か」
「まあ……」と女は愕《おどろ》いて「もちろん殺されたに違いありませんわ。あたし、これからどうしましょう」
ジョンは黙って立っていた。
ウララは苛々《いらいら》した様子で彼の腕に手をかけ、
「ねえジョン。あたしはもう決心しているのよ。こうなっては仕方がないわ。さあ、これからすぐに、あたしを連れて逃げて下さい」
といって、彼の腕を揺《ゆ》すぶった。
ジョンは、またずり落ちそうになった鞄を抱えなおしてから、ウララの肩に手をかけ、
「ウララ、お聞きなさい。逃げることは、もっと後にしても遅くはありません。それよりも、あなたの家に行ってみましょう。死体の始末がうまく出来ればいいでしょう。さあ、急ぎましょう」
二人が玄関から出てくる気配なので、柱の蔭に隠れていた帆村はハッと愕いた。咄嗟《とっさ》に彼は、壁にピタリと身体を密着させた。二人はついにそれには気づかず、スタスタと雨の中に急ぎ足に出ていった。
それと入れ違いに、受付の窓が開いて、看護婦が顔を出した。
「アーラ、やっぱり誰も居やしないわ。だから、あたしはベルなんか鳴りやしないと云ったのに」
2
帆村は雨に濡れてゆく背丈のたいへん違った男女の後を巧みに追っていった。二人は濠端《ほりばた》へ出たが、自動車にも会わず、そのままドンドン向うへ歩いていった。そして新富橋《しんとみばし》の上にさしかかったとき、女はハッとした様子で立ち停った。
女は向うを指《ゆびさ》した。
「アラ、窓に灯がついているわ。誰もいない筈なのに」
橋を越えて、濠添いに右へ取っていったところに、人造人間の研究で知られた竹田博士研究所が聳《そび》えている。女は明らかにその家の窓を指しているのだった。
二人は急ぎ足となった。そして一度追い越した帆村を、また追い越しかえして、濠端を駛《はし》った。
門前ちかくにまで進んだ二人だったけれど、何を見たのか俄《にわ》かに急いで引返してきた。帆村は面喰《めんくら》った。しかし本当に面喰ったのは二人の方らしかった。男は女を後にかばってツと濠端に身を引いた。外人の大きな挙《こぶし》が長いズボンの蔭にブルブルと呻《うな》っているのが判った。帆村はジロリと一瞥《いちべつ》したまま、平然と二人の前を通りすぎた。彼は後の方で、深い二つの吐息《といき》のするのを聞いた。
帆村は構わず、竹田博士研究所の門前に近づいた。石段の上に、玄関の扉が開け放しになっていて、その奥には電灯が一つ、荒涼《こうりょう》たる光を投げていた。しかし人影はない。
彼は構わず石段をのぼっていった。石段を上りきったと思ったら、
「こらッ」と大喝一声《だいかついっせい》、塀のかげから佩剣《はいけん》を鳴らして飛びだしてきた一人の警官! 帆村の頸《くび》っ玉をギュッとおさえつけた、帽子が前にすっ飛んだ。
「まあ待って下さい。帆村ですよ」
「なんだ、帆村だとオ。――」警官は愕いて彼の顔を覗《のぞ》きこんで「――やあ、これはどうも失敬。帆村さん、莫迦《ばか》に嗅ぎつけようが早いじゃありませんか」
「なアに、この辺は僕の縄ばりなんでネ」
といって彼は笑った。帆村理学士といえば道楽半分に私立探偵をやっていることで警官仲間によく知れわたっていた。彼の学識を基礎とする一風変った探偵法は検察当局にも重宝《ちょうほう》がられて、しばしば難事件の応援に頼まれることがあった。かれは有名な悪口家《わるくちや》で、事件に緊張している下《した》ッ端《ぱ》の警官たちの頤《あご》を解く妙法を心得ていた。
「ねえ君。これは逃げた梟《ふくろう》でも捕《とら》える演習しているのかネ」
「冗談じゃありませんよ。ここの主人が殺《や》られたんですよ」
「ほう、竹田博士殺害事件か。それにしてはいやに静かだねえ。国際連盟は押入から蒲団《ふとん》でもだして、お揃《そろ》いで一と寝入りやっているのかネ」
「じょ、冗談を……」
といっているところへ、表に自動車のエンジンが高らかに響いて、帆村のいう所謂《いわゆる》国際連盟委員がドヤドヤと入ってきた。雁金《かりがね》検事、丘予審判事、大江山捜査課長、帯広《おびひろ》警部をはじめ多数の係官一行の顔がすっかり揃っていた。「お、帆村君、もう来ていたか。電話をかけたが、行方不明だということだったぞ」
と、雁金検事が、彼の肩を叩いた。
「いや貴官がたが御存知ないうちに、うちの助手に殺人現場を教えとくのは失礼だと思いましてネ」
と帆村は挨拶を返した。
「さあ、始めましょう」
大江山課長は先登《せんとう》に立つと、家の中に入っていった。帆村も一番|殿《しんが》りからついていった。
階段を二つのぼると、三階が博士の実験室になっていた。そこはだだっ広い三十坪ばかりの部屋だった。沢山の器械棚が壁ぎ
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