夫は受話器に耳を懸けて、ラジオのような器械の目盛盤をいじっていたが、やがてニッコリ笑うと、受話器を外して社長へ薦《すす》めた。
「これで聞えるのだナ。よオし、皆はやく部屋を出てゆけッ」
 一同は足を宙に浮かせて、室を出ていった。
「さあ、これでアノ庄内村の調室の模様がすっかり判《わか》るんじゃ。犯人村尾某の供述を、警察がどんなに隠しても、わしには知れずにゃいないのじゃ。あとできっと丘先生、さぞや腰をぬかすことじゃろう」田熊社長は村尾某の監禁されている調室から秘密に電話線を引けたので、向うの話を盗聴できるというので大変機嫌がよかった。
 間もなく、待ちに待った調べ室の会話が、低音ながら聞えてきた。
(どうも失礼しました)と聞きなれぬ声がした。
(いえ、なに……)といったのは、どうやら丘署長らしい。
(……そんな訳ですから……)と始めの声が伝った。
 なんでも前からの話の続きらしい。(私の推理はですナ、九分どおり実証の上に立っているのですが、惜しいかな後の一分のところが解らないために、結局仮定を出でないのです。その不満足なままで申上げますと、さっきも説明しましたとおり、犯人はその夜強い西風が吹くということを確めた上で、かの粉砕した屍体を携《たずさ》えて、気球の一つに乗ったのです。ロープを解くと気球はズンズン上昇します。風が真西から吹いていますから、ごらんなさいこの右足湖の中心線の上に気球は出ます)
 田熊社長は、右足湖の位置の話がでたので周章《あわ》てた。見廻すと、社長室の壁に、右足湖を含むこの辺一帯の購読者分布地図が貼ってあったので、彼は盗聴器一式を両手で抱えて壁際へ移動した。
(……この右足湖の縦の中心線が、正しく東西に走っていることからして、気球を湖水の真中に掲げるには、西風の吹く日を選ぶより外に仕方がなかったのです。さてそれから、程よいところで、彼の犯人は灰のようになった人体の粉末を、気球の上から湖上に向って撒いたのです。西風にしたがって、この人間灰は水面に落ちますが、今申したように気球は中心線上にいるので、灰が多少南北に拡がっても、また東に流れても、うまく湖面の中に落ち、陸地には落ちないのです。
 悉《ことごと》くが水中に落ちてしまえば、いずれこれは魚腹の中に葬られることでしょう。そうすれば彼の屍体は完全に抹消されたことになります。なんと素晴らしい屍体処分法ではありませんか)
(なるほど、これア卓越した方法ですネ)
 と丘署長の声が感嘆した。
(この方法で、六人の犠牲者はうまく片づけられたのです。当夜強い西風が吹いていたことは、署長のお持ちになった測候所の風速及び風向きの報告で証明されます。七人目の犠牲者も、同様に気球に載せられ天空高く揚げられたのでした。そして同様にして粉砕屍体は気球の上から湖面へ向けて撒かれたのです。しかし前の六回のときとは違って、二つばかりの誤算が入ってきました。それは犯人のために、実に不幸な出来ごとでありました。
 二つの誤算――その一つは、撒いているうちに、それまで吹いていた西風が急に向きを南西に変えたことです。それがためどんなことが起ったかと云いますと、今まで真東へ飛んでいた人間灰は改めて北東へ流され、遂にその一部は、右足湖の北岸に墜落したのです。ごらんなさい。この壜に入っている異様な赤黒い物こそ、今日私が北岸へでかけて採集してきた七人目の犠牲者の肉片《にくへん》です)
 田熊社長は、電話で話は盗めても、その人肉《じんにく》の入った壜を盗視できないことをたいへん口惜《くやし》がった。
(もう一つの誤算は……)と例の声は云ったが、そのとき思いがけない「呀《あ》ッ」という叫び声が聞えた。(……こりゃ可笑しい。こんなところに変なものが……)とまでは聞えたが、そのあとはガチャリという音を残して、何も聞えなくなってしまった。
 田熊社長は、惜しいところで盗聴器が聞えなくなったので、顔を真赤にして口惜がった。すぐさま、再び工夫を呼んで直させたが、五分ばかりして彼等は、恐《おそ》る恐る社長の前へ罷《まか》りでて、云ったことである。
「社長さん、もういけません。向うの方で秘密送話器を切ってしまいました。この方法じゃ盗み聴きはもう駄目です」
 社長は万事を悟って、苦が笑いをした。
「じゃこれから、空気工場へ出かける」
 道々田熊社長は腕組をしながら、あの盗聴から得たさまざまの興味ある疑問について考えた。
「丘署長と、話をしていたのは一体誰だろう。大分腕利きらしいが、あんな男がK署に居《い》たかしら?」
 どう考えても、そんな気の利いた人物は考え出せなかった。その疑問は預《あず》かりとしておいて外《ほか》にも疑問の種があった。
「話によると、どうやら犠牲者の屍体を粉々に砕いて、気球の上から撒くいう仮定を考えている
前へ 次へ
全10ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング