らくらい地上におりた。
 ミンミン島の原地人は、だれ一人、三浦をおくってこない。彼等には、夜の地上はこの上もなくこわいからだ。
 ロップ島の原地人は、クイクイの神を手に入れて、まるで凱旋でもするような賑やかさだ。あの死ぬくるしみをしていた女までが、先にたってさわいでいる。
 海岸には、丸木舟が五隻ほど待っていた。
 三浦クイクイの神は、もうこうなってから逃げようとしても、とてもだめだとわかっているので、おとなしく丸木舟にのりこんだ。
 やがて丸木舟は、櫂《かい》の音もいさましく、まっくらな海の上を走りだした。
 磁石もなにももたぬ原地人たちは、星を目あてに、えいえいとこえをそろえて漕ぎゆくのだった。舟は、矢のように走る。夜の明けないうちに、五十キロも先のロップ島へかえりつかねばならないのだ。
 三浦須美吉は、酋長ロロが舵をとる丸木舟の舳にしゃがんでいたが、目が闇になれてきたとき、原地人たちはいつの間にか、ミンミン島で鼻までたれてかむっていた頭巾をぬいでいるのがわかった。
 ロップ島の原地人たちは、太陽の光をおそれて、昼間はその深い頭巾をかぶり、夜が来てあたりがくらくなると、それをぬぐ習慣だということを後で知った。
 さいわいに海は畳のように平らかで、三浦須美吉は大して疲れもしなかった。もう三十キロも来たであろう。時刻もそろそろ夜中の十二時ちかくになるとおもわれる。
「がんばって漕げよ、若い者たち、もうあと半分もないぞ」
 酋長ロロは、こえをはりあげて、はげました。原地人たちは、きいきいごえをあげて、酋長の命令にこたえた。
 その奇声をじっときいている三浦須美吉は、ふだんののんきな性質もどこへやら、たえられないほどさびしい心になった。
(ああ、おれは今、二十四の青年だが、いったいいつになったら、救いだされて、あのなつかしい日本へかえれるだろうか)
 そう思うと胸がせまって、ほろほろと頬の上にあつい涙がながれた。
 その時だった。
 酋長が、何かするどいこえで叫んだ。
 原地人たちは、酋長の叫びをきくと同時に、ぴたり櫂をこぐ手をとめてしまった。そして、き、き、きと妙な声をあげ、あわてて例の頭巾を頭からすっぽりかぶった。
(どうしたのだろう?)
 三浦は、ふしぎにおもって、首をぐるぐるまわした。すると、はるか後の方に、ぴかぴかとへん[#「へん」に傍点]に光っている物があるではないか。
「おや、あれはなんだ」
 よく目をすえて見ると、くらい海の一てんから、青白い長い光がすーっと出て、横にうごいている。
「探照灯みたいだが――」
 と思っていると、こんどは別のところから、ものすごい火柱が二本も立ちあがって、それからまっ赤な火の玉が、ぽろぽろと海面へおちはじめた。
 やがて、そのどろどろと宙にもえていた火柱の色が、急に赤みがかってきた。それと同時に、火柱のたっている近くの海が、急にぼーっと明るくなった。
 海が光りはじめたのだ。海の上だけではない、海面の下までが、電灯でもつけたかのように光っている。
 原地人たちは、もう櫂をこぐどころか、ただ口々に神への祈りをくりかえしている。
 そのとき酋長がふるえごえで、三浦によびかけた。
「おう、クイクイの神よ、われわれロップ島の人民を、おそれの谷にたたきこむのは、あの魔物であるぞ。クイクイの神の力によって魔物のあの光る息をおさえつけてもらいたい。そうすれば、われらは、クイクイの神にどんな宝物でもさしあげるだろう。た、たすけたまえ」
 三浦は、あああれこそいつぞやの大海魔にちがいないと思った。海魔というが探照灯や信号弾のようなものを放っている様子を見ると、動物ではない。何か恐るべき科学の力によって仕組まれているものとにらんだ。では、大潜水艦みたいなものか、いやそれにしても、大きさからいって潜水艦どころのさわぎではない。
 三浦は、酋長ロロにたのまれた以上、ここでなんとかしてクイクイの神の力をあらわさなければならないのだ。そこで彼は、あやしい光にむかって大きなこえで、呪文をとなえだした。もしそれを日本人がきいたら、腹をかかえて笑いころげたろう。磯節の文句を調子はずれにどなっていたのだったから。
 すると、まもなく海上を照らしていた火がぱっと消え、ついで海中の光もなくなって、ふたたび闇の世界にかえった。
 丸木舟の上の人たちは、これこそクイクイの神の力できえたものと思い、よろこびの奇声をあげて、クイクイの神をたたえるのであった。
「そら、こげ、今のうちだ!」
 酋長の号令に、丸木舟は、またもや矢のように海上をはしりだした。
 そして東の空がうっすりと白みはじめたころ、ようやくロップ島の岸につくことが出来た。
 ロップ島! この島から、海魔があばれている海魔灘まで、わずかに十キロあまりしかないのである。


   太刀川は生きていた


 さて話は元にもどって、海魔灘の渦巻にまきこまれて、海上から姿をけしさった太刀川時夫は、どうしたことであろうか。また、潮に流されながら時夫にたすけをもとめていた石福海少年は、どうなったことであろうか。
 がんがんがんがん。がんがんがんがん。
 鉄をたたいているような物音である。
「あ、やかましい。耳がいたいじゃないか」
 太刀川時夫は、夢心地でつぶやいた。
 ぽとり、と、つめたいものが、時夫の襟もとにおちて、せなかの方にまわった。
「ああ――」
 そこで、太刀川時夫は、やっと気がついた。
「はて、ここはいったいどこだろう」
 あたりをずっと見まわした。
 そこは、コンクリートでかためた四角な空井戸の中のようなところだった。壁はびしょびしょに水でぬれている。ふしぎなのは、時夫のいる床だった。あらい鉄格子でできている。がんがんがんというものすごい音は、鉄格子の下からきこえてくるのだった。
 電灯らしいものもないのに、この室内は鉄格子の下からぽーっと青白い光がさしていて、物の形がわかる。よく見ると、壁にその青白い光の横縞がいくつもあり、天じょうの方までつづいていた。後になってわかったのだが、この光は深い海にすむ夜光虫をよせあつめた冷光灯であった。
 太刀川時夫は、この気味わるい光のなかに立って、手足に力を入れてみた。たしかに力がはいる。しかしそれでいて、自分は生きているのか死んでいるのか、どうもはっきりしないのであった。そこでしきりに記憶をよびおこした。
(――おそろしい大渦巻にすいこまれて――そうだ、石福海が、その前にたすけをもとめていたが――自分はあのまままっくらな海中にひきずりこまれて、息がつまりそうになったが、――それから、なんだか竜宮のように、美しい室を見たようにおもったが――そのうち体がくるくるとまわりだして、なにもかも見えなくなってしまった。それから……)
 それから、さあそれから――それから後はわからないのだ。
「僕は、生きてはいるのだ!」
 時夫は、両の腕を、こつこつとたたきあわせて見ると痛い。たしかに生きている。
「生きてはいるが、ここはどこだろうか」
 まるで牢獄みたいな奇怪な室だった。
 潜水艦の中かしらん?
 こんな大きな室をもった潜水艦はない。では、どこか島の地下室であろうか、それとも窟《いわや》の底であろうか。
 がんがんがんがん。がんがんがんがん。
 またものすごい物音が、足もとの鉄格子の間からきこえてきた。
「ふむ、あれはどうしても、なにか大きな機械を使っている音らしい。そうしてみると、これは………」
 太刀川時夫は、はっと気がついて、自分のびしょぬれの服をしらべてみた。そしてなにを思ったのか、うんと一つ大きくうなづくと、体をひるがえして、室のすみにとんでいって、そこへ腹ばいになりながら、鉄格子の間から、下をのぞきこんだのである。
 彼は、その鉄格子の下に、いったいどんなものを見たであろうか。


   ぽっかりと窓があいて


 それは大きなエンジン室らしく、はるか下の方に甲虫の化物みたいなエンジンの一部分らしいものが見える。
 がんがんがんがんという音は、ここから聞えて来るのだ。
(一たい、どこだろう?)
 太刀川はずきずきいたむ頭の中で、もう一度考えてみた。
(大渦巻にまきこまれて、水中にひっぱりこまれたことは、たしかだが、それから……)
 それからが、どうしても分からない。
 夢でないことは、自分の服がびしょびしょにぬれていることでもわかる。この室内もどことなく潮の香くさく、しめっぽい。
「海に近い場所かな」
 と思ったが、瞬間、ある考えが、頭をかすめた。
「ひょっとすると、海底にある建物ではあるまいか。いや、まさか、そんな馬鹿なことが……」
 自分の考えを自分で、うち消すようにつぶやいた時である。
「おい、小僧。目がさめたか」
 とつぜん声がした。妙ななまりのあるロシア語だった。
「えっ、――」
 太刀川は、声のする方をふりかえってみた。
 おどろいたことに、冷光灯かがやく壁のところに、ぽっかりと四角な窓が開き、その中から一つの赤い顔が、こっちをのぞいて、あざ笑っているのであった。
 その顔は、鼻の形、額の恰好からいって、たしかにユダヤ人だ。
「うふふふふ。やっと、気がついたようだね。だが、不景気面をしているところをみると、まだ夢でもみているのかね。おい、日本蛙、ここをどこだと思う。海の底だよ。海の底も底、太平洋の底だよ。ある仕掛で渦を起し、貴様をすいこんで、ここへ運んできたのは、貴様にちょっとばかり用があったからだよ。うっふふふ、そうおどろかんでもよい。ちょっと待て、もっとよいところへ案内してやるからな……」
 その言葉が終るか終らないうちに、ジーというベルの音がしたかと思うと、太刀川の立っていた鉄格子の一方のはしが、がたんと外れて下におちた。
「あっ」
 といったが、おそかった。太刀川の体は中心をうしない、鉄格子の上をすーっとすべり、そしてその下にあいた口から、まっさかさまに落ちて行った。


   自分の名を知る覆面の男


 肩先を、ぽんと、けられたいたみに、太刀川は、はっと、我にかえってあたりを見まわすと、そこには、例の男が立っていた。
「ふっふふふ、だいぶ、おやすみのようだったね。あれぽっちのことで、目をまわすとは、案外、意気地のない奴だ」
 あくまで、にくにくしげにいう。
 そこは、何の飾もない物置小屋のようなところだった。
 太刀川は、鉄格子から落ちると、途中で網で受けとめられたような気がしたが、そのまま気を失ってしまった。その間に、この部屋に運びこまれたものらしい。
 あれから、どのくらいたったものか、とにかく相当時間がたっていることは、着ている服が、かわきかけていることでもわかる。
「おい、何をぼやぼやしている。早く立て、委員長閣下のお呼びだ」
「何、委員長?」
 太刀川は、そうつぶやきながら、いたむ体をやっと起して、たちあがろうとした時、
「おおそうだ。早くしろ」
 そういう声と共に、ユダヤ人の右足が、まるで犬ころでもけるように、太刀川の肩先へ、シュッと伸びてきた。
 とたんに、太刀川は、かるくかわした。そしてその足をぐいと引いたからたまらぬ。かの大男は、後向けに、どうとたおれた。
 さあ、ことだ。こんどはほんとに怒って、
「やったな。日本小僧」
 叫びながら両手をひろげて、鷲づかみにしようと、おそいかかって来たのだ。
 太刀川も覚悟はきまっていた。
 どうせ死地にあるのだ。辱《はずかし》めをうけるより、日本人らしくたたかって、死のう。
「来い」
「おう」
 大男が、咆《ほ》えるような声をあげて、さっととびかかろうとした時である。
「何をする。カバノフ」
 後から鋭く呼びとめた者があった。
「お前に、そんなまねをしろと、誰が命じた。委員長は先程から、待ちきっていられるぞ」
 するとかのカバノフと呼ばれた大男は、
「あ、ああ……」
 わけのわからぬ叫声《さけびごえ》をあげて、手をふり上げたまま、後じさりながら目を白黒。それをみて、
「はははは……そのざまは何だ。いくら貴様が力自慢でも、貴様の手にお
前へ 次へ
全20ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング