ょう」
「さあ、どこでしょうか、もしかすると……」
「もしかすると……」
「運転手、三十番街を左に曲れ。真直《まっすぐ》走ると殺されちまうぞ」僕は圧《お》しつけるように命令した。車はもう三十番街に来ていたので、四《よ》つ角《かど》を急角度に旋回した。その途端《とたん》に、僕たちの車の後に迫っていた高速度のイスパノ・シーサなどの車が数台、三十一番街に滑《すべ》りこんだ。俄然《がぜん》一大爆音が彼等の飛びこんだ方面に起った。僕たちの車の硝子《ガラス》が、護謨《ゴム》毬《まり》をたたきつけたかのようにジジーンと音を立てた。
何事か起ったらしい。この儘《まま》、通りすぎたものか、引きかえしたものか。先刻《さっき》、窓からのぞきこんだ人造人間《ロボット》らしきものは、同志林田が活動を開始したのを語っている。三十一番街の爆発事件も、彼の手で決行されたものに違いない。だがその地点に、そんなに必要な事件を指令した覚えはないので、鳥渡《ちょっと》、事件を解釈するのに見当がつかなかった。これは引返して、様子を見たいものだ、と思ったが、劉夫人は、僕の胸にピッタリ顔をおしつけて離れない。彼女は、なんでも自分の家に連れて行くことばかりを考えているのに違いない。僕は、象牙《ぞうげ》のように真白な夫人の頸筋《くびすじ》に、可憐《かれん》な生毛《うぶげ》の震《ふる》えているのを、何とはなしに見守りながら、この厄介者《やっかいもの》から、どうして巧くのがれたものかと思案《しあん》した。
「止れ《ストップ》! 止れ《ストップ》!」
自動車の前に立ちふさがった数名の兇漢《きょうかん》がある。
「また、出たかな」僕はつぶやいた。夫人はすばやく身を起した。夫人は短銃《ピストル》を握り直したが、僕はなにも持っていなかった。武器を持つのは、いよいよ最後のときに限る。軽率《けいそつ》に武器をとり出すことは、できるだけ避けたい。ことに先程から、劉夫人の敏捷《びんしょう》なる行動に、ひそかに不審をいだいていた僕は、ことさら自分の武器を秘密の隠し場所からとり出すところを夫人に見られたくなかった。自動車の速力がすこし落ちると、兇漢の一人がとびのって、運転台の窓をひらいて、こっちへ顔を向けた。それは、案に相違して、林田でも、又他の同志でもなく、全く知らない中国人の顔だった。
「夫人にお願いがあります。重傷者ができましたから、この車を鳥渡《ちょっと》拝借《はいしゃく》したい」と中国人は丁寧に、だが圧《お》しつけるような口の利き方をした。
「失礼な! お断りします」夫人は負けてはいなかった。
「どうかお許し下さい、劉夫人、病人は唯今手当をしませんと、手遅れになりますから」
劉夫人と名をさされて、夫人の態度がちょっとかわった。
「お前はだれだい。病人は何処《どこ》の人だい」夫人が、俄《にわ》かに伝法《でんぽう》な言葉を吐いた。
「やんごとないお方でございます。私は現場から、電話をうけとったものです。おお、御病人の担架《たんか》が見えました」
なるほど、いつの間にか、十名ばかりの中国人や西洋人が一つの担架を守って、車外にかたまっていた。だが彼等の誰もが、自動車の存在などに気がつかないかのように、顔をそむけていた。僕は、夫人が、その負傷者に充分心を引かれているのを見抜いたので、別れるのは今だと思った。しずかに挨拶《あいさつ》すると、夫人は気の毒そうな顔をして、
「明日は是非おいで下さい」
「もし命がございましたら」そう言って僕は大胆に夫人の頸《くび》を抱えてその唇を求めた。そのとき僕の右手は、夫人の左の手首から三センチメートルばかり上を握りしめた。氷のようにつめたい痩せた手首だった。しかし象牙のようになめらかな手ざわりだった。その手ざわりをなつかしんでいると見せて、その部分に施《ほどこ》されている隠し文身《いれずみ》を、指先の触覚だけで読みとることを忘れなかった。いや、そればかりではない。あと十二分すれば、極めて正確に夫人の身体に、ちょいとした変化が起るような薬品をその皮膚にすりこむことにも美事《みごと》成功したのであった。
僕が下りると、顔中に繃帯《ほうたい》をした男が、自動車の中に担《かつ》ぎこまれた。四十をいくつか過ぎたと思われる長身の西洋人だった。
「今は何時になるか?」
その声音《こわね》は、重症の病人とは思われないほど元気に響いた。
「五時三十五分です、閣下《かっか》」
さっきの中国人が粛然《しゅくぜん》として答えた。
「時間を間違えるな。すべていつもの通りにやってくれるんだぞ」
「畏《かしこま》りました」
閣下と呼ばれたその重症者の声音《こわね》は、たしかに聞き覚えのあるものであった。が、それが誰だか、直ぐには考え出せそうもない。自動車は夫人と、その閣下と呼ばれる男と、家令のような中国人とをのせて、静かに動き出した。僕は三十一番街の方に駈け出した。同志に会って俄《にわ》かに計画の大変更を決行しようというのである。それで元来た道の方へと引きかえした。一丁ほど走ると、カーンと靴先に音があって何か金属製の扁《ひら》ったいものを蹴とばした。探してみると、それは銀製のシガレット・ケースにすぎなかった。そのようなものを検《しら》べて居る余裕《よゆう》はないから、捨ててしまおうとは思ったが、事件のあった附近で発見したものだから、何か手懸りになるようなものが見当るかもしれないと思ったので、ポケットからシガレット・ライターを出して、その光の下に改めてみた。
「L・M!」
果然《かぜん》、頭文字《かしらもじ》らしいL・Mの二字が、ケースの一隅《いちぐう》に刻《きざ》まれているのを発見した。L・Mとは誰であろう。尚《なお》もケースをひっくりかえしてみるうちに、遂に某大国の製品を示す浮《う》き彫《ぼり》が眼についた。
「×国大使ルディ・シューラー氏」
シューラー大使ならば二三度会ったことがある。あの温厚な元気な大使に会って好きにならぬものはあるまい。殊《こと》に、あの朗々《ろうろう》たる美音《びおん》で、柄《がら》にもなくシューベルトの子守歌を一とくさり歌ってきかせたときなどは、満場《まんじょう》大喝采《だいかっさい》であった。だが、その温厚な大使も、僕にとっては、敵国人に違いはなかった。その大使と、劉夫人とは、今日の有様では大変親密な間柄らしいが、一体どうしたというのであろう。大使はあのまま劉夫人の邸宅《ていたく》へ向ったのであろうか。それとも、大使館へ逃げかえったのであろうか。僕は、まっしぐらに三十一番街へ駈け出した。
「おお、井東君。いよいよ×国と中国とが露骨な同盟を結ぶことになるらしいぞ。その盟約の調印を長びかせろとの指令が来た。いま鳥渡《ちょっと》×国大使の車を三十一番街に追いこんだのさ。同志の仕掛けた爆弾を喰ってあのさわぎだ」
「人造人間《ロボット》は、よく働くかい」
「思ったより工合がいいなア、あの爆発さわぎの中で誰も怪我《けが》をせんかったからなア。充分人造人間を活躍させてみせて奴等の恐怖心を養って置いた。劉夫人も驚いてたろう」
「劉夫人と言えば、オイ林田、計画は全部、建て直しだよ。チャンスは、今だ。正確に言うと、このところ十五分間だ。この間に、うまく頑張《がんば》って呉れるなら、あとは僕たちの勝利だ。下手に行けば、明朝《みょうちょう》といわず、今夜のうちに僕たちの呼吸《いき》の根は止ってしまうことだろう。おい林田、もっと近くによれ!」
僕は劉夫人や×国大使に関する指令を発して、林田の援助を乞《こ》うた。
「よおし、そうこなくちゃならないんだった。恐ろしいことだが、僕たちが肉弾を以ってぶつかる目標が定《きま》っただけ、心残りがしなくていい。では同志、お互の好運を祈ろうよ」
僕たちは握手をしてわかれた。氷のように冷い同志林田の手だった。
海龍《かいりゅう》倶楽部《クラブ》へ入りこむには、会員各自に特有な抜け道がこしらえてあった。会員は真黒な衣裳で、頭巾《ずきん》も真黒、手にも真黒な手袋をつけねばならなかった。会場へ入るには手頸《てくび》のところに入墨《いれずみ》してある会員番号を、黙って入口の小窓の内に示せばよかった。だから僕にも「紅《べに》四」と朱色《しゅいろ》の記号が彫《ほ》ってあり、それは死ぬまで決して消えはしないのである。
僕は時間をはかり、すこし早や目の時刻に倶楽部へ着いた。会議室のホールには、ただ一人の先客があるばかりであった。その先客は、だらしなく卓子《テーブル》に凭《もた》れたまま眠りこけていた。僕は、そのうしろに廻って、静かに抱き起こすと、別室に退《しりぞ》いた。
会議がはじまるときには、十三人の会員が全部揃って、粛々《しゅくしゅく》と円卓子《まるテーブル》の囲《まわ》りをとりかこんだ。首領が立って説明した会議事項は、亜細亜《アジア》製鉄所に、空前の盟休《めいきゅう》が起ろうとしていること、なおその盟休は政治的意味が多分に加わっていて、所長の保管する某大国との秘密契約書などを、今夜の深更《しんこう》十二時を期して他へ移す必要のあること、それについて全会員が任務について貰うこと、などであった。団員は、それに対して、唯《ただ》、諾《イエス》か否《ノー》かを表示すればよい。首領以外の者は、絶対に口を利くことを許されない規定であったが、これは恐らく各団員の正体が決して知られないこと、従って団員は外に在《あ》って生活していても、けっして他から海龍倶楽部のメンバーであることを知られずにすむようにと、実に徹底した規定があるのであった。団員は会議事項の全部を承認した。首領は大変よろこんだが、引続いてその配置や実行方法について詳細なる説明を語りつづけるのであった。
そのとき、突然、首領の前に置かれた電話機が、けたたましく鳴りはじめた。首領は手をのばして受話機をとりあげた。電話の内容は、首領を驚かせるに充分だったと見えて、彼は右手で机をおさえ、辛うじて崩《くず》れ落《お》ちようとする全身をささえている様子だった。電話が終ると、首領は俄《にわ》かに厳粛《げんしゅく》な態度にかえって、団員一同を見渡すと、やがて静かに口を開いた。
「皆さん、今夜の決議事項は駄目になりました」首領の英語は常に似ず朗《ほがら》かさを失っていた。「亜細亜《アジア》製鉄所には既に暴動が起りました。製鉄所の建物は今猛火につつまれています。キューポラは爆発して熔鉄《ようてつ》が五百|米《メートル》四方にとび散ったということです。この暴動の群衆の中に、奇怪なる人造人間《ロボット》が多数|交《まじ》っていて、いずれも挺身《ていしん》、破壊《はかい》に従事したということです。次に命令です。失礼ながら皆さん、両手をあげていただきたい。おあげにならぬと、この私が銃丸《じゅうがん》をさしあげますぞ」一同は不意を喰って驚きはしたが、双手《そうしゅ》を直《す》ぐに挙げることには躊躇《ちゅうちょ》しなかった。それは首領の射撃の腕前を、この部屋でしばしば目撃したことがあるからである。
「さて諸君、もう一つのニュースをおしらせする。それは副首領の緑十八が、行方不明になったことである。緑十八は、先程から見まわすところ、この席上に出ていないようである。しかるに、ここに不思議なことがある。この会議にこうして出ている人数は、いつもの通りの十三人である。従って、ここには一人の珍客《ちんきゃく》がお出席になっていることと拝察する。皆さん、覆面《ふくめん》をとっていただきたい。その代り現倶楽部員は即刻、解任されたものと御承知願いたい」
僕は躊躇《ちゅうちょ》なく覆面をかなぐり捨てた。それと同時にあちらこちらでも、覆面が脱ぎ取られ、その度に、意外な顔があらわれるのであった。だが唯一人、覆面をとらぬ団員があった。
「貴方《あなた》はどうしておとりにならない」
最後の一人は、両手を頭上にうちふって哀願しているようだったが、隣の男が素早くすすみよると、するりと覆面の布《ぬの》をひきはいだ。
「呀《あ》ッ、人造人間
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