けでもなく、腸《ちょう》がとびだしてくるわけでもなく、腹の中には、ぎっしりとこまかい器械が、すきまなく、つまっていた。
 イワノフ博士は、そのとき妙な眼鏡をかけると、ペンチとネジまわしをもって、人造人間の腹の中をしきりにいじりはじめた。
「ふん、どうもよくわからない。はやく直しておかないと、あとでこまるんだが……」
 といっているうちに、「あっ、この歯車がこんなに折れている。歯車の歯がぼろぼろにかけている。なぜこんなことになったんだろうか」
 博士は、ふーんと呻《うな》った。


   大辻の冒険


 ここにしばらく忘れられた一人の人物がある。それは誰だったろうか? それは外でもない。足が痛いとか、腰がだるいとかいって、ふうふう息をつきながら、だんだん遅れてしまう大辻助手だった。
 彼は一体どうしたのであろうか。
 大辻助手は、胆《きも》がつぶれるほどのたいへんな場面をみた。それは、自分の主人の帆村探偵と正太少年とが、イワノフ博士のために岩かげにおいこまれるところだった。(これは一大事。うぬ、先生たちを捕虜《ほりょ》にされてたまるものかい)と、すぐにその場にとびだそうとしたが、待てしばし、このまま出ていっては、あの怪老人にあべこべにやっつけられるので、とびだしたい心をしいておさえつけ、しばらく様子をうかがっていた。そのうちに、大岩のまわりはしんかんとして、なに一つ物音がしなくなったので、
「しめた。これでみると、あのイワノフめは、まだおれさまという強い人間がいるということを知らないな。よし、そんなら、こっちもそのつもりで、うまくやってやるぞ」
 大辻は、この一大危難《いちだいきなん》におちいって、かえってにわかに勇気りんりんとふるいたった。
 彼はそれから、注意ぶかく巌のまわりをみてまわった。その彼は、やがて草むらのなかに、一つのまるい金網《かなあみ》をみつけた。金網の下はまっくらでよくわからないけれども、穴があいていて、かなり下の方まで通じている様子であった。
「これは一体なんだろう?」大辻は金網のうえに手をつけて、じっと身体をうごかさないでいた。すると、どこからともなく、しくしくという泣き声がきこえるのであった。
「あれっ、誰か泣いているぞ!」
 大辻はびっくりして顔をあげた。たしかにその泣き声は、地面の下から聞えてくる。
「はて、あれは正太君の泣き声かな、それとも先生が泣いているのかな。まさか先生ともあろうものが泣くとは考えられないけれど、いやそうではないかもしれない。先生でも、いよいよもうだめだというときには子供のようにわんわん泣くのかもしれない。よし、おれが助けてやろう」
 大辻は、金網に手をかけて、ひっぱった。金網はすぽんとひらいた。中をのぞくと、そこははたして、深い穴で、彼の身体がやっとはいれるぐらいの太さはある。
「よし、こうなったら、はいっていくぞ」
 大辻は大決心をかためて、足の方から穴の中へいれた。が、足は下までとどかない。そのうちに、つかまっていた草の根が、ごそりとぬけたので、あっという間に、彼の身体はすーっと下へおちだした。そしてやがてどしんという音とともに、穴の底に尻餅《しりもち》をついたが、そのとき何者か、きゃっといってとびのいたものがある。


   大手柄《おおてがら》


 大辻助手は、どんなにおどろいたか、しれなかった。なにしろ、高いところから、どすんとおちて、いやというほど腰をうった。さあ、すぐ起きあがろうとおもっても、腰ははげしくいたむばかりで力というものが、まるっきりはいらない。そばでは何者かが、きゃーっと、へんなこえを出してとびのいた。気味がわるいったらない。が、こっちはうごくことができない。
 大辻助手は、唸《うな》りたいのを、こえをだしてはたいへんと、口の中にのみこんで、一生けんめい観音《かんのん》さまを心の中で拝《おが》んだ。すると、しばらくたって、
「ひーい」と、一こえ、泣きごえがきこえる。それはたいへん細いこえだった。
「うむ、ゆ、幽霊だ!」
 とうとう大辻助手は、たまらなくなって、おどろきのこえをたてた。からだは大きいが胆玉《きもったま》の方は、それほど大きくないのがこの大辻助手だ。
「ええっ、幽霊。あれーえ」
 つづいて、かん高いこえで叫んだ者がある。それは大辻ではなかった。女の子のこえだった。大辻は二度びっくり!
 だが、はっきり女の子のこえとわかって、彼はややおちついた。さっきから、まっくらな、このしめっぽい空井戸《からいど》の底みたいな中で、きゃあきゃあいっていたのは、この女の子だったんだ。とたんに、大辻の頭の中に、一つの考えがぴーんとひらめいた。
 そこで彼は低い声で叫んだ。
「もしもし、あなたはマリ子さんじゃありませんか」
「えっ」相手は、おどろきのこえをだした。
「マリ子さんでしょう。わしは探偵じゃ、名探偵長の大辻という者です。えへん。正太君からたのまれて、ここまでマリ子さんをさがしにきたのです」
「それは本当ですか、あたし、マリ子よ」
「やっぱりそうだった。名探偵長がここへ来たからには、マリ子さん、安心をなさい」
「まあ、あたし、本当に助かるのかしら。あたしまた夢をみているのじゃないかしら」
 そうであろう。これが本当にマリ子であれば、そう思うのもむりではない。ウラル丸の中でイワノフ博士にかどわかされ、それから兄の正太とおなじ顔かたちをした人造人間エフ氏にひきずられるようにしてずいぶん苦しい目、かなしい目にあって苦しんできたのだ。死んだ方がましだと、なんべん思ったかしれない。しかしなんとかして生きていて、病気で寝ていると同じお母さまに、一度でもいいから会いたい。それまでは、どんなことがあっても倒れまいと、よわい少女の身をまもって、こらえてきたのであった。
「もう大丈夫。わしが――この名探偵長大辻がついている以上、何が来たってもう大丈夫だ。マリ子さん、どうぞ大船《おおぶね》にのった気で安心なさい」
 大辻は、マリ子に元気をつけようとおもい、名探偵長になりすまして、さかんにいばってみせるのだった。大辻は、たいへんお手柄をたてたわけである。が、そのお手柄のはじまりというのは、(あっ、幽霊だ!)と、本気でがたがたふるえたことにあるのだ。臆病のお手柄なんだから、あまりいばれたものではない。帆村探偵がきいたら、笑うだろう。
 マリ子は、大辻のことばをきいて、たいへん元気づいた。でも、どうしてこんな空井戸みたいなところから、にげだすことができるだろうか。マリ子はそれを心配して、大辻にうったえた。すると大辻は、からからと笑って、
「なあに、そんな心配は無用だ」
「どうして?」
「だって、わしは、この穴の上から、ここへおっこったんだもの。だからこの穴を逆に上にのぼっていけば、必ず外に出られるわけだ。ねえ、そうでしょう」
「そうね。でも、こんな深い縦穴《たてあな》をのぼるなんて、あたしにはそんな力はないのよ」
 と、かなしげにいった。
「なあに、それも心配無用だ。わしは、穴の中へおっこちるのも上手だけれど、上へのぼるのも大得意《おおとくい》なんだよ。なぜって、わしは山国《やまぐに》の生れでね、小さいときから、山のぼりや木のぼりをやっていて、それにかけてはお猿さんより上手なんだからね」
 お猿さんというよりは、ゴリラといった方が似あう大辻助手だった。


   負けない二人


 大辻助手は、物事がうまくいくと、たいへん元気の出る男だった。そのかわり、物事がちょっとけつまずいて、うまくいかないと、とたんにくさるという悪いくせがあった。
「さあ、マリ子さん。わしの背中におんぶするんだ。ぐずぐずしていると、また悪い奴にみつかるからね」
 マリ子は大辻の背中にとびついた。大辻はそこで、バンドを外《はず》して、マリ子を背にくくりつけた。マリ子は、お尻の下のところがバンドにしめつけられてくるしいが、そんなぜいたくなことをいっていられない。マリ子の両手は、大辻の肩をしっかりとおさえる。大辻は、その穴をのぼりはじめた。
 彼は、ポケットから大きな水兵ナイフを出して口にくわえている。両足と両手と、この四つの手足が、穴の壁を押しているが、まるで煙突の中に蟹《かに》が入っているような恰好である。彼は、たくみに手足をかわるがわるうごかし穴の壁を上へのぼっていくのであった。水兵ナイフは、穴の壁に、手足をかける凹《くぼ》みをつくるためたいへん便利であった。
 穴をのぼりきるまでに、丁度三十分かかった。大力を自慢にしている大辻助手も、さすがにこの三十分間のむりな働きに力のありったけを出してしまったものとみえ、穴の外に出ると同時にものもいわずに、草の上にどしんと倒れて了《しま》った。
「大辻さん。しっかりしてよ」
「ふーん」
「はやくにげましょうよ。だれか追いかけてくるとたいへんだから」
「ふーん」
 なにをいっても、しばらくは、ふーん、ふーんと唸《うな》っていた大辻だったが、やがて牛がやるように、むっくり起きあがると、
「ばんざーい。もう、こわい者はいないぞ。さあ、ひきあげよう!」
 マリ子を背中におうと、大辻は、うすぐらい山道を下へ、どんどんと駈《か》けおりていった。
 大辻は、たいへんうれしかったのだ。そして大得意だった。彼は、帆村のことや正太のことを思い出さなければならないのだが、彼はそんなことなしに、どんどん山を下りていった。あまりにうれしすぎたのであった。大得意だったのである。
 麓村《ふもとむら》へ、麓村へ! その間、人造人間エフ氏にも追いかけられないように祈りつつ、大辻助手はどんどんと山を下りていく。
 さてこっちは、イワノフ博士である。人造人間エフ氏の身体をあけて、そこにぎっしりつまっている器械をなおしているうちに、彼はなにか気になる物音をきいた。
「はてな、あれはなんの音だろうか?」
 博士は、どこかでざざあ、どどーんと、岩石がこわれておちる音をきいてたち上った。
「ふむ、あの探偵と小僧とが、脱走をしようとおもって岩穴《いわあな》をくずしているのかもしれない。きっとそれにちがいない。うむ、ひどい目にあわせてくれるぞ」
 博士は、ピストルをもって、室を出ていった。地下道にひびく博士の足音。
 博士は、帆村探偵と正太少年とを放りこんである土牢《つちろう》の前に、そっと近づいた。そして小さい格子窓《こうしまど》のところへよった。かすかな豆電球がともっている土牢であった。博士の目は、そのうすぐらい明りをたよりにして石牢の中をのぞいた。
「あっ、いた――二人とも、あそこに長くなって倒れている。さっきのやつが、よほどきいたとみえるな。これで安心、大安心だ。すると、あのもの音はマリ子を入れてある奥の牢の方かもしれない。そっちを見てこよう」
 そういって博士は、地下道を奥の方へとはいっていった。
 ところが博士が向うへいったとわかると、帆村と正太は、がばとはねおきた。じつは二人とも、わざと倒れている様子をしていたのである。
「さあ、今のうちだ。いよいよ穴があくぞ」
 二人は、蝗《いなご》のように壁にとびついた。そして棒切《ぼうきれ》みたいなもので、暗い壁をつついていたが、どうしたものか、にわかに壁をとおしてさっと一|条《すじ》の光がとびだした。


   意外な出来事


 光だ! 暗い壁から、ぱっとさしこんだ光だ!
 その光は、みるみる大きくなっていった。帆村と正太は、あらそうようにして、この光のそばにくっついて、はなれない。
「ふん、よく見える!」低いこえで帆村がいった。
「見えるの、室内が……」と、これは正太少年だった。壁に穴があいたのだ。壁穴をとおして、となりの室内が見える。
「あっ、あそこに人造人間がいる。正太君、ちょっとここへ来て、中を見たまえ。僕が抱いてあげよう」帆村は正太を、うしろから抱きあげて、穴をとおし室内の様子をみせてやった。
「あっ、あいつだ。僕そっくりの顔をしている。人造人間エフ氏だ」
「正太君、しずかに――」と、帆村は注意をした。
「ねえ正太君。いま見る
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