その時リーロフのぐにゃぐにゃした体が、急に化石のようにかたくなった。
「おや?」
彼の口から、おどろきの言葉がとびだした。彼は右手をつとのばすと、太刀川の方を指さして、
「おい、そこにいるのは何者だ。名前をなのれ」
太刀川は、ぎくんとした。なぜリーロフは自分をうたがったんだろうか。
「当番の一等水兵マーロンであります」
とっさの返事だった。
「なに、マーロンだって。ふふん、おれをだまそうと思っても、そうはゆくものか」
というと、隊員の方をふりかえり、
「おい、みんな。あそこにおれの潜水服を着ているあやしい奴をとりおさえろ。胸のところに、これと同じように大佐の縞がついている潜水服を着ている奴だ!」
「しまった!」
太刀川は、思わず声に出して叫んだ。潜水服のところに、妙な縞模様がついていると思ったが、これは共産党大佐の徽章《きしょう》であったか。
太刀川あやうし
太刀川時夫は、海底にでることができたけれど、彼のきていた潜水服が、リーロフのものだったために、共産党大佐の縞模様がついていた。それをリーロフに見つけられたのである。
海の底であるから、陸上のようにすばやく、にげだすことはできない。海藻のかげにかくれたとしても、大だこ[#「だこ」に傍点]の頭のような潜水兜からは、たえずぶくぶくと空気のあぶくが上にのぼってゆくので、すぐ敵にみつかってしまう。おまけに、リーロフ大佐のひきつれた潜水隊員の中には、水中機関銃などという水の中で、弾がとびだす兵器をもった奴がいるから、これでうたれればおしまいである。
「おい、みんな、そいつをいけどれ。そして潜水兜をぬがして、顔をみてやれ。そうすれば、先生め、きっとおもしろい顔をして、おれたちを喜ばせてくれるだろう。あっはっはっ」
リーロフは、まだ酒の酔いが、ぬけきらないためか、すこぶるごきげんであった。
だがこの深い海の底で、潜水兜をぬがされてはたまったものではない。せっかくここまで来たのにと思うと、太刀川の胸は、ざんねんさで、はりさけんばかりだった。
「おとなしくしろ」
「副司令の服なんか着こんで、ふとい奴だ」
潜水隊員は、口々にわめいて、四方から太刀川におどりかかった。
(よし、来い)
と、太刀川が決心してたち上ったが、とたんにある考えがひらめいた。「そうだ」とつぶやくと、まるで猫の子のようにおとなしくなって、たちまち、隊員たちにとりおさえられてしまった。
「はははは、見かけによらない弱虫の大佐どのだ」
隊員たちは、あざけり笑いながら、太刀川の両腕をとって、リーロフの前にひきすえた。
リーロフは、ますますごきげんであった。
「わっははは、貴様は当番の一等水兵マーロンだといったな。潜水兜をきているのでは、どこのどいつか顔が見えない。顔を見てから、話をつけてやる。おい、みんな、はやくこいつの兜をぬがしてみろ」
リーロフは、太刀川の潜水兜に自分のをよせて、ごつんごつんと、いじのわるい頭づきをくれた。
その時、
「ええい!」
はげしい気合が、太刀川の口をついてでた。
彼は、この時のくるのを、さっきから待っていたのだ。
「ああ――」
「うむ!」というさけび。
太刀川は、満身の力を両の腕にこめて、隊員たちにつかまれている腕をふりほどいたのだ。
それはまったくの不意だったから、隊員たちは力をいれなおすひまもなく、ふりとばされてしまった。そのうえ、ごつーんと、はげしく仲間同士の鉢あわせ。頭がくらくらとした。
と同時に、
「やったな、こいつ!」
「なにを!」
という声、はげしいもみあいがはじまっている。それは副司令リーロフと太刀川の一騎うちであった。
あっと隊員たちが目をみはる前で、二人はビールだるのような胴中をぶっつけあいながら、上になり下になりしているのだ。
「このやろう!」
「このやろう!」
どちらも、おなじことを、いいあっているので、隊員たちは、しばしあっけにとられながら、この妙なかけあい合戦を見まもっていたが、
「おい、ああしてとりくんでいるが、どっちがリーロフ大佐なのかね」
「いや、おれにも、どっちがどっちか、わからなくて困っているんだ」
すばらしい知恵
太刀川青年の作戦計画は、どうやら図にあたったようである。
彼があやういせとぎわで、思いついたのは、リーロフの潜水服と彼の潜水服とが、まったく同じものであることであった。それを太刀川は、うまく利用してリーロフととっくみあいをはじめ、上になり下になりして、隊員たちの目をごまかしたのである。潜水兜の顔を正面からのぞけばいいようなものだが、そんな失礼なことをすると、あとでどんなお目玉をちょうだいするかわからない。ただ二人の言葉を気をつけてきけばわかりそうなものだが、これも、二人がお
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