《ろっこつ》を一本とってそれからイヴという美しい女を作り給うた、というのは、形式的には神様のなせる業《わざ》ではあるようなものの、その考えは、無論、人間の頭脳から発生したことは言うまでもない。
 古事記によると、我が国の神達は、盛んに国土を産み、いろいろ特殊の専門というか、技術を弁《わきま》えられたさまざまの神々達を産むことに成功し給うたと書いてある。これも、人造人間の思想と見てさしつかえないであろうと思う。
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 幼いとき、小学校の「山羊《やぎ》」という綽名《あだな》のある校長さんから、面白いお伽噺《とぎばなし》をして貰ったが、その中で、最もよく覚えているのは、こんな噺であった。
 宝を探しに行く兄弟のうち、末の弟は大変情けぶかい子であったが、それがために、秘術を教わった。その秘術というは、なんでも木片《もくへん》をナイフでけずって、小楊子《こようじ》みたいなものを造り、それを叩いて「動け!」というと、その木屑が、起《た》ちあがってヒョックリ、ヒョックリ躍り出す。そのとき、もう一度、それを手で叩いて、「成《な》れ!」というと、その木屑の一つが、立派な一人の兵士になるのである。その兵士を連れて、反逆者の悪臣どもを退治して、宝とお姫様とを貰うという筋であった。これも木屑で、思いどおり、兵士をつくりあげるところが、人造人間の思想である。
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 西遊記の中に、孫悟空が、自分の毛をひとつかみ引きぬき、これに呼吸《いき》をかけてフウーッと吹きとばすと、ああら不思議、その数だけの小猿になったという話がある。これは人造人間でなくて、猿造猿公《えんぞうえんこう》であるが、これも同じ思想である。
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 こう云う類の人造人間は、伝説などの中から拾い出せば随分沢山にあることだから、この位にして置こう。
 その次に、人造人間として、「人形」というものを見落してはならない。
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 これは、我が国では、埴輪《はにわ》人形の昔より、人間や、人間が愛していた動物などの形をつくって、それが生埋《いきう》めになることからのがれさせて呉れたのであるが、その後、愛玩物としての人形が発達した。
 その中でも異色のある人形は、案山子《かかし》と、左甚五郎作の京人形とであろう。
 案山子は、雀《すずめ》や烏《からす》を相手に、「おれはお人間
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