上唇にかけて、大きな膏薬がはりつけてあり、そのせいかたいへん低い鼻声しか出せない。太刀川は、ケント夫人が皮膚病をわずらっているのであろうと思った。お金がうんとあっても、病気に悩んでいるらしいこの老夫人に同情の心をもった。
「やや、なんだ、鉄棒かとおもったら、この安もののステッキが、俺の向脛《むこうすね》をぐりぐりぶったたいていたんだ。けしからんステッキだ」
 酔っ払いのリキーが、またどなりだした。そのとたんに、太刀川がついていたステッキが、あっという間につよい力でもぎとられた。リキーは、それを頭上にさしあげた。
「このステッキは、誰のか。俺の向脛を折ろうとしたこのステッキは、一体誰のか。さあ名乗らねえと、あとで見つけて、素っ首をへし折るぞ。ええい、腹が立つ、この無礼なステッキを海のなかへ叩きこんでしまえ」
 リキーは乱暴にも、ステッキを海中へ投げこもうとした。
「待て。それは僕のステッキです」
 太刀川は、さっきから、そのことに気がついていたが、どうしたものかと考え中であった。大任を持つ身の[#「持つ身の」はママ]、こんな小さなことで喧嘩したくはなかったが、原大佐から親しくさずけられた
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