」
 そんなざわめきが、×の汽船の上に起りました。さっきまで笑顔でいた船員たちは、それもこれもいい合わせたように、唇の色をなくしていました。
「船長。どうも変です」
 一人の通信手が、あたふたと船橋に上ってきました。
「どうしたのだ」
 あから顔の太った船長が、思わず心臓をドキリとさせて、通信手の顔を見つめました。
「日本の潜水艦がいないのです。さっきから、水中を伝わって来ていた敵艦のスクリューの音が、パタリとしなくなりました」
「なに、推進機の音がしなくなった? それはいつのことだ」
「もう十分ほど前です」
「なぜもっと早く知らせないんだ」
「敵艦は、もう逃げてしまったのでしょう」
「ばか! な、な、なんてことだ……」
 船長の顔は、ひきつけたときのように歪みました。
 丁度そのときでした。
 百|雷《らい》が崩れ落ちたような大爆発が、この大汽船の横腹をぶッ裂きました。船底から脱け出した第八潜水艦の魚雷が命中したのです。
 ガラガラガラ――
 積荷もボートも船員も一緒に空中へ舞いあがりました。つづいて巻上る黒煙――船は火災を起して早くも沈みかけています。
 大胆不敵の戦術によって、地獄の中から生を拾いあげた第八潜水艦は、はるか離れた海上で×船の最期を見送ると、もう前進を始めました。
 艦長の元気な号令が聞えます。
「僚艦の後を追って水面前進! 進路は北東北、速力二十ノット」


   目ざす×の大商戦隊
   わが頭の上にあり!


 鼻をつままれても判らぬような暗夜を、前進また前進です。海面は波立っているらしく、艦体がしきりにもまれます。
 第八潜水艦の艦長清川大尉は、司令塔の上に儼然と立ちつづけています。
「通信兵!」と艦長は呼びました。
「はッ」
「まだ旗艦からの無線電信は入らぬかッ」
「まだであります」
「そうか」
 人声も消えて、また元の、おっかぶさるような闇です。
 司令塔の下からは、あえぐようにエンジンの音が聞えてきます。機関兵たちは休息もとらず、ひたすらエンジンを守っています。
「通信兵!」
 とまた艦長が叫びました。
「はッ、ここにおります」
「まだ旗艦からの信号はないかッ」
「残念ながら、まだであります」
「そうか」
 艦長はまた口を閉じました。軽い溜息をついて、二三歩狭い司令塔の中に歩《ほ》を移しました。
「艦長どの、報告」
 通信兵の側に立っていた伝令兵が、突然叫びました。
「おお、そうか」
「旗艦からの報告です」
 白い電信紙が、懐中電灯を持った艦長の手に渡りました。
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「本艦ハ唯今、×国ノ商船隊ト覚シキモノヨリ発シタル無線電信ヲ受信シタリ。ヨリテ方向ヲ探知スルニ東南東ナ
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