む》けた。その水槽からは湯気のようなものが濛々《もうもう》と立ちのぼり、その下には青い液体が湛《たた》えられ、その中に一個の人体が沈んでいるのが認められた。引き上げてみると、それは外ならぬ赤沢博士の屍体だった。全身は真白に氷結し、まるで石膏像《せっこうぞう》のようであったが、その顔には恐怖の色がアリアリと見えていた。――青谷技師は、このハンドルを廻さなければ液体空気はなおドンドンこの水槽の中へ入って行く筈だと説明した。
「これは面白いことになってきた」K新報社長は喚《わめ》きたてた。「これはテッキリ赤沢金弥が犯人じゃろうと思っていたが、赤沢は幽霊に殺されてしまったじゃないか。オイ丘署長、犯人は一体誰に決めるのだ」
 丘署長は、この激しい詰問《きつもん》に遭《あ》って、顔を赤くしたり蒼くしたり、著《いちじる》しい苦悶の状を示した。しかし遂に決心の腹を極めたらしく、大きな身体をクルリと廻わすやいなや、青谷技師に躍りかかった。
「さあもう欺されんぞ。君を殺人犯の容疑者として逮捕する!」
「これは怪しからん」
 青谷技師は激しく抵抗したが、署長の忠実なる部下の腕力のために蹂躪《じゅうりん》されてしまった。彼の両手には鉄の手錠がピチリという音と共に嵌《はま》ってしまった。しかし署長以外の者は、意外という外に何のことやら判りかねた。
「おうおう、派手なことをやったな。但し君はまさか気が変になったんじゃなかろうネ」とK新報社長がやっと一と声あげた。
 丘署長はそれに構わず、技師を引立てた。
「署長さん――」と青谷は怨《うら》めしそうに叫んだ。「これは何が何でもひどいじゃないですか。どうして手錠を嵌《は》められるのです。その理由を云って下さい」
「理由?――それは調室へ行ってから、こっちで言わせてやるよ」


     7


 青谷技師は調室の真中に引きだされ、署長以下の険《けわ》しい視線と罵言《ばげん》とに責められていた。彼は極力犯行を否定した。
「……判らなきゃ、こっちで言ってやる」と署長は卓を叩いた。「これは簡単な問題じゃないか。あの特別研究室に入るのは、博士と君だけだ。床をドンデン返しにして置いて、その下へ西洋浴槽のようなものを据《す》えてサ、それから一方では液体空気のタンクを取付け、栓のひねり具合で浴槽の中へそいつが流れこむという冷凍人間製造器械は、君が作ったものに違いない。博士自身が作ったものなら、遺書も書かずに死ぬというのは可笑《おか》しい。幽霊に追われたとしても、自分の作ったものなら、そこへ逃げ込むのも可笑しいし、第一ドンデン返しにならんように鍵でも懸けて置きそうなものじゃないか。だから君だけ知っていて、博士を脅《おびや》かして墜落させたものに違いない」
「署長さん、それは貴下の臆測《おくそく》ですよ」と青谷はアッサリ突き離した。「ちっとも証拠がないじゃありませんか。それに当時私は貴下の側にいました。それでいて、墜落させたり、幽霊を出したり、そんな器用なことができますものか」
「ウン、まだそんなことを云うか。……夫人殺害のことでも、君のやったことはよく判っているぞ。君はあの夜八時に帰ったということだが、それは確かとしても、工場の門は一度六時に出ているじゃないか。わしが知るまいと思ってもこれは門衛が証明している。そうしたと思ったら、忘れ物をしたというので、七時半ごろ再びトラックに乗って引返してきた。そしてまた八時ごろになって、本当に帰ってしまった。君が引返してきたときには、工場の中には自室で読書に夢中の博士と、別館には婦人が居ることだけで外に誰も居ないと知っていたのだ。そして約三十分の間に、実に器用な夫人殺害と、屍体の空中|散華《さんげ》とをやって、八時頃なに食わぬ顔で帰ったのだ。どうだ恐《おそ》れ入ったか!」
「それはこじつけです。私はそんなことをしません」
「夫人を殺害しないと云っても、それを証明することができんじゃないか。君に味方するものはおらん」
「そんなに云うなら、私は云いたいことがあります。これは貴下の恥になると思って云わなかったことですが……」
「ナニ恥とは何だ」署長は眼の色を変えた。
「恥に違いありませんよ。貴下方はあの晩湖水の上空から撒かれた人間灰が、珠江夫人のだと思いこんでいるようですが、それは大間違いですよ。湖畔で採取した人肉の血型《けっけい》検査によるとO型だったというじゃありませんか。しかし夫人の血型はAB型です。これは先年夫人が大病のとき、輸血の必要があって医者が調べて行った結果です。O型とAB型――一人の人間が同時に二つの血型を持つことは絶対に出来ません。人肉の主と夫人とは全く別人です。貴下はこんな杜撰《ずさん》な捜索をしていながら、なぜ僕を夫人殺しなどとハッキリ呼ぶのですか」
「ウム。――」
 
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