い木の上に、まるで鳥の巣のように、家をつくって住んでいる奇妙な島である。酋長ミンチの住居《すまい》は、大きな九本の椰子《やし》の木にささえられた大きな家で、遠くからみると、納屋に九本の足が生えているようだった。このミンミン島に住んでいる三百人ほどの原地人たちは、太陽のでている昼の間だけ地面をあるいているが、日が暮れかかると、あわてて木の上の家にのぼってしまう。そして夜の明けるまで、けっして地上におりて来ない。
 このふしぎな風習は、大昔、島が真夜中に大つなみ[#「つなみ」に傍点]におそわれて、住民のほとんどが、浪にさらわれて行方不明になったことからおこったと、いいつたえられている。
 今日は、酋長ミンチの家はお客さまがあって、たいへんな賑わいだった。お客さまというのは、このミンミン島の隣の島――といっても、海上五十キロもはなれているロップ島の酋長ロロの一行であった。
 さて、酒盛がいよいよたけなわになったころ、日が暮れてきた。するとミンミン島の原地人たちは、急になんだかそわそわしだした。彼等にとってはおそろしい夜がくるからだ。
 これにひきかえ、ロップ島のお客さまたちは、酋長ロロをはじめますます陽気になってきた。この人たちは、みんなそろって、頭の上から鼻のあたりまで、すぽりとはいる黒い頭巾をかぶっている。目のところには、小さな穴があいていて、そこからのぞいているのであった。
 酋長ミンチが、やがて椰子の葉でこしらえた大きな団扇《うちわ》のようなものを、右手にさしあげて頭の上の方でふると、がらがらというへんな音が、あたりになりひびいた。
 すると次の間から、魚の油をもやしているらしい燭台が三つ四つ、はこび出された。
 とたんに、ミンミン島の人たちは生きかえったような顔色になり、思わずわーっとよろこびの声をあげた。
 ところが酋長ロロをはじめロップ島の人たちは、それがおもしろくないといった様子で、何かがやがやとわめきあっている。
 そのうちに、酋長ロロが、席からすっくと立ちあがって、手にしていた短い手槍みたいなものを左右へぴゅうぴゅうとふった。そして胸をはり、肩をいからせて、
「この島の主《あるじ》ミンチよ。太陽は海の中へすっかりおちてしまった。いよいよやくそくの時刻になったではないか。さあ、早くその尊いものを出してくれ」
 と、きいきい声でさけんだ。
 すると、このミンミン島の酋長ミンチも、すっくと立ちあがり、これは破鐘《われがね》のような声で、
「客人よ、お前のいうとおりだ。それでは、いよいよこれからミンミン島の宝であるクイクイの神を、ここへ呼ぶことにするぞ」
 といえば、酋長ロロは息を大きくはずませて、
「うむ、待っていたところだ」
 と、こたえた。
「おう、奥から、クイクイの神をよべ」
 酋長ミンチがこの命令をすると、奥の間から、あやしい返事の声がきこえて、やがて垂幕《たれまく》をわけ、しずしずとあらわれたのは、裸の上に、椰子の枯葉であんだ縄のようなものを、長くたらした奇怪なクイクイの神であった。


   クイクイの神


「おう、クイクイの神だ!」
「クイクイの神よ。われにつきまとう悪霊をはらいたまえ」
 ミンミン島の原地人たちは、てんでに口のなかでつぶやきながら、クイクイの神にむかって、平つくばって礼をするのだった。
 ロップ島の原地人たちは、目をぱちぱちして、この有様を見まもっている。
 クイクイの神は、ゆったりゆったりと、広間の中へすすんでいった。頭の毛をぼうぼうと生やし、その頬には、まっ黒なひげをもじゃもじゃとのばしている。へんてこな神さまだ。
 それもそのはずで、じつはこのクイクイの神は、日本人なのである。神さまをとらえて、いきなりこれが日本人だといっても、だれもほんとうにしないかもしれないが、この神さまは、その名を、三浦須美吉という日本人なのだ。
 三浦須美吉といえば、あたまのいい読者諸君は、きっとおぼえているであろう。原大佐が太刀川青年に話した、あの太平洋上で、大海魔に出あったという第九平磯丸の若き漁夫三浦スミ吉のことである。
「大海魔アラワレ――アレヨアレヨトオドロクウチ、口ヨリ火ヲフキ、鉄丸ヲトバシ、ワガ船ハクダカレ、全員ハ傷ツキ七分デ沈没シタ。カタキヲタノム」
 この悲壮な遺書を、鉄丸の破片とともに空缶の中に入れ、海中に投げこんだ、そのあわれな遭難漁夫三浦スミ吉が、今ここでクイクイの神となりすまし、ミンミン島とロップ島の原地人の前に、とりすました顔で立っているのだ。
 ちょっと信じられないふしぎな話である。
 ところがその訳はこうなのだ。この三浦須美吉は、遺書を海中に投げこんでから、船は沈んだが、自分は海上にうかび、ちょうどそば近く流れていた船の扉にすがって漂いつづけ、運よくこのミンミン島に流れついたのである。
 それにしても、どうして三浦がクイクイの神となりすまして、原地人たちからそんなにあがめられているのか。
 三浦に言わせると、流れついた島の人の中にあって、自分の命を安全にしておくためには、神さまになるのが、一番かしこいやり方だとおもったからだそうだ。そして、それはきわめて訳のないことだったというのである。
 どうして?
 そのわけは、これからクイクイの神が始めることを、しばらく見ていれば、ひとりでにわかるだろう。
 クイクイの神は、ちょっと気むずかしい顔をして、二人の酋長のまえにすすみ出た。彼はえへんと咳ばらいをしておもむろに腕をくみ、
「こりゃ、願は何事じゃ!」
 と、おぼつかない原地語でいった。
「おう、酋長ロロよ、クイクイの神が願をきかれるぞ、早くおまえのつれてきた病人をここへ出せ」
 酋長ミンチがさいそくすると、
「これ、病人を前へつきだせよ」
 酋長ロロは命令をした。
 ロップ島の原地人たちは、いちどきに立ちあがって、その中に立っていた一人の若い女をかつぎあげて、クイクイの神の立っている前に、まるで土嚢《どのう》でもなげだすように荒っぽく、どんとおいた。
 女は、悲鳴をあげながら、床の上にうつむけになってころがると、両肩を波のようにうごかして、くるしそうな息をついているのであった。いかにも重病でくるしんでいるらしい。
 クイクイの神になりすましている漁夫三浦須美吉は、その様子をじっと見ていたが、やがて両手でもって、女の顔をぐっと正面にむけた。
 女は、これからクイクイの神に何をされるのかと、あまりのおそろしさに、手足をぶるぶるふるわせている。


   へんてこ医術


 クイクイの神は、一座をずっとみわたし、いよいよ神の力をもってこの女の病気をなおしてみせるぞという合図をした。
 ミンミン島の原地人たちの口からは、クイクイの神をたたえるような言葉がつぶやかれた。
 そこでクイクイの神は、原地人の女の顔を見つめながら、両腕を前にぬっとつきだした。次に両腕を、ぽんぽんとたたいて、なんのかわりもないことをしめした。それから両腕をさかんにふりまわしたり、両手をにぎったりはなしたりしていたが、そのうちに右手の指さきを、かたくにぎった左の掌《てのひら》の中にさしいれて、ごそごそやっていたかと思うと、左の掌の中から、赤い紐のようなものをするするとひっぱりだした。
 ミンミン島の人は、それを見ると、
「わあーわあー」
 と、奇妙なこえをあげて、さかんにクイクイの神へむかって、おじぎをはじめた。
 クイクイの神は、さももったいぶった様子で、その赤い紐をぱっと両手でふったと思うと、なんとそれは一枚の風呂敷ぐらいの布ぎれになっていた。
「わあー、わあー」
「ふ、ふ、ふーん」
 ふ、ふ、ふーんの方は、酋長ロロをはじめロップ島原地人のため息であった。クイクイの神の、おそろしい力に、すっかりおどろいてしまったらしい。病気の女も、口をぽかんとあけて、クイクイの神の手に見とれている。
 クイクイの神は、掌の中からとりだした赤い布ぎれを、みんなのまえで見せびらかすようにうちふった。そしてこんどは「やっ」と気合をかけると、赤い布の中から一羽の白い鳥をつかみだした。鳥は、ながい嘴《くちばし》をひらき、翼をばたばたさせてもがいている。
「わあー、わあー」
「ふ、ふ、ふーん」
 ミンミン島人もロップ島人も、クイクイの神のおそろしい神力を目の前に見て、腹の底からおどろきのこえをあげて床の上にひれふした。
 だが、クイクイの神のやっていることは、そう大してふしぎではない。それはごくありふれた小奇術なのだ。クイクイの神を名のる漁夫の三浦須美吉は、かねて習いおぼえていた手品でもって、これらの人たちをすっかり煙にまいてしまったのである。
 しかし、彼にしてみれば何も手品が見せたくて、好きでやっているのではない。こうして原地人たちをおどろかしておかないと、いつ殺されるかもしれないからだ。彼はこうして神さまの威力を見せておいてから、
「おう、女、前に出てこい――」
 と叫んだ。クイクイの神によばれた病気の女は、催眠術にかかったように、神の足もとへにじりよった。
「いよいよこんどは、お前の病気をなおしてやるぞ。どこが痛むか」
 女は顔をしかめて、胸の下のところを指さした。
「おう、そこか。いまに痛みはとまるぞ。そこに悪霊《あくりょう》がすんでいるのじゃ。いまわが神力でもって、その悪霊をおい出してやる。こっちをむいて、わしの手を見ているがいい」
 そういってクイクイの神は、右手を女の胸にあてたかとおもうと、「やっ」とさけんで、女のからだからひきはなして、さっと上にあげた。
「ああっ、それは――」
 女はおどろきのこえをあげた。クイクイの神の手には、椰子の葉でつくった小さい人形がにぎられている。
「これがお前を苦しめていた悪霊じゃ。わしが、こうして取出してやったぞ。どうだ、おまえの痛みはとまったろう」
 女はこのクイクイの神の言葉に、はっとして胸をおさえてみた。するとどうだろう、ふしぎにも痛みはけろりとなおっていたではないか。今にも死にそうだった女は、別人のように元気になってすっくと立ちあがり、クイクイの神にお礼をのべて、その場で手足をふりながら踊りだした。
 これをみた原地人たちは、いよいよクイクイの神に、おどろきとおそれの言葉をささげた。
 ひとり腹の中でおかしくてたまらぬのは、クイクイの神さまになりすましている漁夫の三浦だった。彼の手品にすっかりおどろいてしまった女は、ほんとに病気の悪霊を、この神さまがとりのぞいてくれたものと思いこんで、すっかり病気がなおったのである。「つまり精神療法というやつさ」と三浦はとくいで、せい一ぱいしかつめらしくかまえていた。


   売られゆく神さま


「われわれロップ族は、ぜひクイクイの神を買うことにする」
 ロップ島の酋長ロロが、ミンミン島の酋長ミンチの肩をたたいていった。
 酋長ミンチは、それをきくと、ぐっと胸をそらして、
「よし、いよいよ買うか。では、そのかわり、わしがほしいといったものを、こっちへよこすか」
「それは承知した。ちゃんと持ってきてある。これこのとおりだ」
 酋長ロロがとりだしたのは、なんと一枚のやぶれたシャツだった。
「おう、それだ。わしがほしくてたまらない物は!」
 酋長ミンチは、破れシャツをひったくった。
「おう、これこれ、すばらしい宝物だ」
 ミンチは破れシャツをなでまわして、よだれをこぼさんばかりの喜びようだ。
「では、こっちは、クイクイの神をもらってゆくぞ」
「たしかに、とりかえた」
 破れシャツ一枚とクイクイの神との取りかえっこだ。
 クイクイの神は、これをきいてがっかりした。自分の体が、破れシャツ一枚にかえられるとは、なんというなさけないことだと思った。
 ロップ島の原地人たちは、クイクイの神を手に入れて大喜びである。これでこそ、はるばる遠い波の上をここまでやってきたかいがあったと、たがいに顔を見合わせ、きいきいごえを出してうれしがっている。
 それからすぐに、クイクイの神こと三浦須美吉は、ロップ島の原地人にまもられて、酋長ミンチの椰子の木の家か
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