あくびをした。そのとき奥から、高級船員があらわれて、こえをかけた。
「おい、あくびなんかするなよ。そのあいだに、船客切符の番号でもあわしておけ」
つまらないところを見られたものだと、切符掛の船員は、ぶつぶついいながら、一号二号三号と切符をそろえだした。彼は、もうすこしで全部の切符をかぞえおわろうとしたとき、船客がひとりそこへ出てきた。
「もしもし切符はこっちへください」
そういって、船員が手を出した。見ると、その船客というのは一人の少年だった。少年の顔をみると、切符掛の船員は、あれっ、へんだなと、こころのなかで、さけんだ。
「ああ切符なら、これです」
少年は、十九号と番号のうってある切符をさしだした。切符掛が切符をうけとろうとすると、かの少年はあわてて、手をひっこめた。
「ま、待ってください。いま船をおりるわけじゃないんです」
「だって、船はここでおしまいですよ。早くおりてください」
「それはわかっていますよ。しかし僕の妹がどこへいったのか、見えないんです」
「えっ、なんですって」
「さっきから妹のマリ子を船内あちこちとさがしているんですが、どこへいったのか、いないんです。僕、困っちゃったなあ」
少年は、ほんとうに困っているらしくみえる。だが、船員は、この少年のふるまいを、たいへんあやしいとにらんだ。
「もしもし、ちょっとその切符をみせなさい」
「切符よりも妹をはやくしらべてください」
「いやいやそうはいきません。その切符はあやしいですぞ。君は十九号という切符をもっているが、ほら、これをごらんなさい。十九号という切符は、もうすでに私がちゃんとお客さまからいただいてある。君のもっている切符は、にせ切符だ。君は、どこからそんなにせ切符をもってきたのか。それともじぶんでこしらえたのか。これ、もうにがさんぞ」
そういって切符掛は、少年にとびつくがはやいか、力にまかせてねじふせてしまった。この少年の顔をよくみると、ふしぎにも、正太少年と、そっくりの顔をしていた。
ほんとうの切符
このしらせが、船長のところへいった。船長はおどろいて出口のところへとんできた。
「ふーん、やっぱり君だったか。どうしてにせ切符をもっているのか、へんじをしたまえ」
「おじさんがたは、僕の切符をにせ切符だ、にせ切符だというが、なぜそういうんです。この切符は、ちゃんとお父さんに買ってもらった切符で、にせ切符なんかじゃない。よくしらべてから、おこったがいいや」少年は、顔をまっ赤にしていった。
船長はうなずき、切符掛から、十九号と書いた二枚の切符をとって、くらべてみた。どっちもおなじような切符だ。船長は、指さきで切符の紙の質をしらべたり、それがすむと陽《ひ》にすかしてみたり、いろいろやった。
「ふーん、こいつはへんだ。こっちの切符は本物だが、こっちの切符はにせ切符だ」
船長は、にせ切符の方へ、赤鉛筆でしるしをつけた。
「はっきり、にせ切符だということがわかりましたか」と切符掛はにやりと笑い、そして少年の方をむくと急にこわい顔をして「おい、もうだめだぞ。船長さんが目ききをした結果、おまえの切符は、にせ切符ときまった。さあ、白状《はくじょう》せい!」
「待て」
船長は、船員の肩をおさえた。
「えっ」
「君は、おもいちがいをしている。この少年の持っている切符の方が本物で、はじめに君がうけとっておいた十九号の切符の方がにせ切符なんだ。この少年を、にせ切符のことでうたがったのはわるかった。君もこの少年にあやまりたまえ」
そういって、船長は少年にわびをいった。切符掛は、なんだかわけがわからないが、船長があやまれというので、そのあとについてぺこぺこ頭をさげた。少年は、みんなにあやまられても、別にうれしそうでもなかった。彼の顔は、さっきよりも一そう青ざめていた。
正太の心配
正太は船をおりた。船のなかで、行方不明になった妹マリ子のことが心配でたまらない。警察署へいって、このことを話すと、さっそくさがしてくれることになった。
だが、正太には、警察のさがしかたが、なんだかたいへん頼《たよ》りなくおもわれた。マリ子は、一体どこへいったのであろうか。正太はあてもなく敦賀《つるが》の町をさまよってマリ子をさがしてあるいたが、なんの手がかりもなく三日の日がすぎた。
船長は、たいへん気の毒がって、このうえは東京へいって、誰かいい探偵をたのむのがいいだろうとおしえてくれた。そして船長は、自分の名刺をつかって、紹介状をかいてくれたのであった。宛名を見ると、「帆村荘六《ほむらそうろく》どの」としてあった。
帆村荘六? どこかで聞いたような名前だった。船長は正太をなぐさめながら、この帆村探偵は若い理学士だが、なかなかえらい男だから、きっとマリ子をさがしだすだろうと、正太に力をつけてくれた。そこで正太は、やっとすこし元気づいて、なごりおしくも敦賀の町をあとに、東京へむかったのであった。それはウラル丸が敦賀の港について五日目のことだった。
ここで話は一日前にさかのぼる。場所は、東京九段の戦勝展覧会場の中であった。朝早くから、会場の門はひらかれていた。お昼からは、見物人でたいへん混んだが、さすがに朝のうちは、すいていた。
その朝、番人はなんにもあやしまないで、入場をさせたが、正太やウラル丸の船長や、それから敦賀警察署の警官たちに見せると、かならず「あっ」と叫ばずにはいられないようなあやしい二人づれの入場者があった。
その二人づれとは、一人は上品な少年、もう一人はその妹と見えるかわいい少女であった。いや、もっとはっきりいうと、その少年は、正太そっくりの顔をしていたし、その少女は、正太の妹のマリ子そっくりであった。二人は仲よく手をつないで、会場にならんでいる、分捕《ぶんどり》の中国兵器やソ連兵器を、ていねいに見てまわった。
「かわいい坊っちゃんにお嬢さん。こんな早くから見に来て、かんしんですね」
会場のあちこちに立っている番人が、いいあわしたように、二人にこんな風に話しかけた。
二人は、それをきいて、にっこりと笑うのであった。やがてこの正太とマリ子に似た二人づれは、この展覧会で一等呼び物になっているソ連から分捕った新型戦車の前に来た。
正太に似た少年は、その前にずかずかとよると、まるで匂いをかぎでもするように、戦車に顔をすりよせた。それからというものは、正太に似た少年の様子がへんになった。
ちょうどそのとき、二人のあとから入って来た村長らしい見物人を、わざとさきへやりすごすと、正太に似た少年は、俄《にわ》かに目をぎょろつかせ、あたりに気をくばった。マリ子は、人形のように、じっと室の隅に立っていた。ぱちぱちぱちと、とつぜんはげしい音がきこえた。見ると、その呼び物のソ連の新型戦車が火をふいているのであった。よく見ると戦車は真赤に熟しつつ、どろどろと形が熔《と》けてゆくのだ。そして、その前には、正太に似た少年が、大口をあいて、はあはあ息をはきかけている。その息が戦車にあたると、戦車はどろどろと飴《あめ》のように熔けてゆくのであった。
なんというあやしい少年のふるまいであろう。それは人間業《にんげんわざ》とはおもわれない。一体彼は何者であろうか。
燃える戦車
「おう、たいへんだ。戦車が燃えている。いやどろどろに熔《と》けている、おい、みんな早くこい」
「何だ。火事か。えっ、鋼鉄《こうてつ》づくりの戦車がひとりで焼けている?」
展覧会場は、たちまち大さわぎになってしまった。警官隊がトラックでのりこんでくる。サイレンを鳴らして、消防自動車がとびこんでくる。たんへんなさわぎだ。このさわぎが始まると、二人の少年少女はいちはやく会場の外へにげだした。そしてどこかへいってしまった。
ホースをもって、消防手がのりこんでくると、そのとけくずれた戦車をしきりにのぞきこんでいる髭《ひげ》だらけの老人紳士があった。
「うふふふ、これはすごいことになったぞ。三センチもある鉄板《てっぱん》が、ボール紙を水につけたようにとけてしまった。とてもおそろしい力だ」
「おい邪魔だ。おじいさん、あっちへどいてくれ。水がかかるよ」
「なあに、水をかけることはないよ。もう火はおさまっている。戦車がとけて、鉄の塊《かたまり》になっただけでおさまったよ。はははは」
老紳士は、声たからかに笑って、消防士においたてられて立ちさった。その老人紳士は誰あろう、ウラル丸でさかんにさわいでいた老人だった。自分の全財産をつんだウラル丸が沈没するというので、船長にくってかかったあの老人であった。
戦車どろどろ事件は、その筋《すじ》をたいへんおどろかしもし、困らせもした。大事の分捕品《ぶんどりひん》が形がなくなったことも大困りだが、なぜどろどろにとけくずれたか、そのわけがわからないのだ。番人たちは、憲兵隊の手できびしくしらべられた。だが彼等も、本当のことはなに一つ知っていなかった。狐に化かされたようだというのが、そのしらべのしめくくりであった。まさかあのかわいい少年少女が、おそろしい犯人だと、気がついた者はない。それから二日おくれて、正太少年は、ひとりさびしく汽車にゆられて東京についた。
少年は、なにをおいても、郊外にある家へかえって、病床《びょうしょう》にある母にあいたかった。しかし本当のことをいったら、母はどんなに心配するかもしれない。母にはすまないが、マリ子は船の中で病気になり、敦賀の病院に入っていることにしておこうと決心をした。その正太が、東京郊外の武蔵野に省線電車をおり、それから砂ほこりの立つ道を、ひとりぽくぽく家の方へ歩いているときだった。彼は母にあってよどみなくいうべき言葉を、あれやこれやと考えながら歩いていたので、ついぼんやりしていたらしい。それが、ふと目をあげて、向こうにつづくひろびろとした畑道をながめたとき、彼は意外なものを見つけて、おもわず「あっ」とおどろきの声をあげた。
「あっ、あれはマリ子じゃないか」
二百メートル先の向こうの畑道を、二人の少年少女が、手をひいて歩いていく。その少女のうしろ姿を見たとき、正太はそれが妹のマリ子だといいあてたのだった。なぜといって、その少女は、船の中にいたときのマリ子の服と同じ服を着ていた。赤い帽子も同じであった。おかっぱの頭の恰好や歩きぶりまで、たしかにマリ子にちがいなかった。
「おーいマリ子」
正太は、マリ子が誰と歩いているのかを考えるひまもなく、うしろからよびかけた。すると二人は、一しょにくるっと正太の方をふりかえった。そのとき正太は、おそろしいものを見た。
妹マリ子のそばに立っている連れの少年の顔は、なんとふしぎにも、自分そっくりの顔をしているではないか。こうもよく似た顔の少年があったものだ。
「おーい、君は誰だ」
正太が声をかけると、かの正太そっくりの少年は、いきなりマリ子を背に負い、後をふりかえりながら、どんどん逃げだした。その足の早いことといったら、韋駄天《いだてん》のようだ。
「おーい、待て。マリ子、お待ちよ」
正太は、二人のあとをおいかけた。畑道をかけくだってゆくと、郊外電車の踏切があった。マリ子を背負った怪少年は、踏切をとぶように越していった。正太はあと五十メートルだ。
そのとき意地わるく、踏切の腕木《うでぎ》が下がった。そしてじゃんじゃんベルが鳴りだした。急行電車がやってきたのだ。正太が踏切のところまでかけつけたときは、もうどうにもならなかった。番人は、それとさとって、腕木の下をいまにもくぐりそうな正太をぐっとにらみつけた。
「あぶないあぶない。入っちゃ生命がない!」
怪少年出没
おしいところで、正太は妹と怪少年においつけないで終った。踏切の腕木《うでぎ》があがったあとは妹を背負った怪少年の姿はもう小さくなっていた。
それでも正太は、ここで妹をとりかえさねばいつとりかえせるやらわからないと一生懸命においかけたがもうすでにおそかった。やがて二人の姿は、村の家ごみの中に消え
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